トゥモロー・ワールド  (英:アルフォンソ・キュアロン 監督)

 

 西暦2027年、人類に子供が生まれなくなって18年後、世界は荒廃し、イギリスのみが鎖国体制によってかろうじて秩序を維持している。ある日、役所に勤めるセオ(クライブ・オーウェン)は別れた妻から、人類の運命を託された一人の少女を国外に脱出させる手助けをして欲しいと頼まれる。否応なく協力されられたセオは、翻弄されるままに少女を守り、戦火の中を逃げ延びて行く…。

 突っ込みどころを探せばいくらでもある。
@2027年の18年前って言うと、2009年(あと3年!)じゃないですか。その時で既に地球上に1人しか子供が生存していないという事は、いったいいつから子供が生まれなくなったんだ??
A世界中に子供が1人もいないという事はどうやって確認したのか?例えばインドや中国の奥地で下界との接触を絶っている村(トンマッコルみたいな(笑))まで調べたのか、そこらにはひょっとしたら子供がいるかも知れない(笑)。

 そもそも、何故子供が生まれなくなったのか理由は描かれていないし、なぜゲリラ組織が人類最後の綱である赤ん坊を国外組織に送り届けるのを妨害するのかも分からない。また、なぜイギリス国内に赤ん坊を置いとけないのかも不明である。

…と、こんな具合に真面目に考え出すと、この映画はアラだらけである(原作はそれらをきちんと説明しているのかも知れないが…)。

 むしろ、これは一つの寓話と見るべきだろう。それは、未来だというのに乗り物や、特に兵器なんかがほとんど第二次世界大戦の頃と変わっていない点にも現れている。砲弾が飛び交う戦場の中を逃げ回る主人公を見ていると、なんだかR・ポランスキー監督の秀作「戦場のピアニスト」を観ている気分になって来る。

 だからこの作品は、SFというよりは、今も世界のあちこちで起きている内戦、民族紛争に対する痛烈な風刺と考えるべきなのかも知れない。憎みあい、殺しあってばかりいると、人類はしまいに滅んでしまいますよ…というのがテーマなのだろう。

 そう考えると、この物語は旧約聖書における、ノアの方舟、あるいはソドムとゴモラなどの人類滅亡エピソードを連想させる。これらにおいて、神は人類の堕落に愛想をつかし、人類を滅ぼしてしまおうとするが、やはりわずかの善意の人は生かして、またそこからリスタートするチャンスを与えてくれる。黒人の少女が産む赤ん坊は父親が分からないが、これもキリストを産んだマリアの処女受胎を連想させる。ラストに現れ、人類の再出発のとなる船は、まさに現代のノアの方舟なのだろう(黒人少女の名前が“キー”であるのも暗示的である)。

 荒廃してしまった地上において、暗闇の中の1本のロウソクのようにちいさな命が誕生した、その光景を見て、兵士たちは戦いを一時的に止め、人々はひざまずく…。そのように命を大切に思う人間的な心がある限り、人類にはまだ希望が残されている―と作者たちは言いたいのかも知れない。相米慎二監督作品を思わせるワンカット超長回し撮影がドキュメンタルな効果を生んでいる。観終わってから、いろいろと考えたくなるこれは不思議な味わいの佳作である。

  (採点=★★★★