PART 4 (No.61〜80)

PART 5 (No.81〜100)へ

No ベ ス ト 作 品 ご 参 考
61

 「アラビアのロレンス」  ('62)  英/監督:デヴィッド・リーン

デヴィッド・リーン監督による、70ミリ超大作。実在した英陸軍中尉T・E・ロレンスの波乱に富んだ生涯を格調高く描いて、70ミリ作品としてはキネマ旬報初のベストワン('63年度)を獲得した秀作。
広大な砂漠のロケが素晴らしい。特に、地平線の彼方から砂漠の民ベドウィンが一人駱駝に乗って現れるシーンの美しさには目を瞠った。撮影(フレディ・A・ヤング)、美術、いずれも特筆もの。無論、ロバート・ボルトの脚本、リーンの演出も非の打ちどころがない。これも高校時代に最初に観たが、当時は大スクリーンと砂漠の風景に圧倒され、あまり物語は理解できなかった。後に大人になって再見し、これは単なるスペクタクル・ドラマに留まらず、ロレンスという1個人の人間的な弱み、野心、葛藤、そして彼を利用しながら不要になったら閑職に追いやってしまう軍部のエゴイズム…等を多面的に描いた人間ドラマである事が理解できた。特に、「ロレンスは英雄なのか、軍部によって作られた虚像なのか」というテーマを掘り下げた、「市民ケーン」にも似た重層的人間観察ドラマとしてもよく出来ている(ロレンスの死の場面から始まる構成もよく似ている)。観る度にそうした深味を増して行く…という点でもこれは素晴らしい傑作である。ロレンスを完璧に演じたピーター・オトゥールの他、オマー・シャリフ、アンソニー・クイン、アレック・ギネスといった名優の演技、いずれも素晴らしい。ビデオでも4時間近い完全版が出ているが、これは是非劇場で(それも大スクリーンで)観て欲しい。広大な砂漠の大自然の中では、人間は自分勝手な、ちっぽけな生き物に過ぎない…という事が実感出来るからである(しかし、もう70ミリでの上映は出来ないのだろうか)。アカデミー賞では作品賞、監督賞を始め7部門を受賞した。 (日本公開'63年) 

双葉さんのベスト100
 (81)「アラビアのロレンス」
           (左参照)

小林さんのベスト100
 (80)「野望の系列」 ('62
   監督:オットー・プレミンジャー)
 (81)「恐怖の岬」  ('62
   監督:J・リー・トンプソン)


「リバティ・バランスを射った男」(62)。ジョン・フォード監督のちょっと変わった西部劇の佳作。リー・マーヴィン扮するどうしようもないワルを撃ち殺したのは、実は意外な人物だったという展開が面白い。ジェームズ・スチュアートが気のいい善人を演じ、ジョン・ウェインがいい味を出してます。

「世界残酷物語」(62)。グワルティエロ・ヤコペッティ監督の、当時センセーションを呼んだ記録映画。以後内外で「−残酷物語」という題名が大はやりとなった。リズ・オルトラーニ作曲の、映画とは不似合いな主題曲「モア」も大ヒットした。

「史上最大の作戦」(62)。44大スター競演というふれ込みの、ノルマンディー上陸作戦を描いた戦争映画の大作。戦闘シーンは迫力があったが監督が4人もいるせいか散漫な出来。ポール・アンカが作曲したテーマ曲「史上最大の作戦マーチ」がヒットパレードを賑わした。

62

 「奇跡の人」  ('62)  米/監督:アーサー・ペン

三重苦の偉人、ヘレン・ケラーの少女時代を題材にした、アーサー・ペン監督の出世作。元はウィリアム・ギブスン原作による舞台劇で、ブロードウェイでペン自身の演出によりヒットした事で映画化される事となり、舞台版に出演したアン・バンクロフト(サリバン先生)、パティ・デューク(ヘレン)がそのまま映画でも同じ役を演じることとなった。
これも私はリアルタイムで観ている。野獣のように暴れまくるヘレンを、サリバン先生がこれまた力づくで押さえつけ、また跳ね飛ばされ…といった、まさに格闘技(?!)に近い演技、その様子をカメラがうんと近づき、舐めるように追う…という演出にともども圧倒された。よく聞かされていたヘレン・ケラーの偉人伝からは想像もつかないリアルで荒々しい展開であったが、やがて次第にサリバンがヘレンと心を通わせて行き、ヘレンが外の世界の美しさを肌で感じるようになるラストではとても感動した。モノクロのザラついた映像が、まるでドキュメンタリーを見ているかのような迫力を生み出している。高校生の頃に観たという事もあるが、とても新鮮で強烈なインパクトを受け、個人的には忘れられない名作の1本である。アン・バンクロフトとパティ・デュークはこの作品で共にアカデミー主演・助演女優賞を獲得した。ちなみに17年後に作られたリメイク版では、パティ・デュークが今度はサリバン先生を演じている。  (日本公開'63年) 

「007は殺しの番号」(62)。記念すべき007シリーズ第1作。テレンス・ヤング監督。前半の緊迫感溢れる演出はいいが、後半はやや大味。ジョセフ・ワイズマン演じるドクター・ノオは、後の「燃えよドラゴン」の悪の首領のヒントにもなった。再公開時には「007/ドクター・ノオ」と改題された。

「水の中のナイフ」(62)。ロマン・ポランスキー監督の、わが国初登場作品。ちょっと「太陽がいっぱい」を連想させるミステリアスな展開が魅力的。好きな作品です。

「シベールの日曜日」(62)。セルジュ・ブールギニョン監督。インドシナ戦争で記憶を失った元兵士(ハーディ・クリューガー)と、孤独な少女との心の触れ合い、そして誤解による不幸な結末までを繊細な演出で描いたフランス映画の佳作。これも好きですね。

63

 「鳥」  ('63)  米/監督:アルフレッド・ヒッチコック

これまた何故か?リアルタイムで観ている。これは私が観た、最初のヒッチコック作品である。ヒッチコックの事も、彼がスリラーの巨匠である事もまったく知らなくて、白紙の状態で観たのだが、とにかく怖くて怖くて震えながら観た。本物の鳥を調教し、かつ模型やアニメなども駆使した、一種の特撮映画である・・・という事を知ったのはずっと後で、この当時はただ恐ろしくて、出来るならすぐにでも劇場を飛び出したい…という恐怖心と闘いながら観たのであった。鳥に眼をえぐられた死体の顔がアップになった時には鳥肌が立ち、心臓が口から飛び出すのではないか…と思うほど心拍数が跳ね上がった事を記憶している。ジャングル・ジムにカラスが少しづつ増えて行くシーンのカット割りなんかはまさに恐怖映画のお手本。後のあらゆる恐怖映画、動物パニックものはすべてこの作品が原型―と言っても過言ではない。スピルバーグの出世作「ジョーズ」にも、この作品のテクニックが随所に応用されている。鳥が人間を襲う理由を一切説明せず、ラストも事態がまったく解決しないまま終わる・・・というのもあまり例を見ない。一種の不条理劇とも言えるが、アントニオーニの「欲望」とか、カフカの原作による「審判」(オーソン・ウェルズ監督)のような芸術派作品ならともかく、娯楽映画としてのスリラー映画でこれをやってしまう所がヒッチコックの凄さであるとも言えよう。また見方を変えれば、自然を切り拓き、生態系を破壊する人間への自然界からの逆襲…というテーマを見つける事も出来る。そういういろんなアプローチが出来る点でも、これはヒッチコックの代表作であり、映画史に残る不朽の名作であると言えよう。    (日本公開'63年) 

双葉さんのベスト100
 (82)「8 1/2」  ('63 
  監督:フェデリコ・フェリーニ)


小林さんのベスト100
 (82)「鬼火」  
   ('63 監督:ルイ・マル)

「地下室のメロディー」(63)。アラン・ドロンとジャン・ギャバン初顔合わせの、カジノ襲撃泥棒映画。アンリ・ベルヌイユ監督。ラストのほろ苦い結末が見どころ。まあ気楽に観られる作品で、観ておいて損はありません。ミシェル・マーニュ作曲のテーマ曲は何度聴いても素敵。

「博士の異常な愛情」(63)。スタンリー・キューブリック監督の、ブラック・ユーモアに満ちたポリティカル・SFコメディ。ピーター・セラーズが1人3役で笑わせます。ドタバタ・タッチで展開するがラストで背筋が寒くなる。当時のソ連との冷戦下ではリアリティがあったが、今観ればどうだろうか。個人的には好きな作品。

「コレクター」(63)。ウィリアム・ワイラー監督の心理サスペンスの秀作。孤独な若者(テレンス・スタンプ)が1人の女を地下室に監禁し、蝶のように飼育するというストーリー。わが国でも亜流作品が沢山作られたが、さすがワイラー監督、出来が違います。見応えあり。

64

 「007/危機一発」  ('63)  英/監督:テレンス・ヤング

イアン・フレミング原作による007シリーズの映画化作品は、'62年の「007は殺しの番号」を第1作として、以降作る度に大ヒットを重ね、いろんな亜流映画も世界的に続出するなど、アクション・エンタティンメント映画の歴史を変えた…と言ってもいいくらいのメガヒット・シリーズである。40年以上経った今でもシリーズは続いており、これほど息の長い長寿シリーズは世界的に見てもわが「ゴジラ」くらいしか思い浮かばない(大森一樹監督も「007とゴジラを監督するのが最大の望み」と言っていた)。
そのシリーズ中で、最高作品を挙げよ…と言われたら、私は躊躇なくこの作品を挙げる。その後のシリーズが、マンガチックな秘密兵器を使ったり、宇宙に飛び出したり…と、どんどん荒唐無稽かつ派手なアクション映画に変貌して行ったのに比べて、本作は原作のテイストである、エレガントでお洒落で、ロマンチックな大人のムードも漂わせた本格的なスパイ映画の傑作に仕上がっていて、今観てもウットリするほどの素晴らしい名作であると言える。秘密兵器もアタッシェケースだけ。ボンドを罠にかけて殺す…という敵の巧妙な策略、それを薄々察知しながら、あえて危険に飛び込み、知恵と勇気と行動力で乗り越えて行く主人公のカッコ良さ。「マティニをシェイクして」などの粋でおシャレなセリフの数々。そして何よりボンドを演じるショーン・コネリーのセクシーな男らしさ…。オリエント急行という舞台もおシャレだし、敵の殺し屋、ロバート・ショーの存在感もいい。ボンド・ガールのダニエラ・ビアンキ、これまたセクシーで申し分無し。さらにマット・モンローの歌う主題歌「ロシアより愛をこめて」が実にロマンチックで哀愁味があって絶品。この曲は私の愛唱歌の一つ。自慢ではないが英語の歌詞もすべて頭に入っていて、今でもソラで歌える。それくらいこの作品は大好きなのである。再公開時には主題歌と同じ「ロシアより愛をこめて」に改題されたが、私にとってはいつまでも「007/危機一発」なのである。  (日本公開'64年) 

「あなただけ今晩は」(63)。ビリーソ・ワイルダー監督、ジャック・レモン、シャーリー・マクレーン主演という「アパートの鍵貸します」のトリオによるコメディ。相変わらずジャック・レモンがうまいがお話はちょっと無理があるような気がする。原作はフランス・ミュージカル「イルマ・ラ・ドゥース」。

「シャレード」(63)。スタンリー・ドーネン監督、オードリー・ヘップバーン、ケーリー・グラント主演のサスペンス・ミステリー。グラント主演という事もあるが、ヒッチコックを思わせる謎また謎、殺人また殺人という展開がスリリングでなかなか面白い。マンシーニの音楽と共に、シャレたムードを楽しむ作品。

「大脱走」(63)。ジョン・スタージェス監督による、ナチス捕虜収容所からの脱走作戦をダイナミックに描いた話題作。スティーヴ・マックィーンが魅力的。スポーツを楽しむように観るのが正しい観方。ミッチ・ミラー合唱団によるテーマ曲も大ヒットした。

「ブーベの恋人」(63)。ルイジ・コメンチーニ監督による、戦争に引き裂かれる恋人たちを描いた悲しいラブストーリー。ジョージ・チャキリス、クラウディア・カルディナーレ主演。カルロ・ルスティケリの音楽がいつもながら効果的。

65

 ビートルズがやってくる ァ!ァ!!」 ('64) 英/監督:リチャード・レスター

ビートルズは、私にとっての青春である。ワイルドさと甘さがほどよくブレンドされた名曲の数々、お洒落なファッション。レコードが出る度にシングル盤を買い集めた。今でも私の宝物として大事に保存してある。
そのビートルズの主演映画が作られたと聞いた時は小躍りした。残念ながら劇場公開時は受験勉強中で観られず、大学に入ってやっと初見参したが、期待にたがわずどころか、期待以上の楽しさでもう大満足。二番館、再映時と何度も足を運び(うち何本かは2作目「HELP!」と2本立。こちらも楽しかった)、劇場だけで7〜8回は観ただろうか。ビデオも持っていて、こちらは数え切れないくらい観ている。何度観ても、トシを取った今観てもやはり飽きない。観る度に青春時代がよみがえってウルウルしてしまう、それくらいのお気に入りである。
この映画が素晴らしいのは、単にビートルズの姿が見れるだけではない。リチャード・レスターの才気煥発な、ポップな演出にも是非注目して欲しい。人気スターたちの1日をドキュメンタリー風に追う…という設定ながら、いろんなシュールなギャグが散りばめられていたり(走る列車の外を自転車で追いかけるビートルズの姿が一瞬見える)、挿入曲を歌うシーンではさまざまなアングルから躍動する彼らの姿を捕えたり…。特にその歌うシーンのリズミカルかつポップな演出は、後のミュージック・ビデオ・クリップに多大な影響を与えたとも言われている。また、メンバーの一人、リンゴが何となく一人になりたくて、そっと楽屋を抜け出し、街を彷徨うシーンでは一転哀愁味とリリシズムを漂わせる。
これは単なるアイドル映画ではない。スーパーアイドルたちと言えども、悩みや寂しさを抱えている普通の人間である事を描き、彼らにがんじがらめの制約を強い、管理する周囲の大人たちをやんわりと皮肉る(列車の中で、檻に入れられた彼らのイメージ・ショットがある)、イギリス的諧謔とユーモアに溢れた優れた人間観察映画でもあるのである。この後、「ナック」でカンヌ映画祭グランプリを獲得することとなるリチャード・レスターの才能の片鱗を窺い知る事が出来るだけでも、この映画を観る価値は十分ある。レスター・ファンは必見の名作であると言っておこう。なお、再公開時及びDVDでは「ハード・デイズ・ナイト」と原題通りに改題されている。 (日本公開'64年)

「おかしな、おかしな、おかしな世界」(63)。社会派の秀作を多く作って来たスタンリー・クレイマー監督が作った、珍しいドタバタ・コメディ。サイレント時代のスラップスティック喜劇を現代に復活させようとした試みは買うが、あまり成功しているとは言い難い。またこれは、それまで3台の映写機で上映していた“シネラマ”を1台の映写機で上映する方式とした最初の作品としても記憶に残る。

「大列車作戦」(64)。ジョン・フランケンハイマー監督の骨太戦争アクション。ナチスがフランスの名画を持ち出そうとするのをレジスタンスがあの手この手で食い止める作戦が面白い。バート・ランカスター主演。見応えあり。

「007/ゴールドフィンガー」(64)。シリーズ第3作。ガイ・ハミルトン監督。さまざまな仕掛けをほどこしたボンドカー、アストン・マーチンが楽しいが、出来としては前2作より落ちる。しかし興行的には大ヒットした。

「マーニー」(64)。ヒッチコックが前作に引き続きティッピ・ヘドレンを主演にした心理サスペンス。しかしいつもの切れ味はどこへやら、も一つ要領を得ない出来になっていた。以後ヒッチコックはしばらくの間低迷を続ける事となる。ショーン・コネリー共演。

「柔らかい肌」(64)。フランソワ・トリュフォ監督の、中年男の不倫とその果ての悲劇を描いた作品。それぞれの心理描写がきめ細かく見応えあり。ラストはコワいです。

66

 「シェルブールの雨傘」  ('64)  仏/監督:ジャック・ドゥミ

珍しい、フランス製ミュージカル。…と言っても、全編セリフがすべて歌になっている、どちにかと言えばフィルム・オペラとでも呼びたい作品である。冒頭、真上から俯瞰で撮った地上を色とりどりの傘が行き交うシーンが印象的。お話はパニョルの「ファニー」とよく似た内容。恋人ギイ(ニーノ・カステルヌォーヴォ)が徴兵され、戦地に行くこととなって、残されたジュヌヴィエーヌ(カトリーヌ・ドヌーブ)はひたすらギイの帰りを待ちわびるが、やがて歳月が過ぎ、二人は別々の相手と結婚する。悲しいのはラストシーン。雪のクリスマスイヴ、ガソリンスタンドで二人は偶然再会する。互いに、今も愛しているはずなのに、時間はもう元に戻らない。静かに見つめ合い、短く言葉を交わした後、二人は別れ去る…。
昔観た時は、せっかく再会したのに、なんで別れるの?と疑問に思ったものだが、時を経て見直してみると、運命とはそうしたものであり、それぞれに今の家族を大事にし、それを守る道を選ぶのが大人の選択なのだと納得することが出来た(“諦観”という言葉が思い浮かぶ)。ミシェル・ルグラン作曲の音楽がとても素敵で、サントラ盤を聴く度に涙が溢れる。カトリーヌ・ドヌーブが美しい。ただし歌は吹き替えで、歌っているのは後に「ふたりの天使」というスキャットだけの歌を大ヒットさせたダニエル・リカーリ。ドヌーブ出演作、ジャック・ドゥミの監督作、それぞれの中でも共に一番好きな、愛着のある名作である。 (日本公開'64年) 

双葉さんのベスト100
 (83)「シェルブールの雨傘」
          (左参照)

「メリー・ポピンズ」(64)。ジュリー・アンドリュース主演のディズニー・ミュージカル。ロバート・スティーブンスン監督。アニメと実写の合成画面が楽しい。「チムチム・チェリー」等名曲が多い。好きですね。

「マイ・フェア・レディ」(64)。ブロードウェイではJ・アンドリュースが演じた名作ミュージカルを、ヘップバーン主演で映画化。「踊り明かそう」他名曲揃い。ジョージ・キューカー監督。楽しめる出来。

「反撥」(64)。ロマン・ポランスキー監督、カトリーヌ・ドヌーヴ主演のもの凄くコワい異常心理サスペンス。鳥肌が立ちました。「リング」よりコワいですよ。

「奇跡の丘」(64)。ピエール・パオロ・パゾリーニ監督の新約聖書に基づくキリスト伝記映画。モノクロでドキュメンタリー・タッチの荒々しい映像が魅力的。

67

 「サウンド・オブ・ミュージック」  ('65)  米/監督:ロバート・ワイズ

オスカー・ハマースタインU世とリチャード・ロジャースのコンビによるブロードウェイ・ミュージカルの映画化。しかし「ウエスト・サイド物語」で屋外風景をダイナミックに取り入れたロバート・ワイズ監督は、ここでも冒頭の「ウエスト・サイド−」を思わせるアルプスの大俯瞰撮影に始まり、美しい風景を巧みに取り入れて見事なミュージカル映画の傑作に仕上げている。これは初公開にやや遅れて観たが、70ミリ大画面の迫力、ジュリー・アンドリュースの美しい歌声、ロジャース/ハマースタイン・コンビの「ドレミの歌」「エーデルワイス」「もうすぐ17歳」「私のお気に入り」「ひとりぼっちの羊飼い」等の名曲の数々―に圧倒され、ただただうっとりするばかりであった。同じアンドリュース主演の「メリー・ポピンズ」はこの時まだ観ておらず、これがアンドリュース初見参であったが、3オクターブもあると言われる声質、爽やかで時にユーモラスな演技、どれにも感動した。これはまさにアンドリュースの為の映画である。アンドリュース以外の誰が演じても、これほどの名作になるとは思えない。ワイズの演出も前作に負けずとも劣らない素晴らしい出来。
そしてこれはただの楽しいミュージカルだけではない。戦争の影が忍び寄る時代、ナチスに毅然と立ち向かい、山を越えて亡命を決意するトラップ大佐の行動に、自由を求める人間の勇気と尊厳を見る事も出来る。元の舞台版ミュージカル自身も素晴らしいが、映画的ダイナミズムを縦横に駆使して、これをさらにパワーアップした感動の名作に仕上げたロバート・ワイズの演出が光る。子供から大人まで、すべての人に薦めたいミュージカル映画の金字塔である。  (日本公開'65年) 

双葉さんのベスト100
 (84)「戦争は終わった」 
   ('65 監督:アラン・レネ)

 (85)「素晴らしき戦争」   
   ('69 監督:リチャード・
       アッテンボロー)


小林さんのベスト100

 (83)「ドクトル・ジバゴ」 ('65  
   監督:デヴィッド・リーン)


「HELP!四人はアイドル」
(65)。ビートルズ主演映画第2作。こちらはカラー作品。やはりリチャード・レスター監督のポップな映像感覚が楽しい。これもベストに入れたいくらい大好きな作品。

「荒野の用心棒」(64)。セルジョ・レオーネ監督、クリント・イーストウッド主演の黒澤明「用心棒」を巧妙にパクったマカロニ・ウェスタンの最初の大ヒット作。何度観ても面白い。よく出来ています。エンニオ・モリコーネ作曲のテーマ曲も素敵。

「ドクトル・ジバゴ」(65)。デヴィッド・リーン監督の壮大な叙事詩。見応えがあります。ベストに入れたかったが惜しくも洩れた。

68

 「テキサスの五人の仲間」  ('66)  米/監督:フィルダー・クック

この作品、多分多くの人は題名すら知らないと思う。ひっそりと公開され、話題になる事もなく忘れ去られた不遇の作品である。しかしたまたまリアルタイムでこれを見て、私は“こりゃー面白い!”と思わず快哉を叫んだのである。拾い物―と言ったら語弊があるかも知れないが、とにかく映画ファン…特に知的ゲームや謎解きものが好きな方は、機会があれば是非見逃さないでいただきたい。きっと私同様ギャフン…となる事請け合いである。
ではどんな作品なのか…。うーん、あまりくわしく言ってしまうとネタが判って面白くなくなる。予備知識なしで観ていただくのが一番である。とりあえずは簡単に概略だけご紹介しておこう。
まず、原題が “Big Deal At Dodge City”。−「ダッジ・シティの大勝負」という意味か。まるで決闘に駆けつけているかのような冒頭シーンにこのタイトルがかぶると、それだけで西部劇アクションかと誤解してしまいそう。さてストーリーだが、年に1度のポーカー大博打大会が行われている街に、ある旅の家族が通りかかる。馬車の修理に寄ったのだが、バクチに目がない亭主のヘンリー・フォンダが妻の目を盗んで大会に参加し、なけなしの所持金をスッてしまったあげくに心臓発作でぶっ倒れてしまう。苦しい息の下から手札(何か凄い手らしい)を託された妻(ジョアン・ウッドワード)は、家族の為に全財産を取り戻すべく毅然と戦う決心をする…。
淀川さんではないが、さあもうこれ以上は話せません(笑)。ポーカー勝負にはブラフ(はったり)というのがあるが、映画はこのブラフを巧みに織り込み、スリリングでいったい結末はどうなるのか、予測がつかない展開となり、最後に驚天動地のオチが待っている。私はこのオチを見て口アングリ、次に膝を打った。秀逸な脚本である。演技陣もみんな達者だし、五人のギャンブラーたちが次第にこの妻に尊敬の念を抱いて行くプロセスを丁寧に描いた演出がまた粋で洒脱である。そして強調しておきたい点、ヘンリー・フォンダが実にうまい!。止せばいいのにポーカー勝負を見てしまうと目の色が変わり、ヨダレ垂らさんばかりにフラフラ近付いてしまう演技の見事さには惚れました(なんかかなり書いてしまったなぁ(笑))。
まあ、今の時代から見れば傑作には見えないかも知れないが、映画の面白さがやっと判りかけた当時の私にとっては、これは忘れられない名作の一つなのである。  (日本公開'66年) 

双葉さんのベスト100
 (86)「アルジェの戦い」 ('66
   監督:ジロ・ポンテコルボ)

 (87)「バージニア・ウルフなんか
    こわくない」
 ('66
   監督:マイク・ニコルズ)

 (88)「ロシュフォールの恋人たち」 
  ('66 監督:ジャック・ドゥミ)

「幸福」(65)。アニエス・ヴァルダ監督の繊細な演出が冴える、幸福とは何かを問う秀作。印象画のような映像が魅力的。

「素晴らしきヒコーキ野郎」(65)。ケン・アナキン監督のロンドン―パリ間の飛行機レースを描いたコメディ。おおらかでトボけた味わいの楽しい作品。こういうのも好きです。

「グレート・レース」(65)。こちらもニューヨーク―パリ間の自動車レースを描いたドタバタ・コメディ。ブレーク・エドワーズ監督。こちらはよりスラップスティック度が強い。ライバルの教授を演じたジャック・レモンが楽しい。助手はピーター・フォーク。

「戦争と平和・2部作」(65)。ソ連が国家の威信を賭けて作ったとてつもない超大作。セルゲイ・ボンダルチュク監督・主演。ナターシャを演じたリュドミラ・サヴェーリェワが可憐で美しい。泰西名画のような画面が印象的。

「悲しみは星影と共に」(65)。ネロ・リージ監督。ナチスによって強制収用所に送られる姉弟の悲劇を格調高く描いた佳作。哀愁味を帯びたテーマ曲が印象的。

「アルジェの戦い」(66)。ジロ・ポンテコルボ監督。アルジェリアの独立戦争をドキュメンタリー的タッチで描いた傑作。まるでニュース映画のような、ザラザラしたハイキーの画面が強烈な印象を残す。'67年度キネ旬ベストワン。最後までベストに入れるべきかで迷った。必見。

69

 「冒険者たち」  ('67)  仏/監督:ロベール・アンリコ

これは、私が大好きな青春映画の傑作である。冒険にあこがれ、常にさまざまな冒険にチャレンジするが無様に挫折する二人の男たち(アラン・ドロンとリノ・バンチュラ)の稚気溢れるロマンチシズム。やや中年に差し掛かっているバンチュラが、子供のように嬉々としてスピード記録に挑戦する姿がなんともほほえましい。その二人の間に現れた清楚な少女レティシア(ジョアンナ・シムカス)。男2人と女1人という組み合せはトリュフォーの「突然炎のごとく」を始めとしてフランス青春映画に多いパターンである。ロベール・アンリコの演出は望遠レンズを多用し、口笛をフィーチャーした音楽(フランソワーズ・ド・ルーベ)も効果的に使用して青春の夢とロマンを爽やかに、そしてほろ苦く描いている。ようやく宝を手にするものの、レティシアは凶弾に倒れる。その葬送シーンがとても切ない。ラストのセリフの数々もとても印象的。瀕死のドロンにバンチュラが「レティシアはお前と暮らしたいと言っていたぞ」、それにドロンが「この嘘つきめ」と悪態を付き、死んで行く。それぞれがレティシアを好きでありながら、互いに相手に譲ろうとする、その男たちの友情がとても泣かせるのである。
ちょうど多感な青春時代の真っ只中で観たこともあるが、思い出す度に涙が出て来る。青春とは、友情とは、愛とは、男のロマンチシズムとは…それぞれについて考えさせてくれる、これはとても素敵な、永遠の青春映画の名作である。ジョアンナ・シムカスがとてもいい。ロベール・アンリコ監督は以後も「ラムの大通り」、「追想」など、どれも爽やかでリリシズムに溢れた秀作を作っており、私のお気に入りの監督の1人である。  (日本公開'67年) 

(付記)日本の映画作家や俳優たちからも愛されているのもこの作品の特徴で、「無宿(やどなし)」(74・斉藤耕一監督)を手始めに、そのものスバリ「冒険者たち」(75・臼井高瀬監督)、「黄金のパートナー」(79・西村潔監督)、「冒険者カミカゼ」(81・鷹森立一監督)など、いずれもロベール・アンリコ監督作品へのオマージュに満ちた爽やかな仕上がりとなっている。…にしても、なんで日本ばっかり?(笑)

双葉さんのベスト100
 (89)「冒険者たち」 (左参照)


「男と女」(66)。クロード・ルルーシュ監督の出世作。セピア調のモノクロ映像とカラーを巧みに織り交ぜたフォトジェニックな映像効果が印象的。フランシス・レイ作曲のスキャット風主題歌も素敵。以後この映像効果はルルーシュ・タッチと呼ばれ多くの模倣を生むこととなる。カンヌ映画祭グランプリ受賞作。

「ロシュフォールの恋人たち (66)ジャック・ドゥミ監督のミュージカル第2弾。こちらはぐっと楽しくて華麗な仕上がり。なんとジョージ・チャキリス、ジーン・ケリーがゲスト出演。この顔合わせを観るだけでも一見の価値あり。これもベストに入れたいな…。

「ワイルド・エンジェル」(66)。ロジャー・コーマン監督の暴走族もの。出来はどうってことないが、ピーター・フォンダ主演がミソ。つまり後の「イージー・ライダー」の原点とも言える作品で、その点のみで記憶される作品。ニューシネマに興味のある方は観ておいて損はない。

「ミクロの決死圏」(66)。人間をミクロ化して体内に送り込むというアイデアをうまく生かしたSF映画史上に残る作品。リチャード・フライシャー監督。ただしこのアイデアは手塚治虫の「鉄腕アトム」の方が早い。

70

 「俺たちに明日はない」  ('67)  米/監督:アーサー・ペン

この頃から、アメリカでニュー・シネマと呼ばれる新しいタイプの映画作りが盛んになり、これはその嚆矢とも言うべき最初の傑作である。大恐慌の'30年代、ケチな自動車泥棒のクライド(ウォーレン・ビーティ)とウェイトレスのボニー(フェイ・ダナウェイ)が意気投合し、仲間と共に銀行強盗を繰り返すが、やがて仲間の父親の密告で警官隊の待ち伏せに合い、蜂の巣のように銃弾を受けて最期を遂げる。
これもリアルタイムで観た。この頃は大学生活の真っ只中。とにかく浴びるように映画を(新作・旧作取り混ぜて)観ていた時代である。しかしながら、この映画には衝撃を受けた。犯罪者が主人公であるのに、彼らの行動を非難するわけでもなく、かと言って擁護もせず、ただただ既成の価値観も体制もぶち壊すかのように暴れ、そして鮮烈に死んで行く主人公たちをクールに見つめた演出に息を呑んだ。これはまさに“新しい映画だ”と思った。ちょうど時代は世界的に反体制運動が起こり、学園紛争が頻発し、混沌としていた時代…。これはそんな時代の空気を敏感に反映した映画なのかも知れない。
元々は、雑誌編集者だったデイヴィッド・ニューマンとロバート・ベントンが、ハリウッド映画に物足りなさを感じ、ヌーヴェルヴァーグの旗手フランソワ・トリュフォーに監督して貰いたくて書いた脚本が巡り巡ってウォーレン・ビーティの目に留まり、ビーティの製作で映画化される事になった…という経緯がある。一時はジャン=リュック・ゴダールも監督候補に挙がっていたという(そう言えば、この物語はゴダールの「勝手にしやがれ」と似た所もある)。ニュー・シネマの最初の傑作が、ヌーヴェルヴァーグ(新しい波)とも深い繋がりがある…というのも奇しき因縁であると言えよう。ジーン・ハックマン、マイケル・J・ポラードがそれぞれ印象的な役柄を好演。ハックマンはこれで一躍有名になった。またロバート・ベントンは後に監督となり、「クレイマー、クレイマー」でアカデミー賞を受賞することとなる。  (日本公開'68年) 

小林さんのベスト100
 (84)「俺たちに明日はない」
          (左参照)

「華氏451」(66)。レイ・ブラッドベリ原作のSFをフランソワ・トリュフォが映画化。遥かな未来、情報発信はテレビのみ、本を読む事が禁じられているという世界を寓話的に描く。しかし今の現実はこの世界に近いんじゃないかと思え、ちょっとゾッとする。不思議な味わいの佳作。

「砲艦サンパブロ」(66)。ロバート・ワイズ監督。第1次大戦後の中国に派遣された砲艦をとりまく人間群像。スティーヴ・マックィーンが人間味ある機関兵を好演。なかなか風格のあるいい作品です。

「夕陽のガンマン」(66)。賞金稼ぎのガンマンを主人公としたマカロニ・ウェスタン。レオーネ+イーストウッド・コンビの第2弾になる。アメリカ西部劇ではパッとしなかったリー・ヴァン・クリーフが見違えるような渋い存在感を示す。彼を見るだけでも値打ちあり。コンビ第3作「続・夕陽のガンマン 地獄の決斗」(67)は南北戦争を背景に金に取りつかれた男たちの争いをスケール感たっぷりに描く。これはかなり好きです。

「続・荒野の用心棒」(66)。フランコ・ネロ主演のマカロニ・ウェスタン。セルジョ・コルブッチ監督の荒っぽい演出が却って魅力的。ベルト・フィアの歌う主題歌が大好きです。♪ジャンゴ〜♪

71

 「2001年宇宙の旅」  ('68)  米/監督:スタンリー・キューブリック

これも最初の封切時、シネラマ劇場の大スクリーンで観た。
初めて観た時は、まずその特殊撮影の見事さに圧倒された。それまでの特撮映画と言えば、明らかにミニチュア、合成が素人目にも分かるチャチなものであった。宇宙船もノッペリとして、いかにも作り物…という感じが丸分かり。まあそんなものだと割り切っていた。―ところがこの映画では、大スクリーンであるにも関わらず、宇宙船の巨大感、リアリティが抜群であった。宇宙空間の星も、それまでの豆電球チカチカ(笑)的なイメージではなく、本当に空の星を撮影したかのような現実感があって、180度の湾曲したスクリーンの前の方に座っていたら、まるで実際に宇宙旅行をしていると錯覚しそうになるほどであった。
そしてラスト間際、主人公が木星に到着し、光の洪水に飲み込まれてから以降のシークェンスに至っては、もう!!??!!???…という感じで、訳が分からなかった。友人と一緒に観たのだが、友人も「あれ、何??」と首を捻るばかり。まるで夢を見ているかのような感じであった。
しかし、時間が経つごとに、何か分からないけど凄い!という気持ちが湧き立ち、あれやこれやと自分なりに様々な解釈をしてみたり、それを確認する為に再度劇場に通ったり、―そうしているうちに病み付きになり、今ではこの映画は私にとって最も好きな作品の1本になっているのである(ブルース・リーの口ぐせではないが、“考えるよりも、感じる”べき映画という気がする)。劇場だけでもシネラマ劇場で4回(OS劇場のラストショーも含む)、シネスコ版で3回、そしてテレビは放映の都度必ず観るし、DVDも買って年に数回は観ている始末である。ちなみにシネラマで鑑賞する時は、前から3列目の中央で観ることに決めてある。ここだと視野が180度以上。本当に宇宙空間にいる気分になる(石上三登志氏だったか、少しアルコールを入れてこの位置でラストシーンを観ると、トリップしている感覚になるのだそうな(笑))。いろんな意味で、SF映画の歴史を変えた、これは革命的な大傑作映画だと思う。…それにしても、シネラマ劇場が無くなって、あのトリップ感が体験出来なくなってしまったのは、とても残念なことである。  (日本公開'68年) 

小林さんのベスト100
 (85)「遥かなる戦場」 ('68  
  監督:トニー・リチャードソン)


「グラン・プリ」(66)。シネラマの大画面に展開する、迫力あるカーレース映画の佳作。ジョン・フランケンハイマー監督。三船敏郎も共演。

「夜の大捜査線」(67)。ノーマン・ジュイソン監督の犯罪捜査もの。シドニー・ポワチエの敏腕刑事と田舎の署長ロッド・スタイガーの対立から和解までのプロセスを丁寧に描いた演出が見事な傑作。アカデミー作品賞他多数受賞。

「卒業」(67)。マイク・ニコルズ監督。アメリカン・ニューシネマの1本に数えられる名作。ダスティン・ホフマンがいい。アン・バンクロフト、キャサリン・ロス共演。サイモンとガーファンクルのヒット曲が絶妙に散りばめられている。既成の音楽をフィーチャーする手法はこの作品あたりから広まった。

「まぼろしの市街戦」(67)。フィリップ・ド・ブロカ監督によるちょっと不思議な味わいの佳作。ドイツ軍が来るというので村人がみんな逃げ、精神病院の患者だけが取り残された村に、ドイツとイギリスの軍隊がやって来てドンパチを始める。本当に狂っているのはどちらなのか…という、実に皮肉の効いた喜劇。拾い物の秀作です。おススメ。

「アポロンの地獄」(67)。ピエール・P・パゾリーニ監督による、オイデプス王の悲劇を独特の激しいタッチで描いた秀作。封切りで観た時の強烈な印象が今も忘れられない。もう少しでベスト入り。キネ旬ベストワン。

72

 「ロミオとジュリエット」  ('68)  伊/監督:フランコ・ゼフィレッリ

シェークスピア原作「ロミオとジュリエット」は、これまでに何度も映画化されている。最近ではバズ・ラーマン監督、L・ディカプリオ主演でなんと現代を舞台にした「ロミオ+ジュリエット」という変わった作品もあるし、「ウエスト・サイド物語」もこの作品がベースになっている。永遠の名作と言えるだろう。
で、本作は、イタリアの名匠フランコ・ゼフィレッリが、原作にほぼ忠実に映画化したものだが、素晴らしいのは主人公の二人を、本当に幼いくらいに若いレナード・ホワイティング(ロミオ)とオリビア・ハッセー(ジュリエット)に演じさせた事で、これによって、まさに若さが漲り、若いという事のかけがえのなさ、またその危うさ…が見事に表現されているのである(原作では16歳と14歳という設定)。バルコニーで朝まで熱烈に愛の告白をし、ベッドでこれまた熱烈に体を寄せて愛し合う(全裸のベッドシーンが全然いやらしくない)。まさに若さとは何と素晴らしく、愛し合うとは何と美しいことであるか…それが画面からほとばしっているのである。それだけに、この二人を引き裂く運命の悪戯に涙し、いがみ合う事のむなしさが胸をうつのである。古典文学の映画化作品としても傑作の部類に入るが、青春映画として見ても素晴らしい秀作ではないだろうか。当時15歳のオリビア・ハッセーがとても可愛い。ニーノ・ロータ作曲の主題歌(セリフの一部も収録)も大ヒットした。それにしてもこれを観て、「ウエスト・サイド物語」はなんとも実に上手にこれを翻案ミュージカル化したものだと改めて感心したのである。 (日本公開'68年) 

「暴力脱獄」(67)。スチュアート・ローゼンバーグ監督。ポール・ニューマンが残忍な看守に徹底的に反抗する主人公クール・ハンド・ルーク(原題)を演じた、捨て難い味の佳作。好きな作品です。

「暗くなるまで待って」(67)。オードリー・ヘップバーンが盲目のヒロインに扮し、一人ぼっちでいる自宅で悪人に襲われるというサスペンス・スリラーの佳作。テレンス・ヤング監督。ラストの数分間はもの凄い緊迫感でハラハラドキドキ。当時の夫メル・ファーラーがプロデュース。原作は「ダイヤルMを廻せ!」と同じフレデリック・ノット。

「猿の惑星」(68)。遥か遠い星にたどりついた宇宙飛行士たちが見たのは、猿が人間を支配する惑星だった。ラストシーンがあまりにも有名なSF映画の古典的秀作。フランクリン・J・シャフナー監督。あのラストを観た時には思わず声を上げてしまった。シリーズ化され5作まで作られたが、1作目に遠く及ばない。

73

 「ビートルズ/イエロー・サブマリン('68) 英/監督:ジョージ・ダニング

ビートルズのキャラクターを主人公にした、幻想的かつシュールなアニメーションの傑作。
お話は他愛ない。愛と平和の国、ペパーランドに音楽が嫌いな悪の一味、ブルー・ミーニーが攻め込み、人々は石にさせられる。ただ1人、老艦長がイエロー・サブマリンに乗って逃げ、助けてくれる人を探してロンドンにやって来る。そこで出会ったビートルズが助っ人としてペパーランドに向かい、音楽を武器にブルー・ミーニーを退治し、村に平和がやって来る…。
ストーリーはどうってことはないが、イギリスを代表するアニメーターが結集し、ビートルズの歌うヒット曲の数々をバックに展開するアニメ映像がとても素晴らしいのである。ある時は写真を切り絵風にコラージュし(「エリナー・リグビー」)、ある時は水彩画がサイケデリックに乱舞し(「ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウイズ・ダイヤモンド」)、はたまたある時は歌詞がそのままでっかい文字となって敵にのしかかる武器になったり(「愛こそはすべて」)…と、いろんな実験的な短編アニメ集の趣がある。これらもまた、前述の「ヤア!ヤア!ヤア!」と同様、後のビデオ・クリップに多大な影響を与えていると思われる。また、イギリスのギミックなお笑い番組「モンティ・パイソン」の中でテリー・ギリアムが担当したアニメには、明らかに「イエロー・サブマリン」の影響が垣間見える。そのテリー・ギリアムが監督した最初のヒット作「バンデットQ」(81)のプロデューサーがビートルズのジョージ・ハリソンというのも奇しき縁である。
アニメ・ファンは必見だが、アニメにあまり関心がない方でも、映画ファン、あるいはグラフィック・アートに興味のある方は是非観ていただきたい。今から36年も前!に、これほど時代を先取りした斬新なアニメーションが作られていたのである。今観てもまったく古さを感じさせない、めくるめく映像美を堪能する事ができる。「2001年−」と並んで、これは間違いなく、'60年代が産み出した21世紀志向の先駆的アートの大傑作である。  (日本公開'69年) 

これほどの大傑作なのに、公開当時の扱われ方はなんとも不当極まるものであった。アニメそのものの地位が低かった時代とはいえ、ほとんどパブリシティもなく、年末近くに、なんとアクション映画(「黄金線上の男」なるB級映画)の同時上映(と言うよりおマケ扱い)で、しかも新聞広告では、隅の方に小さく「同時上映/イエロー・サブマリン」と文字だけの表記。写真も監督名もなく、いわば本編の前に付く短編マンガのような扱いであった。ために、気が付かずに見逃した人も多かったのではないか。何を考えてる、配給会社!(ユナイト。後に倒産(笑))。せめてもの救いは、キネ旬ベストテンでこの作品が11位(惜しい!)になった事。それも野口久光氏1位、双葉十三郎氏4位、淀川長治氏5位…と重鎮の方々の評価が高かったので、少しは気分が良くなったのであった。

「マンハッタン無宿」(68)。ドン・シーゲル監督とクリント・イーストウッドが始めて組んだ記念すべき作品。ニューヨークに犯人受け取りにやって来たアリゾナの保安官のカルチャー・ギャップが面白い。好きな作品。

「泳ぐひと」(68)。プールを泳ぎ渡りながら家に帰ろうとする男(バート・ランカスター)の奇妙な行動を通して、アメリカ中流家庭の精神の荒廃を鋭く風刺した、アメリカン・ニューシネマの佳作。フランク・ペリー監督。ラストには胸打たれる。あまり知られていないが忘れられない秀作です。

ローズマリーの赤ちゃん」(68)。ロマン・ポランスキー監督によるオカルト風恐怖映画。妊娠した主婦(ミア・ファーロー)が、精神的不安から周囲をみんな疑い出す。しまいには夫までも…。そして衝撃の結末。よく出来たホラー映画の秀作。

「若草の萌えるころ」(68)。ロベール・アンリコ監督が「冒険者たち」のジョアンナ・シムカスを主演に据えて、最愛の伯母の危篤から心が不安定になり、街中をさまよい、やがて大人になって行く少女の姿を情感豊かに描いた秀作。アンリコ作品はみんな好きですね。

「夜霧の恋人たち」(68)。フランソワ・トリュフォー監督による、「大人は判ってくれない」の主人公アントワーヌ(同じジャン・ピエール・レオ)の青年時代を瑞々しいタッチで描いた佳作。トリュフォーは以後もレオ主演でアントワーヌ・シリーズを数本撮り続けて行くこととなる。全シリーズをオールナイト連続上映したら面白いでしょうね。

74

 「ワイルドバンチ」  ('69)  米/監督:サム・ペキンパー

この頃は、西部劇もいろいろ観ていた。代表作「シェーン」にしろ「リオ・ブラボー」を始めとするジョン・ウェインものにしろ、ジョン・スタージェス監督の痛快西部劇にしろ、いずれも素敵でカッコいいヒーローがいて、悪逆非道の悪人がいて、たまには可憐なヒロインがいて、いつも最後は正義が勝つ。マカロニ・ウェスタンにもハマっていたが、多少残酷描写があったにせよ、ヒーローが悪を倒すパターンは同じ。日本で言うなら股旅時代劇か任侠映画か、とにかくヒーローはあくまでカッコよく、敵の最後は常にカッコ悪く、いつも爽快な気分で映画館を後にしたものだった。
 そんな時に観た本作。サム・ペキンパー作品を観るのもこれが初めて。しかも70ミリ超大作。まったく予備知識もなく観たのだが…
まず、アクション・シーンに度肝を抜かれた。派手に血しぶきをあげ、スローモーションに短いカットバック。ラスト間際の血みどろ大戦闘シーンには声もなかった。一番驚いたのは主人公の設定で、ほとんど老境にさしかかったウィリアム・ホールデン。やってる事は銀行強盗に列車襲撃と、カッコいいヒーローとはまるで対極の悪党である。追って来るロバート・ライアンも老境。“老人ウェスタン”とでも名付けたい、前記の正統西部劇のパターンをことごとくひっくり返した異色の西部劇であった。
しかし、観終わった後、なんとも言えない余韻が残った。捕らわれた若い仲間を助ける為に、死を賭して100人を越す敵の真っ只中に飛び込んで行く男たち。それは、人生の黄昏時を迎えたアウトローたちの、死に場所を求めての戦いではなかったか。滅びの美学とでも言うべきラストの壮絶なバイオレンス描写は、観る度に胸が熱くなる。ホールデン以下、ウォーレン・オーツ、ベン・ジョンソン、アーネスト・ボーグナインといった男たちの顔がなんともいい。ペキンパーはこの後の「砂漠の流れ者」でも、時代に取り残されて行く男を主人公にして西部劇の挽歌を奏でている。この2本によって、私はサム・ペキンパーという監督が大好きになった。アクションとバイオレンスを満載した西部劇でありながら、人生を考えさせてくれる深いテーマを内包し、観るほどに感銘を増して行く、これはそんな不思議な秀作なのである。 (日本公開'69年) 

小林さんのベスト100
 (86)ワイルドバンチ」 (左参照)
 (87)「シシリアン」 ('69  
   監督:アンリ・ヴェルヌイユ)


「ブリット」(68)。ピーター・イェーツ監督、スティーヴ・マックィーン主演の刑事もの。中盤のカー・チェイスが当時としては凄くスリリングで、以後カー・チェイスはアクション映画になくてはならない必須アイテムとなった。その嚆矢となった点で記憶に残る作品。お話は、実はあんまり覚えていないのです(笑)。

「スィート・チャリティ」(68)。フェリーニ監督の「カビリアの夜」をミュージカル化し、ブロードウェイで大ヒットした作品の映画化。脚本がニール・サイモンで監督・振付がボブ・フォッシー、チャリティを演じたのがシャーリー・マクレーンと、今から考えるととびっきり豪華なメンバーである。心やさしいチャリティが、いつも騙されながらもけなげに生きて行く姿を描く。愛すべき佳作。70ミリで上映された。

「おかしな二人」(68)。これもニール・サイモン脚本のブロードウェイ・ヒット作。監督ジーン・サックス。ジャック・レモンとウォルター・マッソー共演。ズボラで不潔なマッソーと清潔好きのレモンというコンビがたまらなくおかしい。楽しい作品。レモンとマッソーは以後も数本のコンビ作を生み出すが、やはりこの作品がベスト。

75

 「真夜中のカーボーイ」  ('69)  米/監督:ジョン・シュレジンジャー

イギリスのジョン・シュレジンジャー監督がアメリカに渡って撮った、当時のアメリカが抱える諸問題について辛辣な皮肉を込めて描いた問題作。
テキサスのカウボーイ、ジョー(ジョン・ボイト)が憧れて着いたニューヨーク。しかしそこはゲイやら娼婦やら浮浪者がたむろする吹き溜まりのような土地だった。自身もゲイと間違われ、すっかり失望したジョーだが、ある日ラッツォ(ネズミ)と呼ばれる浮浪者と知り合い、二人は友情で結ばれる。やがてラッツォが病気で先行きが長くない事を知ったジョーは、彼の望みである、陽光溢れるフロリダに連れて行くことにするが、バスの中でラッツォは静かに息を引き取る・・・。
大都会の底辺で、肩を寄せ合うように生きる二人の姿が哀しい。ここには、かつて我々があこがれた、自由と繁栄と、リッチさと、底抜けに明るい夢と希望に溢れていたアメリカの姿はない。ベトナム戦争で疲弊し、貧困や差別や、犯罪や暴力が蔓延する荒廃した虚栄の都がそこにある。この映画はそうしたアメリカの恥部を容赦なく描いているが、そんな中にあっても、いや、そんな時代だからこそ、なおのこと友情や夢や希望は失いたくない…というテーマが強烈に胸をうつ。その夢のはかなさをほろ苦く描いたラストシーンには泣けた。ダスティン・ホフマンがチビでビッコで薄汚いラッツォを快演。ジョン・ボイトも当時新人だが見事な演技を見せる。アメリカン・ニューシネマを代表する見事な秀作である。  (日本公開'69年)

「if もしも・・・」(69)。全寮制の中等学校を舞台に、学校の厳しい管理に反撥した生徒たちが、ラストで校舎に立て籠もり、銃を乱射して大人たちを射殺する。現実と幻想が入り乱れた奇妙な味のイギリス作品。監督リンゼイ・アンダーソン。マルコム・マクダウェルが怒れる若者たちの系譜を引きずる若者を好演。カンヌ映画祭グランプリ受賞。当時は非現実的な話と思われたが、今や現実となっている。コワい。

「素晴らしき戦争」(69)。俳優リチャード・アッテンボローの初監督作品。反戦をテーマにしたブラックな味わいのミュージカル。ローレンス・オリヴィエ他イギリスの名優が大挙出演。ラストに並ぶ無数の十字架が印象的。昔観た時は面白いと感じたが、今観たらどうだろうか。

76

 「イージー・ライダー」  ('69)  米/監督:デニス・ホッパー

そしていよいよ、アメリカン・ニューシネマの、多分は最高傑作である本作の登場である。自由に生き、自由を求めてオートバイで旅する二人の男たち、ワイアット(ピーター・フォンダ)とビリー(デニス・ホッパー)…。しかし保守的な人々は彼らを毛嫌いし、あざ笑い、旅の途中で知り合った弁護士、ハンセン(ジャック・ニコルソン)は夜中に集団で襲われ殺される。失意のうちに旅する二人も、すれ違ったトラックのあんちゃんに無造作に射殺される。自由の国・アメリカは幻想だったのか…。
前掲の「真夜中のカーボーイ」と同じく、ここでもアメリカという国の偽善性と精神の荒廃ぶりが容赦なく描かれている。しかし前掲作がテーマにもかかわらず、端整な作りと、ラストの爽やかさで救われているのに対し、こちらは映像も八方破れで、ラストもまったく救いがない。それだけに余計強烈な印象を残す。日本でも、これが公開された年はよど号ハイジャックに三島由紀夫の割腹自殺…とまさに混沌の時代。そんな時代にリアルタイムで観たからこそ、私にとっては今も鮮烈に記憶に残り続ける永遠の傑作なのである。ステッペンウルフの「ワイルドで行こう」、ザ・バーズの「ワズント・ボーン・トゥ・フォロー」などの既成のロック・ミュージックを使った音楽も新鮮。いずれも、自由に生きたい―という、映画のテーマともマッチしていてうまい選曲である。サントラ盤LPレコード(CDではない)も即座に買って、これは今でも大事に置いてある(今も時々レコードプレーヤーで聴いている)。それくらい、この映画はお気に入り。まさしく我が青春のモニュメントなのである。ホッパーが'69年のカンヌ映画祭で新人監督賞を受賞。ホッパーは以後も数本の監督作があるが、本作に遠く及ばない。これは監督の能力を超えて、混沌の時代が作らせた、奇跡の傑作と言えるのかも知れない。 (日本公開'70年) 

「ひとりぼっちの青春」(69)。'30年代の不況下のアメリカで、生活費を稼ぐ為にマラソン・ダンスに賭ける人間たちの闘いと失意を重厚に描いた秀作。シドニー・ポラック監督。ジェーン・フォンダがいい。プロモーター役を巧演したギグ・ヤングがアカデミー助演男優賞を受賞。原作はホレス・マッコイの「彼等は廃馬を撃つ」。
77

 「明日に向って撃て!」  ('69)  米/監督:ジョージ・ロイ・ヒル

これまたアメリカン・ニューシネマの傑作。実在したブッチとサンダンスという二人組の強盗の、おかしくも悲しい逃避行を、ジョージ・ロイ・ヒル監督がユーモアとリリシズムを緩急とりまぜて絶妙に描く(しかし3本ニューシネマ作品の傑作を並べて見て、すべて男2人組のロードムービーである事に今気がついた(笑))。ブッチを演じたポール・ニューマン、サンダンスを演じたロバート・レッドフォード、いずれも快演。二人の共に代表作であると言えよう。この二人に途中から絡むエッタ役を演じたキャサリン・ロスも素敵。脚本を書いたのは、完成まで10年もかかったというウィリアム・ゴールドマン。ゴールドマンにとっても最高作であろう。西部劇でありながら、バート・バカラックの粋な音楽、ロイ・ヒル監督の演出も含めて、非常にモダンでおシャレな作りであり、アクション映画と言うりよりはロマンチックな青春映画の香りがする。B・J・トーマス歌う「雨に濡れても」に乗せて、ブッチとエッタが自転車を曲乗りする名シーンこそ、この映画が青春映画である事を象徴している。私もまた、青春の只中にいたのである。最後、包囲され、死を覚悟して飛び出して行く二人の姿がストップ・モーションとなり、それがセピア色に変わり、小さくなって行く(二人が伝説となった事を暗示しているが、この映画そのものもまた伝説になった)素敵なラストシーンまで、青春の痛みと哀しみが伝わって来る、西部劇の枠を超えた見事な秀作である。 (日本公開'70年) 

「砂漠の流れ者」(69)。サム・ペキンパー監督による、「ワイルドバンチ」とはうって変わって、派手なアクションも流血場面もない、しみじみと頃に沁みる西部劇の秀作。仲間に裏切られ、砂漠の真ん中に置き去りにされた主人公ケーブル・ホーグ(ジェイスン・ロバーズ)が、必死の思いで砂漠を彷徨ううち、水を掘り当て、そこを休息所にして仲間がやって来るのを待つ。気のいい説教師や娼婦のヒルディ(ステラ・スティーヴンス)とも仲良くなる。そして遂に復讐の相手がやって来た…。
既成の西部劇とは違って、ケーブルは相手を殺そうとはしない。そこに突然自動車がやって来るという展開も不思議な味わい。その自動車に轢かれて死ぬ西部劇の主人公…というのも皮肉。取り残された男はまた、西部にやって来た新しい時代にも取り残されて行く…という結末が哀しい。ペキンパーは単なるバイオレンスだけの作家でない事がよく分かる。初公開当時はいきなり2本立でB級扱いされた不幸な作品だが、後年評価が高まった。再公開時には原題通り「ケーブル・ホーグのバラード」と改題された。
78

 「いちご白書」  ('70)  米/監督:スチュアート・ハグマン

'68年に米コロンビア大学で実際に起きた学園紛争を、当時大学生として体験したジェームズ・サイモン・クーネンの原作を元に、いずれも20歳台のイスラエル・ホロヴィッツが脚色し、スチュアート・ハグマンが監督した、まさに若者たちによる若者たちのリアルな青春映画。
主人公はボート部に所属する、ノンポリであまり学生運動にも興味がなかったサイモン(ブルース・デーヴィソン)。やがて学生たちが大学のやり方に抗議し、紛争が起こると、活動家の女子学生リンダ(キム・ダービー)への好奇心から紛争に頭を突っ込んで行く。体育館に立て籠もった学生たちに、学校側は州警察の出動を要請し、遂に強制検挙が始まる。殴られ、血みどろになりながら逮捕されて行く学生たちの姿を捕えて映画は終わる。
当時、日本でも学園紛争が各地で勃発し、やはり同じ様に機動隊によって運動は制圧されていた。私のいた大学も同じだった。…それだけにこの映画を封切で観て、私自身がサイモンたちと同じ場所にいたかのようなリアルさを感じ、主人公たちに余計感情移入して観ていたのであった。ニール・ヤングやクロスビー・ステイルス・ナッシュ&ヤング等のヒット曲が効果的に使われている。ビートルズのレノン&マッカートニー作曲の「平和を我等に」を学生たちが車座になって歌うシーンが特に印象的であった。
今観ると、構内にベタベタと貼られたチェ・ゲバラ(当時絶大な人気のあったキューバの革命家)のポスターがちょっと気恥ずかしい気もするが、ともかくロードショー公開されたこの作品は若者たちに熱狂的に支持され、後にこの映画を元に荒井由実は「いちご白書をもう一度」という歌を作り、バン・バンによって大ヒットし、今も歌い継がれているくらいである。―それはこの映画が、いつの時代にも共通する、若者たちの一途でヴィヴィッドな青春の輝きとほろ苦い挫折を描いているからに他ならない。そういった普遍性を持った、なおかつ私の青春とも重なる、これは私にとっても忘れられない傑作なのである。 (日本公開'70年) 

(付記)凄いと思ったのは、映画公開の2年前に起きた記憶に生々しい紛争を、大学名も主役(サイモン)も実名で、明らかに大学や警察を悪役に設定し(ガスマスクを被った警官隊は、まるで無抵抗の市民に襲いかかるゾンビかエイリアンのように見える)、学生たちを可哀相な被害者として描いている点で(見守る市民がキャンドル・デモをするシーンがある)、しかもそれがメジャー配給(MGM)で堂々ロードショー公開されたというのも凄い。こういう所がさすがアメリカならではである。ちなみにプロデューサーは前年に秀作「ひとりぼっちの青春」(シドニー・ポラック監督)を製作し、後に「ロッキー」という大ヒット・シリーズを産み出すに至るアーウィン・ウインクラーとロバート・チャートフのコンビ。

「ビートルズ レット・イット・ビー」(70)。ビートルズのメンバーが、アルバム「レット・イット・ビー」を完成させるまでのセッションの様子を記録したドキュメンタリー。監督マイケル・リンゼイ・ホッグ。ジョンはオノ・ヨーコといつも一緒にいたり、それぞれに自分の曲作りに没頭していたり…と、ファンなら見逃せない彼らの素顔を垣間見る事が出来る。アルバム発表後、ビートルズは解散する。以後4人がコラボレーションする機会はないまま、ジョンもジョージも、今はこの世にいない。…わが青春と共にあったビートルズのありし日の姿を見るだけで涙が出て来る。

「ウッドストック」(70)。'69年、ニューヨーク郊外ウッドストックで催された、40万人もの観客を集めた大ロック・コンサートの模様を多数のカメラで捕えた音楽ドキュメンタリーの傑作。28歳の若手監督マイケル・ウォドレーは、マルチ分割画面を多用し、単なるコンサート記録映画を超えて当時の時代状況を鋭く切り取った革新的な作品を作り出した。ジョーン・バエズ、ジミ・ヘンドリックス、アーロ・ガスリー、ジョー・コッカー、サンタナなど、当時の人気アーチストが一同に会しており、音楽ファンは必見の作品である。

もう1本、音楽ドキュメンタリーの秀作を。「エルビス オン ステージ」(70)。ラスベガスのホテルで行われたエルビス・プレスリーのライブ・コンサートの模様を70ミリの大迫力画面で克明に捉えている。楽屋裏の様子などもあり、エルビスの素顔も垣間見える。プレスリー・ファンは絶対見逃せないが、ファンでなくても楽しめる。デニス・サンダース監督。

「ひまわり」(70)。ヴィットリオ・デ・シーカ監督。第2次大戦終戦後、戦争に行ったまま帰ってこない夫(マルチェロ・マストロヤンニ)を探して、妻(ソフィア・ローレン)はソ連、ウクライナまではるばる出かけて行く。やっと見つけた夫は…。戦争の深い傷あとを格調高く描いたデ・シーカ監督の佳作。一面に咲き誇るひまわり畑の映像が素晴らしい。ヘンリー・マンシーニのテーマ曲もヒットした。

79

 「小さな恋のメロディ」  ('71)  英/監督:ワリス・フセイン

ちょっと重たい映画が続いた後で、お口直しにぐっと軽くで爽やかな作品を…(笑)。幼い少年少女たちの初恋物語を、ビージーズ他の音楽に乗せて軽やかに描いた、メルヘンチックなイギリス作品。
ダニエル(マーク・レスター)はやんちゃ盛りの11歳の少年。ある日学校でバレエの練習をしている可愛らしい少女、メロディ(トレイシー・ハイド)を見つけてひと目で好きになり、やがて二人はデートを重ね、ダニエルはメロディに「結婚しよう…」と打ち明ける。

まるでママ事のような二人の結婚式。駆けつけた大人たちを友人たちが追っ払い、二人はトロッコに乗ってどこまでも走り続ける。…一歩間違うとチャチな凡作となりかねないお話だが、映画は見事な着地を見せる。子供たちはまるで天使のように純粋無垢で、くったくなく行動しているだけであり、彼らを引き離そうとする大人こそ不純である―という視点が貫かれている。ビー・ジーズやクロスビー・ステイルス・ナッシュ&ヤング等の歌が流れる場面では、そうした子供たちのナイーブで純真な生活行動ぶりや心の触れ合いがスケッチ風に描かれ、とても爽やかで甘酸っぱい気分にさせてくれる。ワリス・フセイン監督の繊細な演出感覚が光る、とても素敵な青春映画の傑作である。脚本はアラン・パーカー。後にやはり、大人のパロディとしての子供映画「ダウンタウン物語」の脚本・監督を担当した人である。心が疲れた時には、この映画を観るといい。きっと心が癒されるはずである。 (日本公開'71年) 

「屋根の上のバイオリン弾き」(70)。ブロードウェイでロングランとなったミュージカルの映画化。貧しいユダヤ人一家の、精一杯生きる姿、喜び、哀しみを数々のミュージカル・ナンバーに乗せてリズミカルに描く。家族を愛する主人公をユーモアと哀愁味を体から滲ませ演じたトポルがとてもいい。ノーマン・ジュイソン監督。冒頭のアイザック・スターン演奏するバイオリンの音色から既に映画に惹き込まれる。もう少しでベスト入りの好きな作品です。

「ライアンの娘」(70)。アイルランドの寒村を舞台に、若き人妻の不倫の恋とその波紋を堂々たる風格で描いたデヴィッド・リーン監督渾身の力作。70ミリの大画面に映し出される、荒波が打ち寄せる断崖の映像が素晴らしい。撮影は名手フレディ・ヤング。脚本ロバート・ボルト、音楽モーリス・ジャールとも、「アラビアのロレンス」「ドクトル・ジバゴ」と同じスタッフ。見応えがあります。

「ソルジャー・ブルー」(70)。実際に起きたインディアン虐殺事件を正面から捉えた問題作。ラルフ・ネルソン監督。ラストはかなり残酷で当時としては衝撃的。今観るとそれほどでもないかも知れない。

80

 「おもいでの夏」  ('71)  米/監督:ロバート・マリガン

原題は「1942年の夏」。第二次大戦が始まった翌年、避暑の為ニューイングランド沖合いの美しい島に、家族と共にやって来た15歳のハーミー(ゲイリー・グライムズ)は、小高い丘の家に住む美しい年上の人妻ドロシー(ジェニファー・オニール)に心ときめかす。友人たちと楽しい夏を過ごした後、ハーミーはドロシーに別れを告げる為、彼女の家を訪ねるが、彼女はたった今、最愛の夫の戦死を知らされたばかりだった。悲しみを忘れるように、ドロシーはハーミーと体を重ねる。そして二人に別れの時がやって来る…。
少年の、ひと夏の初恋と別れを、名匠ロバート・マリガン監督が繊細な演出で描いた青春映画の秀作である。ジェニファー・オニールがとても美しくてまさに適役。私でも惚れそうになる(笑)。名カメラマン、ロバート・サーティースのブルーがかった映像もノスタルジックな味わいがあって忘れ難い。ミシェル・ルグランの音楽もこれまた最高。
奇しくも同じ年(しかも月まで同じ8月)、日本にも「八月の濡れた砂」(藤田敏八監督)という、やはりひと夏の苦い青春群像を描いた傑作が登場している。この2本は、私にとっても最も愛すべき、切なくて泣ける永遠の青春映画のモニュメントなのである(どちらもこのベスト100の、ちょうど80本目であるというのもなんたる偶然!)。 (日本公開'71年) 

双葉さんのベスト100
 (90)「ベニスに死す」   ('71
  監督:ルキノ・ヴィスコンティ)

 (91)「ジョニーは戦場へ行った」 
   ('71 監督:ドルトン・トランボ

小林さんのベスト100
 (88)恐怖のメロディ」 ('71
  :クリント・イーストウッド)


「傷だらけの挽歌」(71)。実話を基に書かれたジェームズ・ハドリー・チェイスのクライム小説を鬼才ロバート・アルドリッチ監督が映画化。凶悪な強盗一味に誘拐された金持ちの令嬢が、次第に一味の若者に恋心を抱くようになる。そして悲劇の結末…。誘拐される少女を演じたキム・ダービーが素敵。アルドリッチらしいハードボイルド描写が捨て難い。愛着ある作品です。

「恐怖のメロディ」(71)。クリント・イーストウッド初監督作品。地方局のDJ(イーストウッド)が、遊びで付き合った女にとことんつきまとわれ、身の危険にさらされる。「危険な情事」の原型。すごくコワいですよ。師匠のドン・シーゲルが役者で参加。

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