トンマッコルへようこそ  (韓国:パク・クァンヒョン 監督)

 

 

今から56年前、朝鮮半島で勃発した、いわゆる“朝鮮戦争”を背景に、戦争の愚かしさをメルヘンチックに描いたファンタジー反戦映画の快作。

偵察機が不時着したアメリカ兵、仲間とはぐれた北朝鮮の3兵士、脱走兵と衛生兵という取り合わせの韓国軍兵士…の6人が、それぞれ道に迷い、辺鄙な山中で俗世間と離れて暮らす人たちが住む村、トンマッコルにたどり着く。

この村には新聞もラジオもないらしく、下界からは隔絶している為、朝鮮半島全域が戦争状態であることを知らない。…いや、村の歴史においても全く戦争や争いごとを経験した事がないようで、兵士たちの武器を見てもそれが何か全く解らない。さらにはちょっとオツムの弱い少女ヨイル(カン・ヘジョン)が無邪気にまとわり付く。

こうして、対立する南北兵士たちは、このなんとものどかな村で暮らすうちに、次第に刺々しさから解放され、心を通わせ、協力し合い、戦争の空しさを悟って行く。が、やはりいつまでも平和ではいられない。村が誤解からゲリラ基地と間違われ、爆撃される事を知った兵士たちは、この平和な村を守る為に命を張って戦うことになる。

全体がトボけたコメディのような作りである。銃を突き付け対立する兵士たちの前を、「アホなことに構ってられない」とでも言いたげに悠々と通り過ぎる村人たち。手榴弾のピンを、アクセサリーに欲しいとヒョイとと抜いてしまうヨイル。極めつけは襲って来たイノシシを兵士たちが力を合わせて退治するシーンの超スローモーション。「スウィング・ガールズ」のイノシシ退治シーン(やはり−と言うか静止画像に近い超スロー)を思い出して笑った。

無益な殺生をする軍隊、いやその向こうにある国家そのものを痛烈に笑い飛ばし、我々に「世界がみんなトンマッコルのような平和な世の中になったらどれほど素晴らしい事だろう」と思わせてくれる。

この映画を観て思い出したのが、フランス映画「まぼろしの市街戦」(67年:フィリップ・ド・ブロカ監督)である。まあ簡単に紹介すると、第一次大戦さ中、精神病院の患者だけが取り残された村に派遣された伝令兵(アラン・ベイツ)が、のどかで平和な精神患者達と暮らすうちに、次第に彼は戦争の空しさを悟って行く…というもので、テーマ的に似た内容である。ヨイルの扱いから見ても、多少ヒントにした形跡も覗える。

こちらの作品が訴えるものはズバリ、“戦争とは狂気である”という事であり、その象徴として精神病院患者と、殺し合う兵隊を対比させ、“本当に狂っているのはどっちだ”と訴えているのである。

ビデオ屋でもほとんど見かける事はないが、本作に感動した方には是非観ていただきたい、反戦映画史上に残る秀作である。

「トンマッコル−」に戻ると、本作は秀作であることは疑いないが、うっかりすると「やはり平和を守る為には、誰かが犠牲になってでも戦わなければいけないのだ」という軍事力必要論に収斂してしまう危険性も孕んでいる。ラストの兵士たちの戦いぶりがそれまでのトボけたユーモアとうって変わって悲壮感溢れる描き方であるだけに、余計そう感じてしまう。

それと、冒頭とラストの戦闘で夥しい血糊をぶち蒔けているのもメルヘンチックな物語からは浮いている。国民性の違いなのだろうか。「まぼろしの市街戦」が銃撃戦においてもまったく血が飛び出ず、キョトンとしているうちに全滅してしまうあっけらかんさとは対照的である(まあ、あの時代はそれが普通だったのだが)。

そういう難点はあるものの、やはり是非観ておいて欲しい秀作である。
ただ、やはり現在も南北分断の悲劇を継続し、緊迫した空気にある韓国国民の鬱屈した思いは、平和ボケに慣れた我々日本人には理解不能ではないかと思うと、忸怩たる気分にならざるを得ないのだが…。

 (採点=★★★★☆