虹の女神 Rainbow Song (東宝:熊澤 尚人 監督)
お話は、主人公の青年・智也(市原隼人)が学生時代に付き合ってた女の子・あおい(上野樹里)が事故で死んだ事を知り、その彼女との過去を回想する…というストーリーで、お話そのものはさして珍しくない。 それより私がツボにハマッたのが、彼らが学生時代に映画研究会(映研)で8ミリ映画を作っていた…というエピソード。 映研でなくても、若い頃にホームムービーを含めて8ミリフィルムに触った事のある人なら、きっと懐かしさで胸が一杯になるに違いない。 以下は、やや本論からははずれるかも知れないが、8ミリ映画を知らない世代の為の8ミリ映画講座…と思ってお読み頂きたい。 実は私も昔、会社で行事記録を撮影するためのカメラ班を任され、この映画にも出てくるようなフジカシングルエイトの高性能カメラで8ミリフィルムの撮影、編集をやっていた事がある。 もう時効だが、そのカメラを練習の為と称して家に持ち帰り、フィルムのみ買って子供の成長記録をそれで撮っていたのである(ズルいな〜(笑))。 当時フィルムにはフジとコダック系の2種類があり、(ちょうどベータとVHSのビデオのように)カートリッジの互換性はない。で、フィルムの質感にも微妙な差があり、フジはやや青みがかって落ち着いた色調、コダックは赤の発色がよく、カラフルな色調であった。フジの色調の愛好家もいたが、全般的には(特に自主映画を撮るような人には)コダック・フィルムが好まれた。私も後にコダック系のカメラを買ったので両方の違いも経験済みである。 ただ、コダックの欠点は巻き戻し不可で、オーバーラップなどの特殊撮影が出来なかった事である。 その点、この映画にも出て来るZC-1000などのフジの高性能機は、高速度撮影(スローモーション)、逆回転、オーバーラップなどの特殊撮影が可能で、8ミリで自主映画を撮る人にはこのカメラは垂涎ものであった。会社用フジカシングルエイト・カメラを使って撮った、スローモーションで動く子供の映像は我が家のお宝である(ますますズルい(笑))。 そんなわけで、この映画の後半で、あおいがコダックのフィルムをフジのカートリッジに詰め替えて使っていた…というエピソードが明かされるのはそれで納得いただけるだろう。 で、実はこの裏ワザは、プロデューサーの岩井俊二が自主映画を撮っていた頃、実際にやっていた方法だそうで、彼女の8ミリに対するこだわりは、実は岩井俊二の体験に裏打ちされていると言えるのである。 8ミリフィルムの編集もまさにアナログで(アナクロと言えるかも(笑))、 現在ではコダック・フィルムは国内では製造中止になっており、現像もアメリカまで送らないとダメで、今では8ミリで映画を撮る人はほんの一握り(それもほとんどはフジ)…と言われている。 従って、写メールが出来る携帯が登場するこの映画の舞台となった時代(多分今世紀初頭)に、大学の映研で8ミリフィルムで(しかもフィルム入手が困難なうえに、フィルム代と現像コストはもの凄く高くつくコダック・フィルムを使って)映画を撮るなんて事はほとんどないだろう。従ってこのお話は、かつて8ミリフィルムで映画を撮っていたすべての映画少年たちに捧げるノスタルジックなオマージュである…と言えるだろう。 ・・・さて、本題に戻ると、映画はそうした映画作りを通して知り合った若者たちの、不器用で頼りないけれど、一生懸命に頑張って生きている姿を等身大で描き、新鮮な感動を呼んでいる。 難を言えば、あおいの想いに応えられなかった智也は、いくらなんでも鈍感過ぎないか…と言う点だろう。最初は別の女の子やあおいにストーカーまがいの行動を取ってたくらいなのに。積極的なのか奥手なのかよく分からん性格だ。 それをカバーして余りあるのは、前述の8ミリという素材にこだわる映画愛であり、熊澤監督の若者たちにに向けるやさしいまなざしである。 ―もっとも、その原動力はやはりプロデューサーの岩井俊二によるところが大きいだろう。 例えば、物語の冒頭で既に恋の相手が死んでいる事、そしてラストで、あるアイテム(代筆手紙―図書カード)によって、相手の想いが主人公にも観客にも明らかになる…という展開が、岩井俊二監督の傑作「Love Letter」とよく似ているし、そして出演俳優は岩井監督の「リリイ・シュシュのすべて」の市原隼人、同作や「花とアリス」の蒼井優など、岩井映画の常連で固められている。 熊澤監督としては、岩井俊二から離れてもこのレベルの映画が作れるか…という点を次回作で是非証明して欲しいものである。 ともあれ、8ミリへのこだわりによって私の採点はぐっと上がって・・・ (採点=★★★★☆)
新世代の旗手として活躍している岩井俊二がプロデュースを担当し、「ニライカナイからの手紙」などの新進・熊澤尚人が監督した爽やかな青春映画の佳作。
8ミリ…と言っても今の若い人は8ミリビデオくらいしか思いつかないかも知れない。
しかし20年ほど前まで、ホームビデオが出回るまでは、子供の成長記録を残そうと思えば、8ミリフィルムを使ったカメラしかなかったのである。
智也とあおいの上司、佐々木蔵之介が「その手があったか!」と悔しがるのは、当時コダック・フィルムを使っていた8ミリ愛好家なら多分みな同じ気持ちであろうと推察される。
スプライサーというカッターでフィルムを切断し、専用の透明テープでつなぎ合わせるだけである。彼女が映研の部室で、切ったフィルムを紙に貼り付けているシーンも、8ミリに触った経験のある人ならよく分かるのである。