46億年の恋   (エスピーオー:三池 崇史 監督)

 

 マカ不思議な映画である。刑務所で起きた服役囚の殺人を発端に、警察がその捜査を行ううち、謎が次々深まって行く…という一応のストーリーはあるが、なにしろ監督が鬼才、三池崇史だけに、実に掴まえどころのない、奇妙かつ奔放なストーリー展開とビジュアルの洪水に多くの観客は面くらい、圧倒されることだろう。

 低予算を逆手に取ったシュールで簡素化されたセットデザイン、真っ黄色の奇抜な囚人服(ヒンドゥーの修行僧をイメージしたという)、刑務所長の部屋はドイツ表現主義のように傾いているし、そして外の空間にはアステカの神殿のようなピラミッド、なぜかロケットの発射台まである。一体ここはどこなのか、何時の時代なのか…。容疑者の男、有吉(松田龍平)と被害者、香月(安藤政信)はどうやら男同士の愛で結ばれているようだし…。

 とまあこんな感じの映画なので、おそらくよっぽどの三池映画ファンでもなければこの映画はつまらないだろうし、面白くもないだろう。

 だから、普通の楽しい映画を観たい人にはおススメはしません。観たら多分カネ返せ!と言いたくなるでしょう(笑)。上のような梗概を聞いても、なお観たいと思う人は観てください。

 しかし、私にはとても刺激的で面白い作品だった。どこがいいのかと聞かれても説明しにくい。強いて言うなら、考えるより、感じる映画である…と言えるだろう。

 何よりも、この映画を楽しむには、三池崇史―という監督の代表作を見ておく必要がある。三池映画は、楽しい娯楽作品もあるが、一筋縄では行かない強烈な個性があるので、一遍ハマッたらその魅力に憑り付かれること請け合いである。

 以下、三池崇史監督の代表的傑作、怪作を紹介しておこう。

 三池監督の最初の傑作は、1996年の「極道戦国志・不動」である。とにかく、話がイッちゃってるのである。小学生の殺し屋は登場するは、人間の首をサッカーボールのように蹴るは、両性の女殺し屋はアソコから吹き矢を飛ばすは…もう過激さを通り越して笑ってしまった。

 こういうバカバカしいまでのバイオレンス作品には、ヤクザがサイボーグロボットになり(ロボコップならぬロボ極道ですな)大暴れする「フルメタル・極道」という怪作がある。題名だけでも笑えるが、やはりかなり過激な映像が多い。北村一輝が胴体真っ二つになるシーンには笑った。主演のロボ極道に扮するは、今やサンプロ司会のうじきつよし。

 こうした過激な笑いと、初期から手掛けて来たVシネマ的ヤクザ映画とが合体したのが、三池の名を大いに高めた「DEAD OR ALIVE 犯罪者」(1999)である。冒頭からCGを使ったヘンなシーン(撃たれたヤクザの腹からラーメンが飛び出す)が登場するのが伏線となっており、ラストの、今や語り草となっている○○壊滅シーンには唖然となり、次に大笑いした。この作品で三池信者になった映画ファンも多いだろう。これは必見である。

 この路線のピークとも言えるのが「殺し屋1」(2001)だろう。過激なバイオレンス描写に圧倒されるが、イチの悲しみに涙する映画でもある。浅野忠信のイッちゃってる怪演は必見。

 その反面で、人間を温かく見つめるウェルメイドな佳作も数多い。「岸和田少年愚連隊・血煙純情編」(1997)、「同・望郷」(1998)は中場利一のこれも過激な笑える暴力小説を、甘く切ないノスタルジックな青春映画として描いた佳作である。「中国の鳥人」(1998)は、中国の奥地で展開するメルヘンチックな秀作。キネマ旬報ベストテン入選(脚本はいずれも、本作も手掛けたNAKA雅MURA)。
 沢田研二主演の「カタクリ家の幸福」(2001)は、なんとまあ楽しいミュージカル映画。ミラーボールの下で沢田と松坂惠子がデュエットするシーン(ご丁寧にカラオケ風字幕も出る(笑))は必見。
 2003年の「ゼブラーマン」も、父と子の愛情を軸とした泣ける快作である。

 こうして見て来ると、三池作品に一貫して通底しているのは、人間という存在を、時には厳しく、時には優しく、時には皮肉とアイロニーを交えて見つめて(あるいは観察して)いる視点の確かさである。“人間とは、悲しい生き物であり、かつ美しい生き物である”と言えるのかも知れない。決して暴力描写だけの作家ではないのである。

 ここ数年では、“男たちの生きざま”、“男同士の悲しくも美しい絆”を描いた作品も多くなっている。既に「DEAD OR ALIVE2 逃亡者」(2000)も、哀川翔と竹内力の奇妙な友情が描かれていたが、「天国から来た男たち」(2001)ではフィリピンで刑務所に入れられた男たちの触れ合いが力強く描かれていたし、「荒ぶる魂たち」(2002)「許されざる者」(2003)に至ってはまさに荒ぶる男たち、兄弟の血みどろの戦い、断ち難い絆の無情さをバイオレンスの中に描いていた。

 さて、こうした三池作品を観て来たうえで本作を観ると、まさにここにはまぎれもなく三池崇史作品の刻印が印されている

 主人公有吉淳(松田)は、人の愛が信じられずに無目的に生きて来た男である。

 人を殺して投獄された刑務所で、本能の赴くままに暴力を振るう香月史郎(安藤)と出会った有吉は、そこに人間の激しい生き様を見る。男たちばかりの刑務所で、やがて有吉は香月に深い愛を感じるようになる。

この辺の描写は意外と抑制されている。代りに、奔放なイメージ描写が随所に挿入される。観客の方でイメージから何かを感じ取って欲しいという事なのだろう。それは、まさに感じるしかないのである。ロケットは、天国にたどり着きたいという願望のメタファーであろう。ラストで天空に向かい飛び立つロケットは、願望の迸りだろうか。

 少なくとも、男たちの愛をストレートに描いた「ブロークバック・マウンテン」よりは私にはずっと刺激的で面白かった。

46okunen2 個性ある男たちの演技が素晴らしい。逞しい男の美しさを見せる安藤政信。その彼を見つめる松田の男の色気、艶かしさ。刑務所長を怪演する石橋凌がまた見事。三池映画の常連、遠藤憲一も相変わらず。
 そして何より、ダンサーである金森穣のダイナミックな踊り。男のオーラさえ感じる。こうした、男たちの奔放な演技合戦を見るだけでも値打ちがある。

 ちなみに、石橋凌の映画デビュー作は、龍平の父松田優作が監督・主演した「ア・ホーマンス」である。

 

 私は、この映画を観て、大島渚作品との類似性を感じた。「戦場のメリークリスマス」では、二人の男たち(デヴィッド・ボウィと坂本龍一)の哀しい愛が描かれていたし、「御法度」でも男同士のセックスが描かれていた。奇しくも、ここでも松田龍平が男たちの愛の対象となる美しい男を演じていた。

 そう思えば、大島渚と三池崇史はいろいろと共通点が多い。

 大島も、難解な問題作を作って来た。「新宿泥棒日記」「東京戦争戦後秘話」「帰って来たヨッパライ」などは、初めて観たら何がなんだかさっぱり分からないだろう(笑)。しかし反面、とても心優しく少年たちを見つめた秀作「愛と希望の街」「少年」なども撮った人でもある。

Kousikei 大島の問題作「絞死刑」(1968)は、拘置所の死刑囚の死刑が失敗した所から始まる、ブラックな笑いと政治批判に満ちた傑作である。所長、検事、拘置所の役人たちの問答が面白い。本作となんとなく似た作品である。低予算の簡潔なセットという共通点もある。

 大島一家とも言われる、常連の脚本家、俳優を抱えている点も三池の場合と似ている。
 そう言えば、どちらもカンヌ、ベネチア映画祭で人気がありますね。

 

 もう一つ、この作品を解くキーとして挙げておきたいのが原作者である。クレジットでは、原作:正木亜都(題名「少年Aえれじい」)となっているが、これは実は故・梶原一騎の遺稿を元に、弟の真樹日佐夫がまとめたもので、そう思えばこの作品には、この二人の傑作群を連想させる要素がいくつかある。

 刑務所に入るなり受刑者たちを殴り倒す香月は、少年院に入るなり鉄拳を振るい少年たちを殴り倒す「あしたのジョー」の矢吹丈の姿にかぶるし、冒頭の父が息子を鍛えようとするシーンは、「巨人の星」の父一徹と飛雄馬を思わせる。そして彼らの究極の愛の姿は、まさに男たちの「愛と誠」である。
 思えば、ジョーと力石の関係、女房役の伴宙太と飛雄馬が涙でヒシと抱き合うシーン、今から考えるとちょっと過剰なこれらの描写も、あるいは男たちの愛の世界だったのかも(うーむ、ちょっと考え過ぎ?(笑))。そういう意味ではこの作品もまた、紛れもなく梶原ワールドなのである。
 真樹日佐夫もまた「ワル」を始めとして暴力世界に生きる男たちを描き続けて来ている。

 とまあ、こんな具合にいろいろ連想してみるのも、映画を楽しむ1手段なのである。

 とにかく三池ワールドは面白い。いつもこちらの予想を超えてハジけている。現在東京で公開中という「太陽の傷」(三池映画の常連・哀川翔主演)も凄いらしい。楽しみである。