手 紙  (ギャガ=松竹:生野 慈朗 監督)

 

 東野圭吾の同名ベストセラー小説の映画化。

 犯罪者でなく、犯罪者を身内に持つ人間の苦悩を描く…という着眼点がいい。これまで、あまり小説でも映画でも描かれて来なかった題材だが、差別や、いじめによる自殺等が多発する今の時代に合ったタイムリーな企画だと思う。

 生野慈朗演出は、さすがテレビドラマや、'88年の劇場映画「いこかもどろか」などの監督で実績があるだけに、泣かせどころや演出のメリハリもしっかりしていて見事な作品に仕上がっている。

 なによりもこの作品のいいところは、本当に悪い人間が登場しない点である。

 無論、アパートに落書きしたり、ネットで身内に殺人者がいる事を書き込んだりする心ない人たちはいるが、それらは一切姿や実体が画面に登場する事はない
 それに対し、主人公直貴(山田孝之)の周囲に登場する人たちには、悪い人間は一人もいない。

 兄の剛志(玉山鉄二)が殺人を犯したのも、つい出来心から生じたはずみで殺意はなかったし、刑務所で彼は出所したら真人間になる事を誓っているであろう。

 直貴と喧嘩した同僚(田中要次)を、最初はいやな奴だと思わせて置いて、実は大検の勉強をしていて、直貴に教わりに来るなど、本当は彼なりに必死で生きている人間である事が判るという様に、脇の登場人物に対しても細かい配慮がなされている。

 直貴のクビを切る経営者は、本心では何とかしてあげたくても、それによって客が減れば死活問題になるし、なにより、「最初に言ってくれれば何とかしてあげられたのに。嘘をつかれたのでは雇用原則である信頼関係が保てない」という言葉は本質を突いている。

 後に登場する家電販売店会長(杉浦直樹−好演)の言葉にしても同様だが、社会の荒波の中で修羅場を生きて来た人たちの考え方は、実に説得力があり、兄や世間の冷たい風を憎む直貴が逆に人間的にまだまだ未熟であることを浮き上がらせている。

 唯一、令嬢の朝美(吹石一恵)に直貴の兄の事を告げ口する婚約者がいるが、これもいつかは必ずバレる事実を隠していた直貴の方が明らかに悪いのであって、この男が間違っているわけではない。

 悪い人間が主人公を苦しめているわけではなく、むしろ彼を温かく見守る人間の方が多く登場する。

 それにもかかわらず、何事もうまく行かず主人公は苦悩し、迷い、現実から逃げようともがく。重苦しいけれど、それゆえ単なるドラマを超えたリアリティが感じられる。

 

 この映画が素晴らしい点は、“加害者の家族の苦悩”をテーマにした事もさりながら、決して、世間の冷たい風にさらされる主人公を、同情を寄せるべき可愛そうな人間…という描き方をしていない点で、ある意味ではむしろ彼を、はっきりと主体性を打ち出せない、優柔不断でいいかげんな人間…という捉え方をしているようにも見えるのである。

 一部で言われているように、世間からひっそり隠れて生活しているかと思えば、お笑い芸人を目指したり、金持ち令嬢と結婚しようと思ったりする直貴の行動は確かに一貫性がなくて、私も最初はこんな主人公には共感できない…と思った。

 しかし、後半のクライマックス、家電販売店会長の言葉によって、この作品のテーマがはっきりした。

 『差別のない場所を探すんじゃない。君は“ここ”で生きていくんだ』
 『殺人犯の家族が差別されるのは、当然なんだ。その差別も含めて、君のお兄さんの罪なんだよ』

 原作では、ジョン・レノンの名曲「イマジン」が象徴的に登場するが、
 確かにレノンが歌う同曲の一節
「国境のない社会を想像してごらん、強欲も貧困もない、みんなの心が一つになる世界を想像してごらん…」は理想である。

 原作では、これは主人公が一番好きな歌となっている。そんな世の中になればいいに決まっている。

 しかし理想は理想であり、現実ではない。我々が生きているのは、なかなか思い通りにならない現実社会である。ならばその現実を認め、その中で共存し生きて行かなければならないのである。

 原作ではミュージシャンを目指していた直貴を、映画ではお笑い芸人志望に変えてあり、これはどうかな…と思ったのだが、ラストの刑務所慰問シーンで、「兄貴は兄貴ですから」と語る直貴の、ようやく前をしっかり見据えた姿を描きたかった為には、この変更はやっぱり必要だったのだろう。

 ラストは泣けるけれども、凡百の泣かせる映画とは明らかに違う。兄の剛志は弟の手紙で、弟を如何に苦しめて来たかを知り、その罪の重さを悟った故の涙であり、直貴はまた、それでも兄はやはりかけがえのない肉親であり、自分もその罪を引き受け、前に向かって兄と共に生きようと決意する、その明るい笑顔にうたれる故に泣けるのである。

 この物語は、直貴の人間としての成長ドラマであり、そして人間は愚かで間違いもするし、憎しみあったりもするけれど、それでも人間はみんなと力を合わせ、共存して生きて行かなければならないのだ…というテーマに迫った力作である。

 原作も素晴らしいが、原作の意図をしっかり見つめ、2時間の映画としてまとめた脚本、演出も見事。お奨めである。

 ただ、満点にならなかったのは、直貴を支える由美子を可愛い沢尻エリカが演じている点で、沢尻の演技がいけないという事ではなく、もっと普通の、目立たない(あるいはちょっとブスな)女の子にすべきではなかったか…という事である。あんなに可愛いくてしかも献身的な子ならすぐに仲良くなりそうである(笑)。ついでに、関西弁はまったく不要。

 これで思い出したのが、浦山桐郎監督の傑作「私が棄てた女」(1969)である。

主人公の男(河原崎超一郎)には、ちょっとブスだけれど心はとても清らかで、献身的に彼を愛してくれる女ミツ(小林トシエ)がいたのに、金持ちの令嬢(浅丘ルリ子)と結婚したい為にミツを棄てる。最初はこんな女…と思っていた男は、ミツの死でミツの愛に初めて気付き泣き崩れる。

 フェリーニの「道」にしてもしかり、無垢な心を持つ女はブスかちょっと足りない方がいのである。そこがちょっと残念であった。