ゆれる (シネカノン:西川 美和 監督)
これは、ここ数年において久しぶりに登場した、人間ドラマの秀作である。 物語は、都会でプロのカメラマンとして成功している男(オダギリジョー)が、母の一周忌で故郷に帰る所から始まる。 男は小さな田舎町でガソリンスタンドを細々と経営する父(伊武雅刀)の次男で、長男(香川照之)が後を継いでいるが、勝手に家を飛び出した弟と父とは折り合いが悪い。そんな弟を兄は優しく擁護する。 西川美和監督は、「蛇イチゴ」に次いでこれが2作目だが、非凡な人間観察眼を見せる。 何事においても積極的で要領のいい弟に対し、不器用で要領が悪い兄…という対照的な人物配置が、宴席での会話で手短に語られる。 スタンドで働く智恵子(真木よう子)は兄弟二人の幼馴染。兄は智恵子に好意を抱いているのに、不器用でうまく伝えられない様子。それを見ていた弟は、あっさり智恵子を抱いてしまう。 翌日、兄弟と智恵子の3人はドライブに出かけ、そこで事件が起きる。 ゆれる吊り橋の上で、高い所が苦手な兄は智恵子に取りすがる。しかし弟に抱かれたばかりの智恵子は気持ち悪がって振りほどこうとする。 一体橋の上で何があったのか…そのシーンは観客に示されず、謎のまま、事態は兄の智恵子殺人容疑→裁判へと急転する。 素晴らしいのは、この裁判シーンにおける兄の証言が何度も変化し、あれは本当に事故だったのか、故意による殺人だったのか、観客にも分からなくなって来る、そのミステリアスかつスリリングな展開のうまさである。そして、まるでアガサ・クリスティの法廷ミステリー「検察側の証人」(ビリー・ワイルダー監督による映画化題名「情婦」)を思わせる、まったく意外な証言によって物語は急転して行く。 証言の都度、そのイメージショットが違う映像によって何度も反復されるあたりは、黒澤明の「羅生門」的でもある。そして、ラスト、兄弟の子供の頃に吊り橋で撮った8mmフィルムによって、真実が明らかになって行く構成は「市民ケーン」を思わせる。 ・・・という具合に、部分的に映画史に残る名作を思い起こさせるシーンがいくつかあるが、それらが巧妙に物語に溶け込んでいて違和感を感じさせない。なおかつ、それらの作品のテーマでもある、“人間の不可思議さ”、“人間という生き物のおかしさ、哀しさ”がこの作品のテーマでもある事が観客にも伝わる仕掛けとなっているのである。そうした芸術作品的な要素を持ちながら、サスペンスフルなエンタティンメント作品としても成立している。これは凄いことである。 役者もそれぞれ練達の人を揃えている。演技賞を何度も受賞しているオダギリ、香川が安心して見ていられるのは当然だが、父親役の伊武雅刀、その兄で弁護士役の蟹江敬三、裁判長田口トモロヲ、スタンドの従業員新井浩文などもそれぞれピッタリの役柄で適材配置、そして検事に扮した木村祐一、これがネチネチと香川をいたぶる狡猾ぶりを絶妙に好演。「花よりもなほ」の孫三郎役に感心したばかりなのに、まったく違う役柄を自在に演じているのだから凄い。今年の助演演技賞はこの人に差し上げたい。 脚本が秀逸。巧みに配置された伏線も見事(私が何度も書いているように、伏線が良く生かされた脚本は傑作が多いのである)。本年度の脚本賞候補に挙げてもいい秀作である。ラストの香川照之の表情もいい。お奨めです。 それにしても、配給会社のシネカノン、一昨年の「誰も知らない」、昨年の「パッチギ!」(2年連続ベストワン記録更新中)に次いで、またしてもベストワン級の秀作を送り出した。いやはや凄いヒット率である。 ()
特にうまいな…と思ったのが、激昂した父が膳を蹴飛ばし、それを兄が黙々と拭き取るシーン、そのズボンに、倒れた徳利からこぼれる酒がポタポタとかかる場面(兄は気付かない)は、何でもないようだが、観客に一目で兄の損な性分、要領の悪さが画として伝わる、秀逸なショットである。
次のシーン、離れた所にいた弟は、橋の上で一人座り込む兄を目撃する。智恵子の姿はない。