日本沈没   (東宝:樋口 真嗣 監督)


 73年に大ヒットを記録したSF映画のリメイク。…とは言っても、後半のストーリー展開は原作及び前作映画とは全く異なっており、どちらかと言えば設定だけを借りたリ・イマジネーションと言った方が正しいだろう。

 前作と比較して、物足りないとか、かなり落ちる…とかの声もあるが、なにせ前作は、脚本が「七人の侍」「真昼の暗黒」「切腹」「砂の器」などの日本を代表する巨匠・橋本忍、監督が黒澤明の一番弟子で、「首」「八甲田山」(どちらも橋本忍脚本)「海峡」「動乱」などの骨太作家・森谷司郎、プロデューサーが「ゴジラ」「世界大戦争」「妖星ゴラス」などの世界破滅ディザスター・ムービーの第一人者・田中友幸…と凄いメンツなのだから、初めから勝負にならない。

<注:以下、ややネタバレがあります。未見の方はご注意ください>


 で、今回脚本・加藤正人、監督・樋口真嗣のコンビが取った方法は、前作の“国土を失った民族は、世界の中でどう生きるのか”という荘厳なメインテーマをばっさり捨てて、「アルマゲドン」ばりの“滅亡の危機から民族を守る一大作戦”テーマに方向転換を図る事であった。

 これは思い切った冒険である。私は33年前のオリジナルも観ているが、主人公たちは、「何もせん方がええ」というセリフに象徴されるように(このセリフは本作にもオマージュとして出て来る)、ほとんど何もせず、ただ滅び行く日本を見つめているだけであった。
 つまりは、前作(及び原作)は“運命には逆らえない”という無常観を漂わせた悲観的な作品であったと言える。

 それに対し、本作はそのアンチテーゼとして、“運命は努力すれば変えられる”という前向きな発想を打ち出しているのである。

 この方向性は正しいと思う。前作の作られた頃は、ちょうど五島勉の「ノストラダムスの大予言」がベストセラーとなっていて(翌年にはやはりこれも東宝で映画化された。出来は超トホホでありましたが(笑))、なんとなく終末観が漂っていた時代であり、その空気と旨くマッチして大ヒットしたのかも知れない。
 しかし、今の時代にはそうした“座して死を待つ”空気はそぐわない。やはり“死中に活を求める”希望ある未来が必要ではないかと思う。

 突っ込みどころは、探せばいくらでもある。地震で道路も鉄道も寸断されてるはずなのに、小野寺(草g剛)はどうやって会津を始めあちこちに移動できるのか…とか、日本海溝にあれだけの爆薬埋めたのなら、ついでに起爆剤も一緒にセットしとかんかいっ…とか。まあそれ言っちゃ身もフタもないですが(笑)。

 そういった難点を差し引いても、私はポスターにもある、“命をかけて、愛する人たちを守る”為に行動を起こした小野寺の勇気…を正攻法で描き、それなりに感動を呼ぶ作りになっている点を評価したい。

 で、ラストにかけての展開は「アルマゲドン」だという声が多いが、私は“愛する人々を救う為”に、“帰れないのを承知で深海に深く降りて行く”という展開から、「アビス」(ジェームズ・キャメロン監督)を連想した。あちらは“爆弾をセットに行く”のではなく、“爆弾をはずしに行く”話でしたが…。

 もっとも、こういう“人類を救う為に自己犠牲となる”主人公…という設定は、「ゴジラ」(54年の1作目)の芹沢博士(平田昭彦)をはじめ、「惑星大戦争」(77)の滝川艦長(池部良)など、東宝特撮映画の定番でもあるわけである。

 そう考えれば、本作は東宝特撮映画に心酔して映画の世界に入った樋口真嗣監督の、東宝特撮映画へのオマージュ映画と言えるのかも知れない。そう思って観れば、結構楽しめるのである。

 例えば、飲み屋“ひょっとこ”の常連たちが、今どきないだろう−と思うリヤカーに家財道具一式乗せて逃げて行くシーンは、これぞまさしく東宝特撮映画ではすっかりお馴染みのシーンである。

 海溝に爆弾仕掛けて、マグマの向きを変える…という奇想天外な大作戦は、南極にロケットエンジンを仕掛けて地球の軌道を変える−という「妖星ゴラス」へのオマージュかも知れない。ヘンな怪獣の名前が“マグマ”ていうのは出来過ぎですが(笑)。

 最後にネタを一つ。阿蘇山の噴火で首相の乗った飛行機が撃墜される…という展開は、“阿蘇山を人為的に噴火させて倒した”「ラドン」のタタリではないですかねぇ(笑)。        (