フラガール (シネカノン:李 相日 監督)
いきなり断言する。これは大傑作である。必見である。
本作を観るまでは、本年度のベストワンは、西川美和監督の「ゆれる」に決めていたのだが、これを観て変わった。この映画、「フラガール」を文句なく本年のベストワンに決めることにする。 (10月15日付記) この作品の評価が全般的に高いので、いい気分である。
とにかく笑える、泣ける、そして深い感動を呼ぶ。これほど楽しくて感動し、かつ泣けた映画は昨年の「ALWAYS
三丁目の夕日」以来である。いや、あの作品も遥か超えて、ここ数年の中でも最高と言っていい。
どれほど面白いかは、観た人なら分かるだろう。映画ファンなら絶対観ておくべきである。
いや、映画ファンだけでなく、普段めったに映画を観ない方でも、仕事が面白くない、リストラされた、人間関係がうまく行かない、落ち込んでいる・・・・
こういう悩みを抱えている方なら、観ておくべきである。きっと気分が晴れて、ちょっぴり元気になって、「よし、頑張ろう!」という気になるに違いない。
この映画は、もしかしたらそんな素晴らしいパワーと活力さえも人にもたらす奇蹟の作品と言えるのかも知れない。
この映画のどこがいいのか。――それは、要約すれば、傑作映画に共通すると私が独断で決めている次の3点にある。
(1)着想がユニークである
(2)正統娯楽映画としての要素を網羅した、娯楽映画の王道を行く作品である
(3)現代社会が抱える問題点について、鋭い観察力、深い洞察力を持って追求し、その中で悩みながらもしたたかに生きようとする人たちの勇気と行動を描く社会派ドラマである
どれか1つの要素を持つだけでも、立派な傑作になりうるのに、あきれたことにこの映画はそれらすべてを網羅している。これだけでも奇蹟である。
(1)の着想のユニークさについては、これが実話であり、しかも「東北の田舎町にハワイアンセンターを作る」、「盆踊りしか知らない田舎の娘たちにフラダンスを踊らせる」という誰もが危惧するような仰天アイデアであり、「それが結果的に大成功し、町おこしのパイオニアともなった」という、まさにNHKの「プロジェクトX」にでも採り上げられそうな題材である点が挙げられる。
実は、もとの企画では、このハワイアンセンターを立ち上げた社長が主人公だったという事である。それはそれで面白そうで、「陽はまた昇る」(VHSビデオを開発したビクター工場の話)のような映画になったかも知れないが、これほどの傑作にはならなかっただろう。フラガールを主人公に持って来たからこそユニークなのである。
着想(企画)がユニークゆえに、映画史に残る傑作になったものとしては、黒澤明監督の「七人の侍」が代表作である。何しろ、“百姓がサムライを雇う”のである。
同じ黒澤の「天国と地獄」も、“もし誘拐された子供が人違いだったら”という着想ゆえの勝利である。スピルバーグの傑作「激突!」も、“ハイウェイで巨大タンクローリーにつけ回されたら…”という着想がユニークだった。
こういう着想が素晴らしければ、映画はほとんど成功したも同様である。後は如何に脚本に肉付けするかだけである。
(2)の点については、私なりの“正しい娯楽映画”論を述べたい。
整理すると、物語として@主人公が、ひょんな事から(行き掛かりで)あるチーム(プロジェクト)に参加するハメとなる。A最初は慣れずに失敗し、チームワークもバラバラでどん底に落ちる。Bそこから猛烈な特訓を経て、チームも次第にまとまり、主人公たちは自己を見つめ直し、人間的にも成長する。Cそして最後に大勝利する。
・・・・というパターンの作品で、代表的なものとしては、周防正行監督「シコ、ふんじゃった。」、矢口史靖監督「ウォーターボーイズ」「スウィングガールズ」、洋画では「メジャーリーグ」などがある。やや近い作品(Cの要素が少ない)としては、大林宣彦「青春デンデケデケデケ」、周防「SHALL WE ダンス?」、磯村一路「がんばっていきまっしょい」、洋画の「クールランニング」なども入れていいだろう。
笑いあり、涙あり、友情、愛、周囲の励まし、そして勇気と感動があり、観終わって元気になれる…そんな楽しい映画こそ、娯楽映画の基本中の基本であり、だからこれらの作品は傑作となり、多くの人にいつまでも支持されているのである。前掲の「七人の侍」だって、よく見ればこれらの要素が巧みに織り込まれているのである。
本作もまた、確実にそのパターンを踏んでいる。
さらに(3)である。昭和40年代、炭鉱不況で多くの人が職を失い、先が見えない時代と町が舞台である。これは今の時代にも通じる、社会的なテーマである。
閉山で失業し、夕張に流れて行く家族も登場する。落盤事故で命を失う炭鉱夫もいる。
こうした社会情勢を厳しく見つめた傑作映画も多い。今村昌平監督「にあんちゃん」がまさにそんな作品(炭鉱が舞台)だし、山田洋次監督「家族」も、職を失った家族が北海道に向かう、時代を見据えた傑作だった。
洋画にも炭鉱ものは傑作が多い。イギリスの「ブラス!」(1996)が代表だろう。炭坑閉鎖を経て、音楽に勇気と希望を見いだす人たちを淡々と描いた秀作である。炭鉱町に生まれた少年がロケット開発者となる「遠い空の向こうに」(1999)もそうだった。
このように、本作は娯楽映画のパターンを着実に踏まえながらも、社会派映画としての要素も併せ持ち、それぞれが互いを邪魔することなく、見事に融合しているのである。
これが奇蹟と言わずして何だろう。だから素晴らしい傑作と言えるのである。
監督の李相日の作品は「69
Sixty Nine」、「スクラップヘブン」を観ているが、どれもイマイチであった。本作はそんな作品群からは想像も出来ないくらい、見事な風格と完成度を持っている。ある意味では、監督の技量をも超越している…と言えるかも知れない(と言えば失礼か(笑))。
「リストラ」という言葉はやや否定的に捕えられているが、正しい意味は「リストラクチャリング」=再構築 である。
この映画は、構造不況で先行きの見えない中で、懸命に新しい道を模索した、町(や、リストラに会っても夢と希望を追い求めた人々)の再生の話であるが、同時に、元SKDダンサーで、田舎に落ちぶれて来た平山まどか(松雪泰子)の再生の物語でもある。
そう、進む道を見失ったからといって絶望することはない。人は頑張る勇気さえあれば何度だって再チャレンジは出来るのである。
この映画は、そんなさまざまな夢と可能性と勇気を、観る人にも与えるであろう素晴らしい作品なのである。必見!
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当初はミニシアター公開だったのに、シネコンがどんどんラインナップに組み込んでくれて、興行成績では2週連続3位(興行通信社調べ)。
これは凄いことである。どこまで記録を伸ばすのか。「ALWAYS
三丁目の夕日」並みのブームになってくれればとても嬉しい。
欲を言えば、興行収入50億円クラスにまでなって欲しい。作品的にはそれくらいの吸引力があると思う。宣伝につられて「ゲド戦記」や「パイレーツ―」を見るより、こちらを見る方がずっと値打ちがあると思う。
そうなった時が、日本映画が本当に活力を取り戻した時だと言えるだろう。
そのうえ、今年度米アカデミー外国語映画賞“日本代表”にも選出されたという。ただ、どちらかと言うとアート系作品が受賞するケースが多いだけにちょっと難しい気もするが…。まあとにかく楽しみにしておこう。
ところで、ある批評サイトで、とても残念な批評文を読んだ。あえて名前は挙げないが、かなり老舗の映画紹介・批評サイトで、私も昔からよく読ませてもらっている。
映画ファンが書き込んだ素人評なら目くじら立てる気はない。私だってダメな作品をケナすことはよくあるから。
しかし、このサイトはある程度知名度もあり、ここの批評を読んで、映画館に足を向ける人だって多いと思う。それだけに無視するわけには行かない。この批評を読んで、つまらない作品なのかと思い、映画を見る機会を失ったとしたらその人にとっても不幸だからである。
以下、その文章を引用させていただく。
「物語は主人公が誰なのかわかりにくく、かといって集団劇としては構成が弱い。(中略)映画を観ていて、物語の中にすんなりと入っていけないのだ。
どうもこの映画は、登場人物ごとのエピソードをどう処理していくかという部分で、ドラマ作りに失敗しているように思える。映画に最初に登場するのは早苗という少女で、彼女があまり乗り気ではない親友の紀美子をフラダンスに誘って物語はスタートする。この出だしでは早苗と紀美子の友情が物語の軸になりそうなものだが、なぜか早苗は物語の中盤で退場してしまう。かわって東京から来たフラダンスの教師平山まどかや、同期のダンサーである小百合、紀美子の兄や母、ハワイアンセンターに就職した元炭鉱夫たちのエピソードなどが続いていくのだが、エピソードがどれも細切れで大きなドラマに収斂していかない…」(以下略)
映画に感動した方なら、この文章がいかに作品のポイントを掴まえておらず、的外れかという事が分かると思うが、一応反論しておく。
@この映画は、集団の群像ドラマである。一応の主人公は紀美子(蒼井優)であるが、フラガール全員が主人公でもあるし、彼女たちと心を通わせ、素晴らしい先生として自身も成長して行く平山まどか(松雪泰子)もまた主人公である。観客は、登場人物それぞれの誰かに共感し、応援すればよいのである。男まさりで家族を支える紀美子の母、千代(富司純子)や、紀美子を陰から支えている兄(豊川悦司)に至るまで、この映画は周辺の人物にもそれぞれキャラクターが周到に肉付けされていて見事である。これらの人間たちが互いに火花を散らして激突し、対立し、やがて互いに理解し合い大団円に向かって収斂して行く構成が無駄がなく、実によく出来ている。どこが細切れなのだろうか。
A一番分かっていないのが早苗(徳永えり)の捉え方である。
>なぜか中盤で退場してしまう・・・ とあるが、彼女の存在こそが物語のポイントなのである。
誰よりもフラガールになる事を望み、頑張っていた早苗。
そんな彼女でさえも、閉山、父の失業という現実に直面し、夢を断念せざるを得なくなる。
人は誰しも夢を抱くが、その夢を実現できるケースは稀である。それが現実である。
彼女の退場は、そうした、夢を追いつつ、諦めざるを得なかった多くの人々の無念さの象徴であり、この物語が能天気な絵空事でなく、現実に立脚した重い物語であることを示しているのである。
そして、退場後も早苗は物語にずっと深く関わっている。
まず、早苗から紀美子宛に届いた小包が重要なキーとなる。
この小包を紀美子の母、千代がレッスン場まで届けるシーンがあるが、千代は追い出したものの紀美子の事がずっと気になっていたはずである。
しかし追い出した手前、自分からノコノコ会いに行くわけにもいかない。
小包が届いたのがもっけの幸い、“小包を届ける”というエクスキューズを得て、千代は娘に会いに行く決心をするのである。旨い脚本である。
レッスン場で紀美子が一心不乱に踊っている姿を見て千代は心打たれる。
千代は無言で小包を置いて帰るが、ここで彼女ははっきり、逞しく成長した紀美子を応援して行こうと心に決めたのである。
次のシーンで、センターの為にストーブ集めに回る千代の姿でそれが証明されるわけである。
それだけでは終わらない。この小包には、早苗が一生懸命作った、ハイビスカスの花が入っていた。
“自分は夢を果たせなかったけど、自分の分まで頑張って夢を実現して欲しい”…
その思いがこの小包の中味に一杯詰っているのである。この早苗の思いに観客は涙する。この展開もうまい。
そして晴れの舞台、紀美子はそのハイビスカスの花を髪につけ、踊る。
画面には登場しないけれど、早苗は紀美子たちと一緒にいるのである。
“早苗の分まで頑張る、遠い空から見ていて…” その思いを胸に秘めたからこそ、紀美子は全身全霊を傾け、素晴らしいダンスを踊ることが出来たのである。実に見事な構成である。
早苗を途中退場させたからこそ、ラストの感動は幾重にも広がるのである。
いい映画は、小道具の使い方がうまい。小包一つをこれだけうまく活用しただけでもこのシナリオは脚本賞ものである。
決して他人の批評にイチャモンをつけているわけではない。この映画の見るべきポイント、脚本のうまさについて説明しただけである。
もう一つ、ついでに見どころ(いや、聞きどころ)を紹介しておく。
ラスト近く、バスの中で紀美子とまどかが話すシーンがある。
さりげないので聞き逃しそうになるが、ここでまどかは“福島弁”をしゃべっている。「だっぺな」とか…。
これは、最初は「3ヵ月で出て行く」と言っていたまどかが、この地に根を下ろし、ずっとフラガールたちを教えて行こうと決めた事を示しているのである。(エンドクレジットで、「まどかは70歳になった今もここでフラダンスを教えている」と紹介される)
実によく出来ていると感心する。ここも是非お聞き逃しなく。
ウーン、しかしこの映画については、語りたいことがまだまだある。そのうち、また続きを書くかも知れませんが(笑)、よろしくお付き合いのほどを・・・・