武士の一分  (松竹:山田 洋次 監督)


 こういうのを、職人技…と言うのだろう。まさに一分のスキもなく見事に完成された名品である。

 物語はムダなく、よどみなく流れ、四季折々の風物の中で人間の営み、所作が丹念に綴られ、一幅の名画を見ているかの如き満足感が得られる、クオリティの高い作品である。

 しかしそれでいて、笑えるし、泣けるし、迫力あるチャンバラ・アクションは堪能出来るし、ラストは爽やかな余韻が残る…といった具合に、誰もが楽しめる大衆娯楽映画としても素晴らしい出来なのだから、もう脱帽するしかない。

 黒澤明監督作品もやはり芸術性と娯楽性を併せ持った力作が多いが、どちらかと言うと、庶民にはちょっと近寄り難い威厳・オーラがあるような気がする。

 その点、山田作品は、「男はつらいよ」に代表されるように、ごく普通の大衆・庶民が観ても安心して楽しめる居心地の良さがあると言えるだろう。

 ある意味では、格調高い芸術作品を作るより難しいかも知れない。お見事…としか言い様がない。参りました。

 

 製作発表された当時、キムタクこと木村拓哉の主演を懸念する声もあった。アイドル人気に頼った企画…とも言われた。

 しかし、天下の山田洋次がアイドルというだけで俳優を起用するはずがない。キムタクの俳優としての資質を十分見抜いた上での起用である。

 キムタクはその意向に十分応えた。もともと剣道をやっていたということもあるが、殺陣の迫力、目が見えなくなってからの鬼気迫る熱演、いずれもピタリ役に嵌まって好演である。

 この映画のポイントは、丹念な四季の移り変わりの描写であり、また食事や、城の侍の勤務振りなど、日常の何気ない生活のディテールをきっちりと描いた部分である。

 庭の落ち葉が、季節ごとに変わって行くし、夏のホタルも美しい。これをわざわざCGを使って動かしているが、我々観客が綺麗…と思えば思うほど、もう新之丞(木村)はこの美しい風物詩を一生見ることは出来ないのだ…という悲しみが胸を打つのである。こういうさりげない描写に手を抜かない所が山田洋次監督の良さである。

 殿を待つ植え込みで群がって来るヤブ蚊までCGを使っている。普通の監督はここまでしない。これがある事で、暑い夏の季節感、下級藩士の悲哀、さんざん待たせて“大儀!”のひと言だけの殿さまに対する風刺…がそれぞれ強調される結果となる。うまい!

 他にも、雨、稲光、強風…といった自然描写が、主人公の心情(悲しみ、怒り、絶望感等)の暗喩となっている辺りもきめ細かな心配りである。

 前2作は数編の短編を拠り合わせて長編の映画に仕立てたが、本作は短編「盲目剣谺返し」1本のみが原作である。従って、如何に原作にないエピソードを(原作の雰囲気を壊さずに)追加してお話を膨らませるか…という所が山田洋次を中心とした脚本チームの腕の見せ所となる。

 その膨らませた部分が、まったく原作の味わいを損ねることなく、作品の厚み、風格として見事に生きている。これが職人の技である。

 これも原作にないエピソードだが、新之丞が子供好きで、将来は早く隠居して子供たちに、個性に合った剣道を教えたい…と夢を語る部分がいい。川べりで子供相手に、楽しそうにふざけるシーンがちゃんと伏線になっているし、盲目になった後、伯母の子供相手に木刀で稽古をつけるシーンも出て来るが、これらの描写から、もしかしたら新之丞は将来、子供相手の剣道場を開いて夢を実現するのかも知れないと私は思った。それであれば将来の生活の心配も解消されるだろう。あの感動のラストと合わせて、私は見終わった後、心の底から“よかった”と思い、胸が熱くなったのである。

 憎き敵役の島田(坂東三津五郎)との決闘シーンも凄い迫力。やや短いとの声もあるが、原作ではもっと短い。ダラダラやるより、私はあれで十分だと思う。坂東三津五郎はスクリーンでは初めて見たが、堂々たる悪役ぶりでお見事。目の演技、刀さばきも素晴らしい。さすが歌舞伎俳優である。もっと映画に出て欲しい。

 キムタクは、特に目が見えなくなってからの演技がいい。見えない目で不貞を働いた妻を凝視する、暗闇に光る目はゾッとする凄みがある。妻・加世を演じた壇れいもさすが宝塚女優。役にピッタリ収まっている。そしてピカ一が中間・徳平を演じた笹野高史。山田映画の常連だが、本作では素晴らしいバイ・プレイヤーぶりを見せる。軽妙な受答えで、暗くなりがちな物語にホッとする明るさをもたらしている。それでいて、先代からずっと三村家に仕えて来た年輪の重みも感じさせ、まさにいぶし銀といっていい名演技である。今年の助演男優賞はまず決まりである。

 作品の完成度は、「たそがれ清兵衛」にやや分がある。しかし、本筋とは関係ない日常描写、自然風物などのディテールも含めたら、3部作中、本作が最高の出来だと私は思う。何度観ても心がなごみ、堪能出来る素晴らしい名工のマスターピースだと言えよう。傑作である。     


(おマケ)

3部作を比較してみると、いろいろ微妙な関連性と言うかリンクしている部分(遊んでいる部分もある?)があって、これも楽しい。

@1作目は、短編3本を縒り合せていたが、2作目では短編2本に減り、そして本作では短編1本…と、1作ごとに原作の数が減っている。従ってこれで山田監督による藤沢作品映画化は打ち止めになるわけである。

A主人公の裃(かみしも)が1作目では極端にくたびれていたが、2作目ではややマシになり、本作ではかなりピンとなっている。まあ妻がいるから当然だが(炭火を使ったアイロンをあてるシーンがある。江戸時代からアイロンあったんですね(笑))。なお冒頭で徳平が裃を触って直すシーンにはニヤリとさせられた。

B中間が、いつも狂言回し的な役柄で笑いの部分をカバーしている点が共通している。前2作ではこれも山田組常連、神戸浩が勤めたが、1作目で神戸が、朋恵の家に口上伝達に行くシーンが本作での徳平が島田の家に果し合いの口上を伝えに行くシーンとリンクしている。

C3作とも、小林稔侍が主人公の上司を演じている。

D1作目の決闘の相手、田中泯が2作目では剣道の師匠に扮しているが、2作目の敵役・緒方拳が3作目でこれまた剣道の師匠に扮している。この調子で行くと次作では坂東三津五郎が剣道の師匠になるか(笑)。

E2作目で、親友・狭間弥市郎の妻(高島礼子)が家老(緒方拳)に、亭主の命を救うというエサで手篭めにされるが、本作では加世がやはり同じようなシチュエーションで手篭めにされる。で、どちらの悪役とも必殺剣(共に“隠し剣”シリーズ)で倒される。

 

(12/9 追加)

 「武士の一分」に関する批評やブログを読んでると、「主演の木村拓哉が、早逝した市川雷蔵を彷彿とさせる雰囲気がある」という意見が多数ありました。

 言われてみれば、確かにいくつかの雷蔵主演映画を連想させる要素が見受けられます。
 今回はその辺りについて…。

 
Photo まず、“主人公の武士が、身体障害者となって絶望にさいなまれ、かつ妻を陵辱され、その復讐のために剣をふるうというストーリーライン、さらに、夫婦の愛情がテーマとなっている点…などが、雷蔵の傑作「薄桜記」(59年・森一生監督)と非常に良く似てます。

 こっちは視力を失いますが、「薄桜記」では片腕を失います。さらにその作品では、夫婦愛の象徴として、1対の紙雛人形が印象的に使われてますが、本作ではつがいの文鳥がポイントとなってます。
 妻を離縁した後、新之丞は1羽が死んだのを知って、もう1羽を空に放ちますが、ラストで妻が戻った時「また鳥を飼わねばな」とつぶやきます。つがいの文鳥が、夫婦愛の証しとなっているわけで、これも「薄桜記」の紙雛人形と同じ役割を果たしていると言えます。

 視力を失ったことで絶望にさいなまれる辺りの木村の演技は、そう考えると、まさに雷蔵が乗り移ったかの如き虚無感と妖気が漂っている感じを受けます。

 ついでながら、どちらにも片腕を斬られ、ドサリと腕が落ちるシーンが出てきます。あちらでは主人公、こちらは坂東三津五郎扮する島田藤弥という違いはありますが(笑)。

Photo さて、もう1本、これは主人公が盲目になる…という共通点から、これも雷蔵主演の秀作「大菩薩峠」(60年・三隅研次監督)を思い出させます。

 で、この作品には、なんと、“主人公・机龍之介(雷蔵)と試合する相手の妻が、尋常では勝ち目がないと思い、試合の前日の夜、龍之介に手加減してもらうよう頼みに訪れ、その代償として操を奪われる”…という、前作「隠し剣 鬼の爪」とまったくそっくりなシーンが登場します。

 本作でも、禄高を維持してもらうようにと、理由は異なりますが、やはり妻が頼みに行って、その代償として体を玩ばれてしまう展開となります。玩んだ相手があちらでは主人公の方(笑)という違いはありますが…。

 原作者の藤沢周平さんは、ひょっとしたら雷蔵映画(または中里介山の原作)から本作のヒントを得たのではないでしょうか。そんな風にふと思ってしまいました。

 
Photo   もう一つついでに、雷蔵主演の傑作映画「斬る」(62年・三隅研次監督)という作品の中で、主人公(雷蔵)が三味線の持ち方にヒントを得て、“三弦の構え”という必殺剣法を編み出すくだりが、藤沢作品における、“隠し剣”をいやでも連想させます。

 で、この主人公がラストで、警護を任されていた大目付を死なせてしまった事から、責任を取り、切腹してしまいます。武士の一分を果たした…というわけです。

 

 こんな具合に、よく思い起こせば市川雷蔵主演映画と本作との間には、驚くほど共通点を見ることが出来ます(ちょっとこじつけ紛いの所もありますが(笑))。

 今後ですが、木村拓哉は、本気で取り組めば、間違いなく平成の市川雷蔵になれるだけの力はあると私は思います。剣道の腕前も素晴らしいし。

 こういう、ルックス、雰囲気、演技力、オーラをすべて兼ね備えた俳優というのは現在では稀有な存在です。映画界の発展のためにも、是非木村拓哉が本腰を入れて映画俳優の道に進んでくれる事を期待したいと思います。