デビルマン  (東映:那須 博之 監督)

 永井豪原作による、伝説的な伝奇バイオレンス劇画の映画化。壮大なストーリー展開とスケール感のあるビジュアルに溢れているこの原作を映画化するのは至難の業…と言われていただけに、映画化にチャレンジした事はまず素直に評価したい。
 しかし…である。出来上がった映画を観て、唖然としてしまった。これはちょっとヒドい。
 お断りしておくが、私はネット上その他で酷評されていようが、面白い所があれば将来性も見込んでそれなりに評価して来ている。「あずみ」も「バトルロワイアルU」も、新人らしい熱意や意気込みを買ってやや甘い点数をつけて来た。だからこの作品でも、先入観に惑わされずに素直な気持ちで観た。少しでも良い所があれば持ち上げる気でもいた。
 そんな私の目から観ても、これはひど過ぎる。批評以前の問題である。むしろ何でこんな愚作になってしまったのか、その点を分析してみる必要があるのではないだろうか。― まず、ヒドい点を以下に列記する。
 一番いけないのは、あの長大な原作を、無理矢理2時間という短い時間に詰め込んでしまった点である。それも、もう少し枝葉や贅肉を刈り込んで全体を再構築し、一貫したストーリー展開にすべきなのに、いろんなエピソードをダイジェスト的にあれもこれもと盛り込んだ為に、どのエピソードもブツ切れ、散漫で、主人公が自分の運命に苦悩し、怒り、そしてその運命をどう受け入れて行くか―という重要な芯となるべき部分がまるで描けていないのである。これは脚本(那須真知子)がまずダメである。やっつけ仕事としか思えない。文芸ものでは手堅い手腕を発揮している那須真知子とも思えない出来の悪さである。
 次に、出演者たちの演技がなっていない。主演二人はロック・グループの歌手だそうだが、それにしてもヘタである。昔は歌手であっても、山口百恵にしても沢田研二にしても萩原健一にしても、演技も上手かったし、存在感もあった。歌い手のレベルが落ちて久しいが、才能がないジャリタレには何をやらしてもダメという事だろう。せめて監督がとことんシゴきまくって鍛えればなんとかなったかも知れないが…。シゴいてもダメだったのかどうか…。それにしても、脇役に至るまで新人か本職以外ばかりで、俳優と呼べる役者がチョイ役の本田博太郎しかいないというキャスティングもどうかと思う。対決シーンの、まるで気の抜けた掛け声は、とてもカネを取って見せるレベルではない。
 CGを中心としたSFXも、部分的に見るべき点はあるが、全体的には低レベルである。シレーヌとの対決シーンのCGはあまりにチャチ過ぎる。10年前のレベルにすら追い付いていない。低予算の「ゼブラーマン」の方がまだマシだった。4ヶ月も公開を延期したのは何だったのか(すると延期しなければもっとヒドかったという事か)。意味不明のゲストや、「キル・ビル」のヘタなパロディまがいのシーンは何を考えてるのか…。まじめに作っているのか疑わしい。―まだ他にもあるが、キリがないのでもうこのくらいにしておく。
 一番いけないのは、この映画をどんな層に対して見せようとしているのか、そのポリシーがまったく感じられない点である。原作のコアなファンを対象としているのか、主演のアイドル歌手目当てのファン対象なのか、それとも洋画を観ている観客も含めた、幅広い層を対象としているのか―。原作ファンからは怒りを買う作り方だし、主演歌手ファン対象にしてはハード過ぎる内容だし、洋画で目の肥えた観客からは、こんなチャチなSFXや学芸会演技では失笑されるのがオチである。

 さて、何故こんなヒドい事になったのか。私なりに結論を申せば、“プロデューサーの不在”―この一言に尽きる。
 最近は製作費のかかる映画はみんな“製作委員会”方式で、クレジットにはズラリとプロデューサー、企画者の名前が並ぶが、単に金を出した会社の担当者として名を連ねているだけで、本来の意味のプロデューサーがどこにもいない。だから脚本の欠点、構成の粗雑さ、配役の難点…等々の問題点を誰もチェック出来ず、出来上がってから気付いた時には手遅れになっていた…という事なのだと思う。それとも、委員会のメンバーがそれぞれ勝手に注文を出して、船頭多くして船、山に登る―という状態になったのだろうか。いずれにせよ、全体を統括するトータル・コーディネーターとしてのプロデューサーが不在であったのは間違いないと思う。
 アメリカのようなプロデューサー・システムが発達した国では、プロデューサーが脚本やプロットを徹底的にチェックする。出来が悪いと何度も直させたり、それでもダメだったら遠慮なく別の脚本家に頼んでリライトさせる。製作が開始されても演出が気に入らなければ途中で監督を交代させる事もザラ。出来上がっても、モニター試写会で観客の評判が悪ければさらに撮り直し、カットも行う。…こうしたプロセスを踏むから洋画には駄作が少ないのである。
 東映にも、昔は気骨のあるプロデューサーが多かった。何しろ満映帰りのマキノ光雄から、後の社長岡田茂、仁侠映画の俊藤浩滋に集団時代劇から「二百三高地」に至る天尾完次、「仁義なき戦い」からカンヌ・グランプリの「楢山節考」に至る日下部五朗…と、錚々たるサムライがあまた居た。脚本には徹底的にダメを出して納得できるまで書き直しを要求し、撮影現場にも目を光らせる。だから東映はずっとヒット作や娯楽映画の秀作を世に送り出して来たのである。今はそうした豪傑プロデューサーもみんな引退し、本物のプロデューサー不在の状況が続いている。ために、「北京原人」や「千年の恋・ひかる源氏物語」のようなトンでもないチョンボ作(それらをプロデュースしたのが現社長(笑))や、「RED SHADOW 赤影」や「魔界転生」のような観客をガッカリさせる失敗作が続出するのである。監督も含めて、人材育成を怠って来たツケがジワジワとボデーブローのように効いて来ているのである。―この問題については以前にも、2000年度のワーストワン感想にも書いたが、その後も東映の体質はなんにも変わっていないし、反省もしていない。困ったものである。本当に東映よ、しっかりせよ!と声を大にして言いたい。