ダ・ヴィンチ・コード (米:ロン・ハワード 監督)
原作は読んでいないが、“暗号解読ミステリー”とかの触れ込みだし、コピーも、「ダ・ヴィンチはその微笑みに何を仕組んだのか」−となっている。本の表紙も、映画のポスターも、モナリザがフィーチャーされている。
これらから、私はてっきり、「モナリザの微笑」の絵に重大なカギが隠されている…と思ったのだ(大抵はそう思う)。
暗号ミステリーと言えば、我が国にも、伊沢元彦原作の、乱歩賞も取った「猿丸幻視行」という傑作小説がある。
柿本人麻呂が残した和歌に、複雑な暗号が仕組まれていた…というもので、読んでてワクワクした。
本作も、あれと同じように、巧妙に隠された暗号を知恵を絞って解読して行くのかと思った。
結局、モナリザ、関係ないじゃん。肩透かしくらいましたね(笑)。
大体、上下2巻もある長大な原作を、2時間半に収めるというのは大変なことである。どこかをバッサリ削るか、大急ぎで進むか…
本作は後者を選んだようである。従ってあれよあれよと話が進む。こちらは考えてるヒマもない。原作を読んでいないと、とても追いつけないのではないか。
私が期待した暗号の解読なんてあまりなく、殺人事件があって、主人公が犯人と疑われて、美女と二人で警察から追われながら真犯人を追う…という話であった。
ん〜、 ちょっと待て。これ、どこかで聞いたことのある展開では? ――と思って考えたら思い当たった。
これ、ヒッチコックが得意な、巻き込まれ型サスペンスのパターンですね。
例えば、「第三逃亡者」とか、「北北西に進路を取れ」とか、みんなそういうパターン。
まあ、さすがにロン・ハワード演出はソツがないし、まあまあ見れるけど、でも、やはり詰め込み過ぎで、ミステリーをじっくり味わってるヒマがない、セセこましい作品でした。
こうしたミステリー映画にとって、劇場で鑑賞する場合に困るのが、観る方が、じっくり考えて謎を解くゆとりがない…という点である。
例えば小説なら、途中で本を置いてゆっくり考える時間が取れる。またページを戻って再確認する事も出来る。ビデオで鑑賞する場合も同様。一時停止する事も、巻き戻して見直す事も出来る。
ところが、劇場鑑賞に限っては、こうした事が出来ない。ノンストップで前に進むしかない。ちょっと居眠りしたり、よそ見しても置いてきぼりにされ、話が分からなくなる。
この映画で言うと、アナグラムが出て来るが、小説なら読者も文字をメモしたり頭の中で並べ替えたり出来るのだが、映画の方はあっと言う間に答えが出てしまうので味気ない。
というわけで、この手のパズル・ミステリーは、劇場で鑑賞するには不向きである・・・という事がこの映画を観てよく分かった。
決してつまらない作品ではない。テンポが速いという事はダレる場がないという事で、原作を先に読んだ人は楽しめたのではないか。
しかし、宣伝文句から期待した“暗号解読”がたいして無かったのと、前掲の短所に加えて分かり難い所がいくつかあったので(銀行の責任者が“20年も待った”理由もピンと来ない)、評価としては厳しくせざるを得ない。
でも、ビデオで観たら(巻き戻し、ストップが出来る利点を活用すれば)、結構面白く観れるかも知れないですね。―映画は劇場で観るべし…をモットーとしている私としては納得し難いですが…。 ()