PART 3 (No.41〜60)

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No ベ ス ト 作 品 ご 参 考
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 「エデンの東」 ('55)  米/監督:エリア・カザン

ジョン・スタインベック原作の長編小説の映画化。聖書の“カインとアベル”の物語からヒントを得て、秀才の長男アーロン(リチャート・ダヴァロス)を可愛がる父親(レイモンド・マッセイ)に反発しながらも、家族に愛されたいと望む次男キャル(ジェームズ・ディーン)の心の葛藤、苦悩、そして父との和解に至るまでを名匠エリア・カザンが格調高く描く。私は高校生の頃、リバイバル上映で観ている。
この映画の成功の要因は、何と言ってもキャルを演じたジェームズ・ディーンの存在で、伏し目がちに、常に憂いを秘めた悲しげな眼差しが、愛に飢え、ちょっとスネた、それでいて甘えん坊的でもあるキャルの複雑かつ繊細なキャラクターにピッタリ嵌まっている。おそらくこの映画は、ディーン以外の俳優が演じたなら、これほど映画史に残る傑作にはならなかったのではないだろうか。「ローマの休日」のヘップバーンと同様に、これもまた名作と俳優との運命的な出会いであろう。
この映画が日本で封切られたのは1955年10月14日だが、ディーンはそのわずか2週間前の9月30日に、24歳の若さで自動車事故で亡くなった。主演作としては本邦初お目見えであるこの作品によって彗星の如くディーンが登場した時、もう彼はこの世にいなかったのである(「燃えよドラゴン」で登場したブルース・リーの場合とそっくりである)。これもまた、この作品を伝説の名作にした理由の一つなのかも知れない。もう一つ、ヴィクター・ヤング楽団の演奏による主題曲も素敵な名曲で、これが当時ヒットパレードで長期間に亙ってベストワンを独占していたのも有名な話。ただし作曲したのはヤングではなく本作品のスコアを書いているレナード・ローゼンマンなのだが、何故かこちらのカバー盤が大ヒットしてしまった。まあ確かに、今聞いてもサントラよりはヤング楽団盤の方がずっと素敵な演奏ですがね。(日本公開'55年)

双葉さんのベスト100
 (69)「エデンの東」  (左参照)
 (70)「悪魔のような女」
  ('55 監督:アンリ・
      ジョルジュ・クルーゾー)

小林さんのベスト100
 (63)「狩人の夜」 ('55
   監督:チャールズ・ロートン)


「理由なき反抗」(55)。ジェームズ・ディーン主演第2作。いわゆる不良少年もので、作品的には大した事はないが、ディーン主演作というだけで記憶に残っている作品。しかしディーンの存在感はやはり捨て難い。ナタリー・ウッドが可愛らしい。

「悪魔のような女」(55)。アンリ=ジョルジュ・クルーゾー監督のサスペンス・スリラー。最後のドンデン返し演出はさすがクルーゾー。見応えはあります。原作は「めまい」のボワロー+ナルスジャックのコンビ。

「ピクニック」(55)。ジョシュア・ローガン監督による舞台劇の自身による映画化作品。フラリと町にやって来たウイリアム・ホールデンと彼を取り巻く人間群像劇。カラーが美しい。丁寧な演出は好感が持てる。

「大地のうた」(55)。サタジット・ライ監督のインド映画の秀作。貧しい家族の生活と苦難を描いて感動的。もう少しでベスト入り。わが国ではずっと遅れて'66年、ATGにて公開。

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 「必死の逃亡者」 ('55)   米/監督:ウィリアム・ワイラー

アメリカで実際に起きた事件を元に、ジョセフ・ヘイズが小説化し、舞台劇にもなった原作を名匠ウイリアム・ワイラーが完璧に映画化。ある普通のサラリーマン一家の家に、脱獄した3人の囚人が侵入し、家族を脅して立て籠もる。家族を人質に取られた夫ダン(フレドリック・マーチ)は会社に出勤しても本当の事が言えない。何度か追い出そうとするが失敗する緊迫した描写が秀逸。観ている方も手に汗握りハラハラする。この映画は、平和な家庭をいつ襲うかも知れない、日常の中のサスペンスを描いているだけに我々にとっても人事ではなく、こんな事が現実に起こった時、自分は父親として毅然とした態度で家庭を守れるだろうか…そう考えながら観ると主人公たちに感情移入してしまい、余計緊迫感が高まるのである。犯人役を演じた3人の俳優、主犯のハンフリー・ボガート、その弟役デューイ・マーティン、粗暴な大男ロバート・ミドルトン、いずれも個性的でそれぞれの性格も絶妙に描き分けられて見事。最後に父親としての威厳と責任感を全うし、「私の家から出て行け!」と一喝するフレドリック・マーチの演技には快哉を叫びたくなる。その父親に、ちょっぴり畏敬の念を感じるボガートのさりげない演技にも是非注目を。文句の付けどころのない、サスペンス映画の傑作である。ちなみに、深作欣二監督が'66年に発表した東映作品「脅迫(おどし)」は、この映画の巧妙な焼き直しである。父親役を三国連太郎が好演しており、これもなかなか見応えがある。比較して観るのも面白いだろう。(日本公開'56年)

小林さんのベスト100
 (64)「必死の逃亡者」 (左参照)
 (65)「野郎どもと女たち」
  ('55 監督:ジョセフ・L・
          マンキウィッツ)

「泥棒成金」(55)。ヒッチコック監督の、ややのんびりしたタッチの泥棒コメディ・サスペンス。グレース・ケリーが美しい。

「ハリーの災難」(55)。これもヒッチコック監督の、やや異色作。ハリーという死体を埋めたり掘り起こしたり…のドタバタ・ブラック・コメディ。ヒッチコックの意地悪な一面を見せた作品だが、興行的には大コケした。個人的には好きです。

「旅情」(55)。デヴィッド・リーン監督による、オールドミスの旅先での恋を描く。キャサリン・ヘップバーン、ロッサノ・ブラッツィ共演。ベニスの風景が美しい。好きな作品ですね。

「7年目の浮気」(55)。ビリー・ワイルダー監督がマリリン・モンローと初めて組んだ、ロマンチック・コメディの佳作。地下鉄の通風孔からの風でモンローのスカートがまくれるシーンが話題になった。しかし演出は相変わらず粋です。これも入れたかったが…。

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 「赤い風船」  ('56)  仏/監督:アルベール・ラモリス

風船が、まるで意思を持ったかのように小さな子供と仲良くなるが、それを見つけた悪ガキどもが風船と坊やを追いかけ、石をぶつけられて風船は萎んでしまう。悲しむ坊やのもとに、パリ中の風船が集まって来て、やがて風船につかまった坊やは空に舞い上がり、いずこともなく飛んで行く・・・という、とても心温まるファンタスティックなメルヘン。
この作品は、小学生の頃、リアルタイムで観ている。この頃観た洋画はほとんど字幕が読めなかったが、これはセリフがほとんどなかったのでその点は問題なかった。ただあまりに奇想天外なお話であった為、なんで風船が坊やの後をついて行くのか理解できなかった。しかしラストシーンは何だか分からないが、とてもウルウルしたのを覚えている。映画とは、現実には絶対に起こり得ないようなお話でも、それを実体化して描くことができる魔法のような素晴らしいものであると、この時朧げながら感じたのである。そういう意味でこの作品は、子供の時に観た映画の中では最も心に焼き付いた、忘れられない作品なのである。大人になって再見したら、これは「となりのトトロ」や「E.T.」などの、子供と人間以外の生き物との心の交流を描いた一連のファンタジー作品の系譜にも繋がる作品であると分かって、余計感動した。アルベール・ラモリスは、この後も大空に夢を馳せる素敵な作品(「素晴らしい風船旅行」「フィフィ大空を行く」など)をいくつも作っている。(日本公開'56年)

双葉さんのベスト100
 (71)「赤い風船」  (左参照)
 (72)「第7の封印」
  ('56 監督:イングマール・
            ベルイマン)

小林さんのベスト100
 (66)「ヘッドライト」 ('56
   監督:アンリ・ベルヌイユ)
 (67)「捜索者」
      
('56 監督:ジョン・フォード)



「足ながおじさん」(55)。フレッド・アスアとレスリー・キャロン主演のミュージカル。但しMGMではなくフォックス作品。相変わらずアステアの踊りは優雅で見応えあり。監督はジーン・ネグレスコ。

「夜と霧」(55)。アラン・レネ監督の、ナチス・ドイツのユダヤ人虐殺を糾弾したドキュメンタリー。わが国では'61年公開。リアルタイムで観て身の毛がよだった。カラーで撮った現代の風景と対比させた演出が鮮烈。秀作である。

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 「鉄道員」   ('56)  伊/監督:ピエトロ・ジェルミ

ある鉄道の機関士一家の日常生活を淡々と描いた、ピエトロ・ジェルミ監督の秀作。主人公のちょっとガンコな機関士アンドレアをジェルミ監督自身が好演。末っ子の少年サンドロを演じたエドアルド・ネヴォラが実に可愛い。母親役のルイザ・デラ・ノーチェもうまい。
別に大きな事件が起きるわけでもない。長女は父の許しを得ずに勝手に結婚するし、長男は失業してブラブラしている。そうした家庭のいざこざに気が緩んだアンドレアはちょっとした事故を起こし、格下げされ、酒浸りになる。…と、さまざまな不幸が一家を襲うけれど、芯の強い母と、明るいサンドロの笑顔に救われ、やがて一家に幸せな日が戻って来る。
庶民の哀歓、家族の愛、仲間の友情…などがしみじみ描かれ、心を打つ。これはあたかも、小津安二郎から山田洋次に連なる松竹小市民映画にも似た世界であり、日本人の心の琴線にも触れる、とてもせつないけれど、ハートウォーミングな素敵な作品である。カルロ・ルスティケリの哀愁味を帯びた主題曲もいい。この音楽をCDで聴くだけでも涙が溢れて来る。ピエトロ・ジェルミ監督の最高作であり、お薦めの傑作である。
(日本公開'58年)

小林さんのベスト100
 (68)「現金に体を張れ」
 
('56 監督:スタンリー・
      キューブリック)
 (69)「女はそれを我慢できない」
   
('56 監督:フランク・タシュリン)

「ヘッドライト」(56)。アンリ・ベルヌイユ監督としては一番良く出来た佳作。初老の運転手(ジャン・ギャバン)と食堂の若い娘(フランソワーズ・アルヌール)の恋と破局を描く。物悲しいドラマである。ジョセフ・コスマ作曲のテーマ曲がヒットした。

「沈黙の世界」(56)。潜水のプロであるジャック=イブ・クーストーが監督した水中記録映画の佳作。数々の水中の生き物の生態が荘厳で息を呑む美しさ。子供の頃観たがとても感動した。ルイ・マルが共同監督。カンヌ映画祭グランプリ受賞。

「捜索者」(56)。ジョン・フォード監督の異色西部劇。ジョン・ウェインがインディアンを憎む執念の男を演じる。ラストに空しさと悲しみが漂う秀作である。ナタリー・ウッド共演。

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 「昼下りの情事」 ('57)  米/監督:ビリー・ワイルダー

「麗しのサブリナ」に続くヘップバーン+ビリー・ワイルダーコンビの作品。今回ヘップバーンは少女から脱皮(?)して、プレイボーイの中年オジサマをメロメロにする小悪魔的役柄を演じている。題名といいストーリーといい、ちょっと間違えればいやらしい作品になるところだが、ワイルダーの上品で洒落た演出がそれを救っている。
パリで私立探偵を開業しているクロード(モーリス・シュバリエ)が、アメリカの富豪フラナガン(ゲーリー・クーパー)の人妻との浮気の事実を人妻の夫に報告し、それによって嫉妬に狂った夫が二人を殺しに来る事を知ったクロードの娘アリアーヌ(ヘップバーン)が、機転をきかせてフラナガンの危機を救い、そこからフラナガンとアリアーヌの恋が始まる…。いかにもロマンチックな展開で、フラナガンが雇っているジプシー楽団が演奏する「ファッシネーション(魅惑のワルツ)」が効果的に利用されている辺りもうまい。これは一言で言うなら、“粋”の世界であり、物語よりも、ワイルダーの“粋”を堪能する映画なのである。小説で言うなら、物語よりも“語り口”で読ませる作品のようなものである。これにノれない人はこの作品を楽しむ資格がない。ヘップバーンが、少女から背伸びする大人になりかけている頃という難しい役柄を好演。これもまさに、この時期でしか演じられない役であろう。ラストで、走り出した列車を追いかけるアリアーヌをフラナガンが抱き上げる名シーンは感動的である。やや難点は、クーパーが老け過ぎている点か(この時クーパーは56歳)。なおこの作品は、後にワイルダーとのコンビで「お熱いのがお好き」「アパートの鍵貸します」を始め、数々の名作を書いた脚本家のI・A・L・ダイヤモンドが、初めてワイルダーと組んだ記念すべき作品としても記憶にとどめて置きたい。
(日本公開'57年)

「黒い牡牛」(56)。高校生の時リアルタイムで観て(公開は'63年)、感動した記憶がある。闘牛場に送られた牡牛を助けたい少年の思いが奇跡を呼ぶ、心温まる感動作。アービング・ラパー監督。原作は赤狩りで追われたドルトン・トランボが変名で書いて、なんとアカデミー原作賞を受賞してしまった。

「現金に体を張れ」(56)。スタンリー・キューブリック監督による、競馬場売上金強奪計画を描いた犯罪映画の佳作。時間軸を微妙にズラした演出が面白い。もう一歩で計画成功…という所ですべてが水泡に帰すラストが印象的。

「ジャイアンツ」(56)。ジェームズ・ディーンの遺作。テキサスの雄大な自然を舞台に、ある一家の30年に渡る人生を描いた大河ドラマ。ジョージ・スティーヴンス監督。少々長すぎてちょっと退屈です。

「知りすぎていた男」(56)。ヒッチコック監督。自らの「暗殺者の家」のリメイク。脂の乗り切った時期の作品だけに、旧作よりもずっと面白い。ジェームズ・スチュアート、ドリス・デイ共演。主題歌「ケ・セラ・セラ」が効果的に使われている。好きな作品で、本当はベストに入れたかったのですが…。

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 「情 婦」     ('57)  米/監督:ビリー・ワイルダー

アガサ・クリスティの傑作推理小説を元にした舞台劇を、ビリー・ワイルダーが見事に映画化したミステリーの秀作。ロンドンの郊外に住む金持ちの未亡人が殺害され、容疑者として逮捕されたセールスマンのレナード(タイロン・パワー)は、裁判の弁護を敏腕弁護士(ただし病院から退院直後)のウィルフリッド卿(チャールズ・ロートン)に依頼する。ウィルフリッド卿は直感からレナードの無罪を確信し、病み上がりにもかかわらず弁護を引き受けるが、レナードの妻クリスティーネ(マルレーネ・ディートリッヒ)は意外な証言をはじめる…。
二転三転するストーリーをまとめるワイルダーの演出が緩急自在で、緊迫感とユーモアが絶妙にブレンドされてお見事。まったくワイルダー演出は、お洒落なラブコメディでもこうしたサスペンス劇でも、何を撮っても惚れ惚れするほどうまい。原作にも巧妙なドンデン返しがあるが、映画はさらにドンデン返しを仕掛けていて原作を先に読んでいても面白い。役者が豪華なのにも驚く。タイロン・パワーがよくあんな役を引き受けたものである。ディートリッヒはこの時56才(前掲のゲーリー・クーパーと同い年)のはずだが、妖艶で美しく、とてもそんな歳に見えない。そしてウィルフリッド卿を演じるロートンの演技がまた絶妙。医者に止められているにもかかわらず、口うるさい看護婦(エルザ・ランチェスター)の目をかすめてあの手この手で葉巻を吸ったり酒を飲もうとする、本筋とは関係ないエピソードが楽しい。ランチェスターとの丁々発止とやり取りする会話も笑える。こういった、飄々としたユーモラスな味付けによって、この作品を単なる推理サスペンスだけで終わらせていないワイルダーの名演出は本当にお見事である。このウィルフリッド卿が最後に、毅然とした意気込みで可愛そうな犯人の弁護を引き受ける…というエンディングも小気味良い。こうしたチャールズ・ロートンの名演技を楽しむだけでも一見の価値あり。裁判ミステリーの傑作である。…蛇足だが、この邦題はちょっとひどい。作品の内容をまったく伝えていないばかりか、その値打ちを下げている。なんとかならなかったものか。(日本公開'58年)

双葉さんのベスト100
 (73)「情婦」  (左参照)
 (74)「野いちご」
  ('57 監督:イングマール・
            ベルイマン)

小林さんのベスト100
 (70)「情婦」  (左参照)
 (71)「野いちご」


「白鯨」(56)。ハーマン・メルヴィルの有名な原作をジョン・ヒューストン監督が完璧に映画化。グレゴリー・ペック主演。銅版画のような画像が印象的。息絶えながらも部下たちを手招きするようなエイハブ船長の執念が強烈な佳作。SFXは今見るとチャチです。

「禁断の惑星」(56)。カラー・シネスコで描かれたSF映画の古典的名作。と言うより、ロボット・ロビーというキャラクターを生んだ事でも記憶される作品。異色なのは、イドの怪物と呼ばれる謎の生命体の正体。この当時としては先駆的なアイデアである。SF映画ファンは必見。監督:フレッド・M・ウィルコックス。

この年のもう1本の傑作SF映画を紹介。「ボディ・スナッチャー/恐怖の街」(56)。ジャック・フィニィ原作の「盗まれた街」の映画化。監督が珍しくもアクション派のドン・シーゲル。脚本リライトと脇役出演がサム・ペキンパー!という豪華な取り合わせ。SFXがほとんど使われておらず、どちらかと言うと心理的サスペンスに近い。低予算ながらジワジワ恐怖が迫る侵略SF映画の古典的名作。ただビデオのみで劇場では未公開。

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 「死刑台のエレベーター」 ('57)  仏/監督:ルイ・マル

サスペンスの秀作が続きます。これは、新人のルイ・マル監督が、わずか25歳の時に撮り上げたデビュー作。社長夫人フロランス(ジャンヌ・モロー)と不倫の恋に堕ちた中堅社員ジュリアン(モーリス・ロネ)が、社長を殺害し、偽装工作によって完全犯罪を企むが、ちょっとした手違いで乗ったエレベーターの電源を止められてしまい、ジュリアンは缶詰めになってしまう。なんとか抜け出そうとするジュリアンの焦り。帰って来ないジュリアンを探してパリの街をさすらうフロランス。一方会社の前に停めたジュリアンの車を盗み、こちらも殺人を犯してしまう若いカップル…。映画はこれら三者の行動を並列しながら緊迫したタッチで描いて行く。パリの夜をさまようフロランスの姿にカブるマイルス・デイビスの物憂いジャズ・トランペットの響きがとてもいい。素晴らしいのはラストシーン。もう少しで完全犯罪が成立するその直前、ある証拠によってそれが脆くも崩れてしまう。しかしそこにあるのはまぎれもなくフロランスとジュリアンが愛し合った日々の証しでもある。それにかぶさるジャンヌ・モローの切ないモノローグ…。いかにもフランス映画らしい洒落たエンディングであり、フランス・ヌーベルバーグの鮮烈な初登場でもあった。カメラは後に多くのヌーベルバーグの傑作にタッチすることになるアンリ・ドカエ。刑事役でリノ・バンチュラが出演。(日本公開'58年)

双葉さんのベスト100
 (75)「魔術師」
  ('57 監督:イングマール・
            ベルイマン)

「野いちご」(57)。イングマール・ベルイマン監督の代表作。功なり名を遂げた大学教授の、死を迎える直前の夢と回想と現実の交錯の中で、人生とは、生とは何かを描く。傑作との評価が高いが、昔観たきりでやや記憶があいまい。冒頭の夢のシーンは印象的だったが後半は覚えていない。トシを食った今観たら、多分感動するのではないかと思うのだが…。

「十戒」(57)。セシル・B・デミル監督のスペクタクル聖書絵巻。紅海が真っ二つに割れる特撮が見物。多分リアルタイムで観ているはず。当時観た時は面白かったと記憶しているが、今観るとどうでしょうかね。

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 「十二人の怒れる男」 ('57)  米/監督:シドニー・ルメット

テレビで放映され、高い評価を得たドラマを、テレビ版でも演出を担当したシドニー・ルメットが映画界デビュー作品として撮り上げたディスカッション・ドラマの傑作。原作・脚本はレジナルド・ローズ。
父親殺害の容疑で逮捕された17才の少年の裁判で、陪審員たちが少年を有罪にするか否かについて延々と議論を重ねる。最初は12人中11人までが有罪意見であったが、ただ一人、陪審8号(ヘンリー・フォンダ)だけが反対し、以後この8号がさまざまな疑問点を追及して1人また1人…と無罪意見に導いて行く。
最初は誰もが見逃していた些細な疑問点について、フォンダが沈着、冷静に指摘し、謎を解きほぐして行くプロセスがスリリングで、まるで本格推理小説を読んでいるかのような面白さに満ちていて見応えがある。しかし根底にあるのは人間が人間を裁く事の難しさであり、人一人の生死を机上の議論だけで決めて行く裁判制度への批判である。そして、ディスカッションを積み重ねるうちに、陪審員それぞれの人間性、トラウマまでもが次第に浮き彫りにされて行く。見事に構築されたシナリオ、絶えずカメラを移動することによって、ともすれば単調になりがちな一つの陪審室だけの物語展開に奥行きとサスペンスをもたらしたルメットの演出、いずれも素晴らしい。個性豊かな俳優たちの激しいぶつかり合いも見ものである。最後まで頑なに抵抗するリー・J・コップの熱演も見逃せない。  (日本公開'59年)

「灰とダイヤモンド」(57)。アンジェイ・ワイダ監督。ズビグニエフ・チブルスキー扮する反政府組織の若者が愛とテロリズムの狭間で悩み、無残に死んで行くまでを追ったポーランド映画の問題作。…には違いないが、話が込み入ってて昔観た時はよく分からなかった。ただ、主人公がゴミ捨て場のような所で悶え死ぬラストシーンだけは鮮烈に覚えている。名作との声は高いし、もう一度じっくり観ればベストに入るかも知れない。

「ニューヨークの王様」(57)。「ライムライト」撮影後、アメリカを追われたチャップリンが5年ぶりに撮った風刺喜劇。ニューヨークに亡命した小国の王様の目を通して、現代アメリカを痛烈に皮肉っている。さすがはチャップリン。フランソワ・トリュフォーはこの映画を絶賛している。チャップリン最後の主演作でもある。

 

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 「戦場にかける橋」  ('57)  英/監督:デヴィッド・リーン

フランスの作家、ピエール・ブール(SF映画「猿の惑星」の原作者としても有名)の、自らの戦争体験を元に書いたベストセラー小説の映画化。第二次大戦下のタイ=ビルマ戦線で日本軍の捕虜になった英軍兵士たちが、日本軍捕虜収容所長斎藤大佐(早川雪洲)の命令で、クワイ河にかかる橋の建設を命じられるが、捕虜側リーダーであるニコルソン大佐(アレック・ギネス)は自らの誇りとジュネーブ協定を盾にことごとく対立する。しかしやがて斎藤とニコルソンは不思議な友情に結ばれ、力を合わせて橋の建設に邁進することになる。
日本の斎藤大佐の武士道精神と、英軍のニコルソン大佐の騎士道精神のぶつかり合いと友情への変化が面白い。人間というものは、対立してもいつかは心が触れ合い、分かり合えるものである。しかしそうした友情の産物、クワイ河の橋を、戦争の狂気が一瞬にして破壊してしまうラストのむなしさ…(必死で爆破から橋を守ろうとしたニコルソンが爆薬のスイッチの上に倒れこんでしまうという、いかにもイギリス的な皮肉さ)。斎藤もニコルソンも死に絶え、一部始終を見ていた軍医が「狂気だ!」と叫ぶラストにこの映画のテーマが凝縮されている。戦争の愚かさを痛烈に批判したデヴィッド・リーンの重厚な演出が光る。口笛合唱が印象的なテーマ曲「クワイ河マーチ」も忘れ難い名曲である。(日本公開'57年) 

「眼には眼を」(57)。アンドレ・カイヤット監督の力作。クルト・ユルゲンス扮する医者が、診察を断った女が死んだ為に、その夫のシリア人(フォルコ・ルリ)に逆恨みされ、砂漠の果てまで追い詰められる。大俯瞰で捕えられたどこまでも続く砂漠の光景が印象的。一種の不条理劇なのだが、現代にも続く白人とイスラム民族との不毛の対立も背景にあるのではないかと思ってしまう。緊迫感溢れる佳作である。ちなみにシリア人を演じたフォルコ・ルリは、クルーゾー監督の「恐怖の報酬」でルイジ役を演じていた人でもあります。
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 「めまい」   ('58)  米/監督:アルフレッド・ヒッチコック

ピエール・ボワローとトーマス・ナルスジャックのミステリー小説の映画化。あるアクシデントで高所恐怖症になった元刑事のスコッティ(ジェームズ・スチュアート)は、旧友に頼まれ、その妻マデリーン(キム・ノヴァク)を尾行するうち、いつしか彼女を恋するようになるが、マデリーンは突然修道院の塔から墜落死してしまう。失意のスコッティはある日、マデリーンと瓜二つの女性ジュディを見つけ、彼女にマデリーンの面影を重ねようとするが・・・・。
全体としては、事件を追ううちに次第に背後に隠された謎が明らかになって行く…という本格ミステリー的色合いを持つが、これまでにも「白い恐怖」などで人間の深層心理の不可思議さを追求して来た(「レベッカ」「断崖」などにもその要素がチラリと有り)ヒッチコックらしく、これはミステリーと言うよりも、トラウマと愛の妄執にさいなまれる男の心の彷徨を描いた心理ドラマ的色彩が強い作品である。それは、本来ラストで明かされるべきジュディの正体と謎の答えを、途中ではやばやとバラしてしまう物語構成でも明らかである。その為ミステリー・ファンからはこの後半の展開に不満の声が聞かれるが、ヒッチコックの意図が分かればこの展開は大いに納得出来るのである。スコッティが長いトラウマと妄執からようやく回復したかに見えたラストにやって来る、なんとも皮肉な結末もヒッチコックらしい。
ストーリーも面白いが、凝りに凝りまくった映像も映画史の上からは見逃せない。高所恐怖症の視線として、カメラをトラックバックしながらズームアップ(で合ってるかな?違ってたら指摘してください)するカットは、後にスピルバーグが「ジョーズ」などで巧妙に引用している。ソウル・バスが担当したメイン・タイトルの、クルクル渦巻く、まさにめまいを起こしそうなアニメーション効果も抜群。また熱烈なヒッチコック・ファンであるブライアン・デ・パルマは、この映画を下敷きにして「愛のメモリー」(原題「Obsession(妄執)」)を撮っている。見比べてみるのも面白いだろう。ちなみに、「サイト・アンド・サウンド」誌が2002年に選出した“映画史上のベスト10”において、本作はなんと!「市民ケーン」に次いで2位に選出されている。(日本公開'58年)

小林さんのベスト100
 (72)「くたばれ!ヤンキース」
 
('58 監督:ジョージ・アボット
   /スタンリー・ドーネン)

 (73)「めまい」  (左参照)

「リオ・ブラボー」(58)。ハワード・ホークス監督の痛快西部劇の佳作。町の保安官ジョン・ウェインが、アル中のディーン・マーチン、足の悪い老人(ウォルター・ブレナン)、若いリッキー・ネルソンや女賭博師アンジー・ディッキンソンなどの協力を得て悪者一味を退治するまでを描く。アクションとユーモアがほどよくブレンドされて楽しい出来である。ディミトリ・ティオムキンの音楽がいい。トランペットによる「皆殺しの唄」は有名。

「大いなる西部」(58)。こちらは名匠ウイリアム・ワイラーが手掛けた西部劇。東部からやって来た男ジム(グレゴリー・ペック)が、水源をめぐっての二組の勢力の対立に巻き込まれて行く。チャールトン・ヘストン、パール・アイヴス、チャック・コナーズ、キャロル・ベイカーと出演者がそれぞれ個性的。ラストで、二組の長同士が対決するシーンを大俯瞰で捉え、雄大な西部の風景の中では、人間のつまらない争いほど空しいものはない…とワイラーは訴えているのかも知れない。ジョン・フォードとはまた違った、格調と詩情漂う西部劇の秀作である。

 

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 「お熱いのがお好き」 ('59)  米/監督:ビリー・ワイルダー

後にワイルダーとのコンビでいくつもの傑作に出演することになるジャック・レモンが、初めてワイルダーと組んだ記念碑的な作品。
禁酒法時代のシカゴで、ギャングの抗争(聖ヴァレンタインの虐殺がモデル)を目撃してしまったジョー(トニー・カーティス)とジェリー(レモン)は、彼らを消そうとするギャングから逃れる為に、女装して女ばかりの楽団に紛れ込む。二人はそこで歌手のシュガー(マリリン・モンロー)と知り合い、ジョーは彼女に一目惚れし、シュガーを中心にした3人の珍妙な道中が始まる…。
いわゆる、ドタバタ・コメディの範疇に入るが、さすがビリー・ワイルダー、男に女装させても少しも下品にならない。モンローがとても可愛い。彼女の代表曲となった"I Wanna Be Loved by You"を歌うシーンのなんたる色っぽさ(エンディングの“ププッピドゥー”なんてたまりません(笑))。笑えるシーンも満載で、ワイルダー作品中では一番腹を抱えて大笑いできる作品である。金持ちの御曹子、オズグッドV世(ジョー・E・ブラウン)に女と間違われて一目惚れされたレモンが逃げ回るあたりも笑える。'30年代のギャング映画の名優、ジョージ・ラフトがセルフ・パロディを演じるシーンも見もの。ラストで、しつこく求婚するオズグッドに「俺は男だ!」と白状するジェリー、すると「完璧な人間はいない(Well, Nobody's Perfect)」と返すオズグッドのセリフは映画史に残る名言。その時の二人の表情のうまさったらない。ドタバタコメディなのに、何度観ても楽しめる作品なんて、そうザラにあるものではない。ワイルダー+レモン・コンビの、まさに至芸とでも言うべきコメディの傑作。ちなみに本作は、AFI(アメリカ映画協会)選出の“ベスト・ハリウッド・コメディ100”で堂々第1位にランクされた。 (日本公開'59年)

小林さんのベスト100
 (74)「お熱いのがお好き」
           
(左参照)

「ぼくの伯父さん」(58)。ジャック・タチが脚本・監督・主演した喜劇の秀作。タチ扮する伯父さんの、のどかでトボけた行動を通して、あくせく働く現代人の生き方を鋭く風刺している。定職につかず、独身でフラフラしているけれど、いないと寂しい伯父さんの姿は、ちょっとフーテンの寅さんにも似ている気がする。そう言えば、「男はつらいよ」シリーズにも「ぼくの伯父さん」なるサブタイトルの作品があった(笑)。

「わらの男」(58)。ピエトロ・ジェルミの監督・主演で出演者はルイザ・デラ・ノーチェ(妻)、エドアルド・ネヴォラ(子供)、サーロ・ウルツィ(友人)と、名作「鉄道員」と同じ。姉妹編であるとも言える。ただ主人公が不倫し、相手の娘が死んでしまうという、ちょっとやりきれないストーリーはどうだろうか。小市民の哀歓…というテーマは共通しているのだが。私はやっぱり心温まる作品が好きですね。

「シンバッド七回目の航海」(58)。レイ・ハリーハウゼンのダイナメーション特撮が見事なアラビアン・ナイト・ファンタジーの秀作。監督ネイザン・ジュラン。好評につきシリーズ化され、この後2本作られた。

52

 「北北西に進路を取れ」 ('59) 米/監督:アルフレッド・ヒッチコック

ヒッチコック監督作品の、集大成とも言えるサスペンスの傑作。
広告マンのロジャー・ソーンヒル(ケーリー・グラント)は、ふとした事から政府の情報員と間違われ、黒幕(ジェームズ・メイスン)率いる秘密組織の罠にはまって、組織からも警察からも追われるハメになる。典型的な巻き込まれ型サスペンス。そして逃避行の途中で窮地を救われた謎のブロンド美女イヴ(エヴァ・マリー・セイント)とも恋に陥ちる。しかし彼女に教えられた指定の場所でロジャーは複葉機に追われ殺されそうになる(このシークェンスのスリリングな演出は圧巻)。イヴの正体は何者なのか…。と、もう次から次と襲って来る危機また危機、謎また謎−スリルとサスペンスのつるべ打ち。あっと驚くドンデン返しもあればユーモラスなシーンも、甘美なラブシーンもあり、クライマックスでは名所・ラシュモア山での崖から中ぶらりんのクリフ・ハンガー・サスペンスもあり…とまあ見せ場も満載で、ヒッチコック映画のあらゆるエッセンスがギッシリと詰め込まれた、実にぜいたくなエンタティンメント作品に仕上がっている。いろいろな小道具(ロジャーの名前入りマッチ等)の使い方も面白い。崖でロジャーがイヴに手を伸ばすショットが、寝台車の同一ショットに切り替わるシャレたエンディングも名人芸のうまさ。バーナード・ハーマンの音楽もいつもながら不安感をあおって作品にも見事マッチ。セイントを実に美しく撮った(紗がかかっている)ロバート・バークスの撮影も素晴らしい。淀川長治さんではないが、これぞ映画、これぞサスペンス。もう何度観てもハラハラ、ドキドキ、ワクワクさせてくれる大傑作である。脚本は後に「ウエスト・サイド物語」を手掛けるアーネスト・レーマン。 (日本公開'59年)

余談だが、例の複葉機に襲われるシーンは、逃げ場のない野原の真ん中で得体の知れない恐怖にジワジワ追い詰められる展開といい、パイロットの姿を全く見せない演出といい、スピルバーグの出世作「激突!」に大きな影響を与えているのではないかと思うが、如何?

「悪魔の発明」(58)。チェコのアニメ作家、カレル・ゼーマン監督による、ちょっと不思議なタッチのSFドラマ。人物だけが実写で背景や小道具はすべて銅版画調アニメで描かれる。原作はジュール・ベルヌ。いかにも東欧的な、手作りの味わいがある佳作。

「恋の手ほどき」(58)。ヴィンセント・ミネリ監督による、MGMミュージカル最後?の佳作とでも言うべき作品。アカデミー賞の作品・監督等計10個のオスカーを獲得した。モーリス・シュバリエがいい味を出している。しかし、アステアもジーン・ケリーも出演していないので、やや物足りない出来。

「南太平洋」(58)。ブロードウェイのヒット・ミュージカルをジョシュア・ローガン監督により映画化。現地ロケした風景が美しい。ミッツィー・ゲイナー、ロッサノ・ブラッツィ主演。アニタ・ホールが歌う「バリ・ハイ」が圧巻。

「黒い罠」(58)。オーソン・ウェルズ監督・主演の犯罪捜査もの。チャールトン・ヘストン、ジャネット・リー共演。冒頭のワンカット長回し撮影が面白い。ウェルズが悪徳警官に、ヘストンがメキシコの麻薬捜査官に扮している。テレビで観ただけなのでいま一つ面白さは感じなかったが、後にウェルズが編集した完全版が出ているようなので、機会があれば観てみたい。

53

 「大人は判ってくれない」 ('59) 仏/監督:フランソワ・トリュフォー

後述のゴダールなどと並んで、フランス・ヌーベル・ヴァーグの旗手となったフランソワ・トリュフォーの長編第1作であり、私が最も好きなトリュフォー作品である。
主人公は12歳の多感な年頃の少年・アントワーヌ(ジャン=ピエール・レオ)。学校が面白くなく、家でもなんとなく居づらい。いたずらをしたり、授業をサボったり、先生に反抗したり…。トリュフォーはそうした少年の孤独でナイーブな心情を共感を込めて瑞々しい映像で描く(アンリ・ドカエのモノクロ撮影が美しい)。これは、トリュフォー自身が家出をしたり、少年鑑別所に入れられた過去があり、そうした実体験が映画に反映されているからなのだろう(映画冒頭に、彼の後見人となって鑑別所から出してくれた恩師、アンドレ・バザンへの献辞がある)。映画館でスチール写真を盗んだり、朝の町で牛乳を盗んで飲むシーンなどは、ほとんど彼の実体験だという。
アントワーヌは、やがて盗みを働き、バレて少年鑑別所に送られる。護送車の窓からパリの街の灯を見つめている時、寂しそうに涙を流すシーンが忘れられない。やがて、鑑別所からも脱走し、どこまでも走り続けるアントワーヌ。遂に海岸にたどり着き、そこでフッとカメラの方を振り返った所でストップ・モーション…。観終わった時、何故か涙が流れた。子供の目線で、子供の心を判ろうとしない大人の身勝手さを鋭く批判しながらも、どこかに優しさを感じるトリュフォーの繊細な演出が素晴らしい。トリュフォーは、これ以降も「二十歳の恋(の1編)「夜霧の恋人たち」「家庭」「逃げ去る恋」と、ジャン=ピエール・レオを主演にした、いわゆるアントワーヌ・ドワネルものを連作して行く。どれも愛着のある、素晴らしい秀作である。(日本公開'60年)

どうでもいいが、この頃の外国映画(特にフランス映画)の邦題のつけ方のセンスは本当に素晴らしい。本作の原題は「400回の打擲」という身もフタもないもの。これを「大人は判ってくれない」とした配給会社(東和)の担当者は偉い。次項の「勝手にしやがれ」も同様。それに引き換え、最近の題名と言ったら・・・(溜息)。

「手錠のままの脱獄」(58)。スタンリー・クレイマー監督による、社会派的視点を持った問題作。白人(トニー・カーティス)と黒人(シドニー・ポワチエ)が手錠につながれたまま護送車から脱走し、反発し合いながらも、やがて友情に結ばれて行く。ラスト近く、汽車に飛び乗ったポワチエがカーティスを引き上げようとして、結局二人とも落ちてしまうシーン、手錠がはずれているにもかかわらず、ここでは見えない絆が二人をつないでいるように見える。当時としてはこれでも作るのに勇気がいった作品なのだろう。石井輝男監督の「網走番外地」1作目はこの作品の換骨奪胎作。

「ベン・ハー」(59)。ウイリアム・ワイラー監督による、70ミリ超大作。戦車競争シーンは語り草となっている見事な出来。内容は説明不要でしょう。アカデミー賞では最多の11部門受賞。重厚な演出で心に響く力作。大画面で何度も観たい作品である。

「刑事」(59)。ピエトロ・ジェルミ監督・主演による犯罪捜査もの。ジェルミ扮する警部がなかなか似合っている。地道な捜査の果てに犯人を逮捕するまでを描く。クラウディア・カルディナーレが、捕えられた恋人の乗った警察の車を追いかけるラストシーンが印象的。カルロ・ルスティケリ作曲の主題歌、アリダ・ケッリの歌う「死ぬほど愛して」が大ヒットした。

54

 「勝手にしやがれ」 ('59)  仏/監督:ジャン・リュック・ゴダール

それまでの既成概念や映画文法を根底からぶち壊した自由奔放な映画作りでセンセーションを巻き起こし、日本の若い映画作家たちや、後のアメリカン・ニューシネマにも多大な影響を与えた、フランス・ヌーヴェル・ヴァーグの代表作であり、ゴダールの初長編監督作品にして彼の最高作。
自動車泥棒で稼ぐチンピラ、ミシェル(ジャン・ポール・ベルモンド)は、車を盗んで走る途中、白バイに追われ、警官を射殺してパリに逃れ、アメリカから来た女パトリシア(ジーン・セバーグ)と会い、一緒に逃げようとするが、彼の愛が分からなくなったパトリシアは警察に密告し、ミシェルは警官たちに追い詰められ、撃たれて息絶える。
初めてこの映画を観た時には面食らった。自然光、手持ちカメラによる撮影も新鮮だったが、驚いたのは編集である。なにしろ、セリフは繋がっているのに、画面はプチプチ飛ぶのである。話の途中でもお構いなしにカットが途切れるし、普通なら必要と思われるショットもはずされ、映画の流れは寸断される…。まるで素人が作ったような映画―と最初は思った。しかし、2度、3度と観直しているうちに、次第に不思議な魅力を感じるようになった。むしろこれらは、既成のモラルを否定し、束縛を嫌い、奔放に刹那的に生きる主人公の心象風景を表現した映像と言えるのかも知れない。そう考えると、この映画はとても魅力的であり、ある意味では、信じていた女に裏切られ、破滅的な死を選ぶ若者の哀しみを描いた青春映画であるとも言えるだろう。
ラストで、刑事に撃たれ、ヨタヨタと逃げ、路上に倒れた後、「最低だ」とつぶやき、自分の瞼を手で閉じて死ぬシーンが鮮烈で印象的。渡哲也主演の日活映画「紅の流れ星」のエンディングは、このシーンの巧妙な焼き直しである。原案・脚本がフランソワ・トリュフォーであるというのも面白い。なお、パトリシアが空港でインタビューする作家役で、後にベルモンド主演「いぬ」を監督するジャン=ピエール・メルヴィルが出演している他、ゴダール自身もミシェルを見つけて警官に通報する男の役で登場している。これらのシーンもお見逃しなく。個人的には、映画館の前で、H・ボガートのスチール写真をミシェルがじっと眺めるシーンが好きですね(これは前掲作から判断して、多分トリュフォーのアイデアかも知れない)。(日本公開'60年)

「渚にて」(59)。スタンリー・クレイマー監督の、これも社会派の問題作。第3次世界大戦が勃発し、放射能によって地球が汚染され、人類滅亡の時期が近付いているというショッキングな物語。SFなのにほとんど特殊撮影を使わず、人類の愚かさを淡々と見据えた演出がかえって効果的。モールス信号の発信先をたどったら、風に揺られるコーラの瓶が発信機を押していた…というシーンが胸を打つ。フレッド・アステアが初めて踊らない性格演技を披露しているのも見どころ。静かな反戦映画の傑作である。

「二十四時間の情事」(59)。アラン・レネ監督が日本の広島でロケした、原爆と戦争の悲劇を骨太に描いた問題作。原作・脚本はマルグリット・デュラス。日本ロケで広島にやってきた、戦時中ドイツ人を恋人に持ったフランス女優(エマニュエル・リヴァ)と、日本人技師(岡田英次)との出会いから別れまでの1日を描く。互いに戦争で深く心に傷を負った二人の、噛み合わない心のすれ違い。かなり難解だが捨て難い魅力がある。邦題はちょっと問題あり。原題「ヒロシマ、わが愛」の方がずっといい。

55

 「誓いの休暇」 ('59)  ソ連/監督:グレゴリー・チュフライ

これは、あまり観ている人は少ないかも知れない。ソ連映画そのものが最近は観る機会も減っている為、特にこうした地味な作品はなかなかお目にかかれない。何故これが印象に残っているかと言うと、30年程前、大阪でソ連映画の連続上映会があり、そこで観たいろんなソ連映画の中で、一番ジーンと来て強く心に残ったのがこの作品だったからである。
第2次大戦のさ中、若い兵士アリヨーシャはひょんな事から敵戦車を撃破する手柄を立て、ご褒美として6日間の休暇をもらう。彼は長い間会っていなかった故郷の母の元に帰ることにする。普通なら片道に2日かかるが、それでも2日間は故郷でゆっくり出来ると考える。勇んで故郷に向かう道中で、心のやさしいアリヨーシャはゆきずりの困っている人たちを見捨てられず、善意から面倒を見たり頼まれ事を引き受けたりで道草を食い、若い娘と知り合って仄かに恋心を抱いたり…と時間は過ぎ去り、娘とも再会を約して別れ、ようやく母の元に着いた時には、もう帰りに要する2日間しか時間が残っていなかった。あわただしく母と抱き合い、すぐに帰途についたアリヨーシャ。しかし戦争が終わっても彼が母の元に帰る日は二度と来なかった…。今日も息子の帰りを待ちわびる老いた母の姿を捕えて映画は終わる。
声高に反戦を訴えているわけではない。物語は淡々と、ユーモアを交えて叙情味豊かに描かれる。しかしそれだからこそ、こんなに人々に善意を振りまき、愛された少年兵のかけがえのない命までも無残に奪って行く戦争のむなしさが、観終わった後も我々の心を締め付けるのである。エンドマークが出た時、私はポロポロ泣いてしまった。ソ連映画には珍しい、まるで古き良き時代の松竹大船映画を観ているかのような暖かい人情味に溢れ、しかしその中に厳しく人間をみつめる眼差しをも感じる、ソ連映画の中では一番愛着があり、忘れられない秀作である。 (日本公開'60年)

 
56

 「太陽がいっぱい」 ('60)  仏/監督:ルネ・クレマン

誰もが知っている傑作である。パトリシア・ハイスミス原作のミステリーの完璧な映画化。貧しいが野心に燃えるトム・リプレー(アラン・ドロン)が、金持ちの道楽息子、フィリップ(モーリス・ロネ)を海上で殺し、身分証明書を偽造し、フィリップのサインも習得してフィリップになりすまし、その財産や、フィリップの女(マリー・ラフォレ)までも手に入れる。幸福の絶頂で、太陽をいっぱいに浴びたトムの完全犯罪はしかし、ほんの些細なミスから脆くも崩れ去る…。
ミステリー映画としてもよく出来ているが、(今では珍しくないが)完全犯罪を企む男(=犯罪者)を主人公にし、全編がこの男の主観で描かれた映画というのは、それまでにあまりなかったのではないか。おまけに美男子ときているから、観客はともするとこの悪人に感情移入してしまいそうになる。それくらいアラン・ドロンはカッコいい(朝の魚市場をトムが歩く長い移動シーンも印象的)。ラストでは、このまま完全犯罪が成立してトムが幸福のままに終わるのではないかとさえ思ってしまう。ところが、そこに挿入される驚愕のドンデン返し…。最初に見た時は思わず「アーッ」と叫びそうになったくらいである。そして、あのフィナーレ。トムが画面からフレームアウトした後の海岸を延々と捕え、そこに高らかに響き渡るニーノ・ロータ作曲のテーマソング…。いかにもフランス映画らしい、余韻を残したシャれたエンディングにウットリしてしまった。鮮烈な青い海の色をシャープに表現したアンリ・ドカエのカメラも素晴らしい。サスペンス映画としても一級品だが、根底には貧しい青年が金持ちの息子に対して抱くコンプレックスと殺意という、ラスコリニコフ(ドストエフスキー作「罪と罰」の主人公)的なテーマも内包していると見てもよい。フランス・フィルム・ノワールの伝統に、新しい感覚を盛り込んだ名匠ルネ・クレマンの演出が冴える、犯罪ミステリー映画という枠を超えた、永遠の名作である。 (日本公開'60年)

双葉さんのベスト100
 (76)「太陽がいっぱい」(左参照)
 (77)「甘い生活」
  ('60 監督:フェデリコ・
            フェリーニ)

小林さんのベスト100
 (75)「太陽がいっぱい」(左参照)
 (76)「甘い生活」

57

 「アパートの鍵貸します」 ('60)  米/監督:ビリー・ワイルダー

またまたビリー・ワイルダー作品。でもやっぱり大好きなのだから仕方がない。特にこれは、出世の為に上司にゴマするサラリーマンの悲哀を描いており、同じサラリーマンである私には特に身につまされる(笑)作品なのである。脚本は例によってワイルダーとI・A・L・ダイヤモンドとの共作。
大手保険会社に勤めるC・C・バクスター(ジャック・レモン)は、上役のご機嫌を取る為、自分のアパートの部屋を上役の情事用に提供している。口コミで伝わって利用者が増え、大勢の上役のアパート提供スケジュールをバクスターがメモを見て調整するシーンがケッサクである。隣の医者が、バクスターが毎晩女を連れ込んでいると勘違いするシーンも笑える。だが、バクスターが密かに思いを寄せるエレベーターガールのフラン(シャーリー・マクレーン)までもが上司の浮気相手である事を知って彼は動揺する。ある日、フランが自分の部屋で自殺を図った事から、物語は大きく転換して行く…。フランをかいがいしく看病しながらも、出世欲と彼女への思いとの間で揺れ動くバクスターの切ない立場が泣ける。人情の機微を絶妙に描いた脚本のうまさ、ワイルダー演出のなんたる見事さ。小市民の哀歓を体から滲ませたジャック・レモンの演技も最高。シャーリー・マクレーンもキュートで素敵。バクスターの勤務するオフィスのオーバーなくらいのだだっ広さもおかしい。割れたコンパクトや、スパゲティのザルにもなるテニス・ラケット、シャンペンなどの小道具の使い方もうまい。都会派コメディのお手本のような傑作である。アカデミー賞では、作品賞を含め5部門を受賞している。 (日本公開'60年)

双葉さんのベスト100
 (78)「処女の泉」
  ('60 監督:イングマール・
            ベルイマン)


「スパルタカス」(60)。スタンリー・キューブリック監督の、帝政ローマにおける奴隷たちの反乱を描いた70ミリ超大作。単なるハリウッド・スペクタクル史劇に終わらず、圧政に苦しむ下層階級の怒りと反乱というテーマに鋭く切り込んだ演出はさすがキューブリックである。カーク・ダグラスが自身のプロダクションで製作・主演した。脚本はあのダルトン・トランボ。堂々たる風格の秀作である。

「素晴らしい風船旅行」(60)。「赤い風船」のアルベール・ラモリス監督初の長編劇映画。気球に乗ってのんびりとヨーロッパを旅する…それだけの作品なのだが、大空の上から見下ろした地球の風景がなんとも言えぬほど美しい。観ているだけで爽やかな気分になれる、今で言うヒーリング・ムービーの傑作。

58

 「サイコ」    ('60)  米/監督:アルフレッド・ヒッチコック

実際にあった事件を元に、ロバート・ブロックが書いた小説をヒッチコックが映画化。
これはヒッチコック監督作品としては、非常に異色の作品である。ヒッチ作品のほとんどは、スパイ・サスペンスや巻き込まれ型サスペンス、心理サスペンス、ユーモア・ミステリー…といった、いわゆるサスペンス・ミステリーものが多いのだが、本作は多分初めてのショッキングな“ホラー”である。製作費はわずか80万ドルという低予算であり、いろいろな意味で実験的な作品であると言えよう。
ストーリーも異色である。なにしろ、当時のスターであり、出だしの展開から見て主人公と思われたジャネット・リーが、裸で惨殺され、開巻30分足らずで画面から消えてしまうのである。このシャワー室の惨殺シーンは、わずか45秒ほどながら、緻密に組み立てられた絵コンテに基づき1週間もかけて撮影され、見事なカット割りで映画史に残る名シーンとなっている。
モーテルの経営者、ノーマン・ベイツを演じたアンソニー・パーキンスがまさにハマり役。マザコンで、繊細だがどこか内に狂気を秘めた不気味なキャラクターを絶妙に演じる。次々と起こるショッキングな殺人シーンの怖さ。物語が進むに連れてますます深まる謎。そしてクライマックスにおいて明らかになる驚愕の真相…。当初の公開時は、ヒッチコック自ら、最後の30分は観客の入場を禁止したという。それほどこのラストはショッキングである。その後無数に登場するホラー・ショッカー映画は、ことごとくこの「サイコ」をお手本にしていると言っても過言ではない。異常心理、二重人格もののハシリでもあり、後のサイコ・サスペンス(“サイコ”という言葉もこの映画から生まれた)ものの元祖であるとも言える。アンソニー・パーキンスはずっと後に作られた続編「サイコ2」でもその後のノーマン・ベイツを演じたり、パート3では自ら監督も兼ねる等、後半生を「サイコ」に捧げることとなる。映画の歴史を変え、1俳優の人生をも変えてしまったという意味でも、これはまさに記念碑的な傑作であると言えよう。 (日本公開'60年)

小林さんのベスト100
 (77)「サイコ」  (左参照)
 (78)「情事」
  ('60 監督:ミケランジェロ・
         アントニオーニ)

 

「荒野の七人」(60)。黒澤明監督の「七人の侍」を西部劇に翻案したジョン・スタージェス監督作品。主演のリーダー、ユル・ブリナーが島田勘兵衛と同じ坊主頭というのがおかしい。なかなかうまくアレンジしているが、黒澤作品の風格、詩情、ダイナミズムには遠く及ばない。しかし単なる西部劇と見ればこれはこれでメリハリの利いた水準作であると言える。

未知空間の恐怖 光る眼」(60)。ジョン・ウィンダムの「呪われた村」の映画化。イギリスのある村で、突然女性たちが同時に妊娠し、生まれた子供たちが急成長し超能力を持っている事が分かる。宇宙からの見えない侵略の恐怖と、それに気がついた学者の戦いを描くSF映画の秀作。子供たちの眼が異様に光っているシーンが怖い。続編が作られたが本邦未公開。ビデオのみ出ている。監督ウルフ・リラ。なお、後にジョン・カーペンター監督によりリメイクされている。

59

 「ナバロンの要塞 ('61) 米/監督:J・リー・トンプソン

アリステア・マクリーンの小説をJ・リー・トンプソン監督が完璧に映画化した戦争冒険活劇映画の傑作。ドイツ軍がギリシャのエーゲ海にあるナバロン島に設置した、巨大な大砲を抱える要塞を撃滅すべく編成された、6人の精鋭からなる特殊部隊が敵地深く潜入し、任務を遂行するまでを描く。特殊部隊のメンバーは、登山家でもある軍人キース・マロリイ大尉(グレゴリー・ペック)をリーダーに、爆破のプロ、ミラー(デヴィッド・ニーブン)、射撃の名手のギリシヤ軍人スタブロ(アンソニー・クイン)、ナイフの名人ブラウン無線兵(スタンリー・ベイカー)…といった各分野のスペシャリストたち。次々と襲い来る危機また危機、内部にスパイがいる事まで発覚し、それは誰かという疑心暗鬼のサスペンスもあり、さらには味方の艦隊が射程距離に入るまでに爆破しなければならないというタイム・リミット・サスペンスまでも加わり、まさに手に汗握るスリルの連続。砲台のエレベータがある位置まで降りると起爆装置が発火するよう細工をするが、何度か寸前で止まってしまう…というシーンもあってハラハラ、ドキドキ。それだけにラストの大爆破シーンは快哉を叫びたくなるほどのカタルシスが感じられる。その後に続々と登場する、特殊部隊による要塞攻略アクションものは、すべてここからスタートしたと言っていい。カーク・ダグラス主演の「テレマークの要塞」、リー・マーヴィン主演の「特攻大作戦」、同じマクリーン原作の「荒鷲の要塞」、さらには本作の続編?「ナバロンの嵐」等々…。しかし本作を上回るものは残念ながらない。
もっと言えば、007シリーズも明らかに本作の影響を受けている。「ドクター・ノオ」、及び「007は二度死ぬ」以降の諸作は、多くが特殊任務を受けたボンドが敵陣深く潜入し、敵の要塞や秘密基地を爆破する…というパターンである。まさに本作こそ、あらゆる冒険サスペンス・アクション映画の原点である…と言っても過言ではない。
この映画を私は中学か高校時代にリアルタイムで観ている。とにかく堪能し、興奮し、映画の面白さに取りつかれた、忘れられない作品である。なお、いかにも第二次大戦秘話的な作りであるが、これはまったくのフィクション。ナバロンという地名も実在しないし、当時、あんな大きな砲台も存在しなかった。が、当時の私はこれは実話であると、ずっと信じていたのである(笑)。 (日本公開'61年)

小林さんのベスト100
 (79)「血とバラ」  ('61
   監督:ロジェ・ヴァディム)


「血とバラ」(61)。ロジェ・ヴァディム監督による耽美的かつ幻想的な吸血鬼映画の傑作。当時の夫人アネット・ヴァディムが美しい。メル・ファーラー共演。ラストで、真っ赤なバラがモノクロに変わるシーンが忘れられない。恐らくは鈴木清順作品にも影響を与えているのではないかと見る。

「ニュールンベルグ裁判」(61)。社会派のスタンリー・クレイマー監督作品。連合国によるナチ戦犯を裁く国際裁判の経過を緊迫感溢れる演出で描く。出演俳優がスペンサー・トレイシー、マクシミリアン・シェル、バート・ランカスター、モンゴメリー・クリフト、リチャード・ウィドマーク、ジュディ・ガーランド、マレーネ・ディートリッヒと豪華。いろいろいと考えさせられる問題作である。

「101匹わんちゃん大行進」(61)。ディズニーお得意の動物キャラが大活躍する楽しいアニメ。悪役のクルエラ・デ・ヴィルが凄いメイク(笑)で印象的。リアルタイムで観て楽しませてもらいました。ちょっと残念なのは、この作品を最後にディズニー・アニメがやや精彩を欠きはじめ、記憶に残る作品がしばらく途切れてしまった事。ウォルト・ディズニー本人もこの作品の5年後に他界した。なお、後のリバイバル時には題名から「大行進」が取れていた。後年にはこの作品の実写版「101」製作された。

60

 「ウエスト・サイド物語 ('61) 米/監督:ロバート・ワイズ/ジェローム・ロビンス

これはもう、大好きどころの騒ぎではない。高校生の頃観て大感激し、リバイバルの都度3回も4回も観て、今は無きシネラマOS劇場のラストショーでも観て、多分劇場で観た回数としては一番多い作品である。無論ビデオでの鑑賞回数も数え切れない。娯楽映画としては生涯におけるマイ・ベストワン作品である(芸術映画のベストワンは「市民ケーン」)。余談だが、同級生の中にこの映画を60回以上も劇場で観たアホな(もとい、熱狂的な)奴がいたそうな(笑)。ビデオがない時代とは言え、ご苦労な事である。もっとも、今では信じられない事だが、この作品は当時、なんと東京の丸の内ピカデリー劇場で1年半にわたって!(*1)ロングラン上映されるという、驚異的な記録を残している。それだけリピーターが多かったわけなのだろう。(こうなったのは、当時は洋画ロードショーはごくわずかの劇場でしか上映しないシステムをとっていたせいで、また70ミリ方式(*2)という事もあって、東京ではこの1館のみ、全国でもたったの24館!でしか上映されなかったそうである)
配給収入は約13億円。今から見れば少ないように見えるが、入場料金の安かった当時(*3)としては驚異的な数字で無論その時代の歴代最高。この記録は'72年に「ゴッドファーザー」が登場するまで11年間破られなかった。
作品の内容については、説明は不要だろう。レナード・バーンスタイン作曲によるミュージカル・ナンバーがまず素晴らしい。「ウエスト・サイド・マンボ」「マリア」「トゥナイト」「アメリカ」「クール」「サムウェア」等々…どれもが名曲ぞろい。ニューヨークの街中で歌い踊る、ジェローム・ロビンス振付による群舞のなんたるダイナミックさ(個人的にはタッカー・スミス歌う「クール」が最もお気に入り)。4組が別々の場所で歌う「トゥナイト」がカットバックされ、やがて1つにまとまる大コーラス・シーンには鳥肌が立った。誤解から悲しい悲劇に終わる結末にも打ちのめされた。私にとっては初めて観たハリウッド・ミュージカルで、冒頭のマンハッタンの空撮から、ラストのソウル・バス・デザインによるクレジット・タイトルに至るまで、どれも強烈な印象が脳裏に刻み込まれている。映画の素晴らしさをあらためて認識させられたという点でも、これは生涯忘れられない傑作である。ただ、後に知った事だが、この映画の登場で、アステアやジーン・ケリーの陽気なMGMミュージカルは息の根を止められる結果になったそうで、ちょっと複雑な思いではある。(日本公開'61年)

(*1)記録によると、丸の内ピカデリー劇場での連続上映は昭和36年12月23日から昭和38年5月17日まで、なんと511日間!だったそうな。

(*2)横幅が70mmあるフィルムを使用しての上映。当然映写機も日本に数十台しかなく、上映劇場は限られていた。この当時は本作や「ベン・ハー」「アラビアのロレンス」「クレオパトラ」等、70ミリ映画の大作がどんどん作られていた。なお、一部地方劇場や2番館では35ミリ版で上映された。

(*3)これも記録によると、当時の平均入場料は84円現在は平均で1,260円程度。丁度15倍である。13億円の配給収入は従って現在料金に直すと195億円。いかに凄いか分かるだろう。

[出典:「世界映画記録全集」('73年・キネマ旬報社)他]

双葉さんのベスト100
 (79)「ウエスト・サイド物語」
          (左参照)

 (80)「突然炎のごとく」 
  
(61 監督:フランソワ・
         トリュフォー)

「突然炎のごとく」(61)。フランソワ・トリュフォー監督の長編第3作。親友同士の二人の男が、1人の女を同時に愛してしまったことから起こる悲しい物語。いわゆる三角関係ものだが、トリュフォーの繊細な演出によって愛すべき秀作になっている。男たちを魅了する奔放な女を演じるジャンヌ・モローがとてもいい。好きな作品です。ベストに入れたかったのだが…。原題は男たちの名前である「ジュールとジム」。これも邦題がうまい。

「ティファニーで朝食を」(61)。これははっきり言えば、ストーリーはどうでもよくて、ただひたすら、ロマンチックなムードを楽しむだけの作品。オードリーの美しさと、名曲ムーン・リバーを堪能できれば十分である。当初の企画では、マリリン・モンローが主演だったが、モンローが降りてヘップバーンに決まったという事である。役柄がコールガールだから、モンローならまったく違った作品になっただろう。それも観たかった気がするが・・・。ヘンな日本人(なんとミッキー・ルーニー)はご愛嬌。ちなみにこの作品は、音楽のヘンリー・マンシーニがヘップバーン、並びにブレイク・エドワーズ監督とそれぞれ出会った最初の作品であり、以後ヘップバーンもエドワーズもずっとマンシーニとコンビを組むこととなる。そういう意味では記念碑的な作品ではある。

「噂の二人」(61)。名匠ウイリアム・ワイラー監督の、自身による2度目の映画化。オードリー・ヘップバーンとシャーリー・マクレーンの二人が、同性愛だと噂を立てられ、マクレーンが自殺するというちょっとショッキングなお話。心ない噂が人間の運命を変えてしまうコワさ。ヘップバーンがシリアスな役柄に挑戦。マクレーンも微妙な役柄を好演。ワイラーの演出は端整で風格がある。小品だが味わい深い佳作。

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