バトル・ロワイアルU   (東映:深作欣二/深作健太 監督)

 ガンで死を宣告されていた深作欣二が、自らのラスト・フィルムに選んだのが本作である。前作のヒット以降、いろいろと次回作が検討されたが、最終的に深作監督が「どうしてもやりたい」と、希望したのが前作の続編であった。前作は高い評価は受けたものの、“中学生同士の殺し合い”という内容に、良識派(?)からは非難の声が巻き起こっていたにも係らず…である。私は、これは多分、前作ではまだ十分に描ききれなかったテーマ“少年たちを戦争に駆り立てる大人(国歌)への怒りと反逆”をさらに追求しようとしたからではないかと思う(これについては前作の私の批評も参照のこと)。“すべての大人に宣戦布告”という惹句がそれを物語っている。
 しかし残念なことに、深作欣二監督は1シーンを演出したのみであの世に旅立たれた。そして作品は、深作監督の息子であり、プロデューサー・脚本を担当した深作健太が引き継ぐことになった。いきなりこんなビッグ・バジェットの作品を肩に背負う事になった健太監督の苦労は並大抵ではなかったと思われる。言ってみれば、芸術的な焼物を作っていた名陶工が窯に火を入れたところで亡くなり、仕上げを(まだ経験の浅い)その息子に託したようなものである。どう考えたって父親のような立派なものが作れるはずがないのである。ましてや前作を快く思っていない人たちも多い。私は、とにかく酷い出来にならなければ良いが…とハラハラしながらスクリーンに対峙したのであった。
 結論から言って、思ったほど酷い出来ではなかった。それどころか冒頭の生徒たちが武器を持たされるくだりから孤島に上陸するまでのアクションは父親を彷彿とさせるダイナミックさで、これだけでもホッとしたのであった。上陸シーンでは欣二監督のお家芸=手持ちカメラでワザと画面をブラせるなど、父親の演出に対するリスペクトも抜かりない(これを非難する人が多いが、「狂犬三兄弟」をまず見よと言いたい)。・・・ただ、中盤以降に演出のダレが見られ、ここはやはり経験不足が露呈している。しかし後半、アメリカが介入して来るあたり(映画では「あの国」とボカしている)からラストにかけてのたたみ込みはさすがカエルの子はカエル、アクションになると俄然活き活きとして来る。中には“秋也たちが孤島に立て篭もっているのなら、ミサイルをぶち込めばすぐ片がつく”なんて揶揄する人がいるが見当違い。国歌の目的は“中学生たちを憎み合わせ、殺し合いをさせる”事にあり、秋也の抹殺は二の次なのだから。それがうまく行かないとなると次に自衛隊員を派遣し、これも殺し合わせる。…国歌にとっては自衛隊員も単なる道具に過ぎない…という深作らしいアイロニーが感じられる(自衛隊がイラクに派遣される事になった今から見ると、すごい先見性である)。そして、“すぐにミサイルを飛ばしたがるアメリカ”、“その影で犠牲を強いられるアフガニスタンの子供たち”まで持ち出し、“こうした大国の横暴がテロリストを生み出すのだ”という所まで結論を持って行く深作親子の確信犯的な映画作りには正直な所、その強引さに呆れながらも感心してしまった。
 ただ、狙いは分かるものの、本来はブラック・ユーモアとパロディ精神に満ちた寓話であった原作(舞台となるのも日本ではなく架空の共和国)なのに、こういう現実世界のリアリティを取り込むのはちょっと方向が違うのではないか…と思ってしまう。そして時間が足りないのか、細かい描き込みも足りず、舌足らずの感は否めない。意余って力足りず・・・という出来になったのは残念ではあった。
 しかしそういう不満点はあるが、父親の死を乗り越え、健太監督は“新人としては”よく健闘したと思う。幸い興行的にはまずまずだと聞く。次回作を撮るとするなら、今度はシナリオにベテランの手を借りてでも、バランスの取れた作品に仕上げて貰いたい。深作欣二亡き後、骨太のアクションを作れる人材がいない日本映画を立て直す為にも、彼に寄せる期待は大きい事を肝に銘じ、更なる精進に励んで欲しいと思う。頑張れ!健太。