LIMIT OF LOVE 海猿 (ROBOT=東宝:羽住 英一郎 監督)
この映画は、ちょっと批評し辛い。すごくいい所が多くて、褒めたい気持ちが一杯なのだが、反面、これはいかんだろう…と、困った所がまた多い作品でもあるからである。
“船が45度も傾いているのに、煙突を垂直に昇るのはおかしい”てなツッコミ所も多いが(その他にも、かなり傾いた状況でも水位が部屋と水平なままであるのもおかしいが)、この程度なら目をつぶってあげてもいいと思う。まあ気になる人にはすごく気になる絵ではあるのだが。
(善意に解釈すれば、最初に室内シーンを撮影したあと、ポストプロダクションでCG特撮部分を作っている最中に矛盾に気がついたけど、いまさらドラマ部分を取り直しできない…というのが実態だろう。当ってるかな?)
まず、いい所を挙げておこう。
第1作「海猿」。これは良かった。何より、訓練を通じて成長して行く仙崎たちの人間ドラマ、仲間たちとの友情、恋人との愛、教官(藤竜也が好演)との強い信頼関係…などが絶妙にブレンドされ、ハリウッド映画にも負けていない(アメリカ映画「愛と青春の旅立ち」が思い起こされる)、日本映画ばなれしたスケールの大きな映画として見応えがあった。ちなみに立派な教師に鍛えられて弟子の若い男が人間的に成長して行く…というドラマは、黒澤明監督が繰り返し取り上げていたテーマでもあり、この辺りをきっちり描いていた点でも評価したい。
で、本作はガラッと作風を変えて、「タイタニック」か「ポセイドン・アドベンチャー」に似た、海洋パニック・スペクタクル映画になっている。これもやはりハリウッド的テーマの採用であり、うまい戦略である。
前作と同様、海上保安庁やフェリー会社の協力を得て、本物の船の絵を使っているうえ、CGもなかなか健闘しており、前作と同様、極限状況下において、仲間を見捨てない仙崎の熱い友情、恋人環菜(加藤あい)との愛、そしてなにより、決して諦めず、なんとしても取り残された乗客を全員助けて生還するのだ…という仙崎の使命感に燃えた勇気ある行動が熱い感動を呼ぶ。
(注:以下はネタバレしてますので例によって伏せます。読みたい方はドラッグして反転してください)
船が沈没した後、もうダメか…という状況から、下川(時任三郎)の決断を経て、仲間たちが救出に向かうまでのプロセスはドラマチックで感動的である。
では、良くない点はと言うと…。
まず何と言っても、全体にテンポが悪い。事故が起きてからかなり時間が経ってるのに、まだ海老原(吹越満)や妊婦の恵(大塚寧々)が残ってる理由が弱い。乗客を全員脱出させるまでは残っているべき乗組員の姿がほとんど見当たらないのも不思議。こういう所はもう少し納得出来るよう脚本を練るべきである。(ここからネタバレ)
仙崎と環菜が携帯電話で愛を確かめ合ったりしてるシーンなど、“そんな事やってるヒマないだろ!、早く脱出しろよ”と言いたくなる。ここらは、昔からの日本映画の悪いクセである。新しい時代に向かうなら、こういう古い手法は排除して欲しかった。
その後、煙突内で出水の為吹っ飛ばされた仙崎たちが、どうやって空気が貯まっている部屋に移れたのか、あるいは救助隊がなんでそこの場所が分かったのかも曖昧である。ここらも、前の方で伏線を張っておくべきである。
先に観た「ポセイドン」は、テンポが無茶苦茶速くて、それこそ船が沈没中ならそんなものだろうと思わせる。反対に人間ドラマの方はあまりに薄過ぎた。…つまりは本作とはほとんど正反対の展開である。
過ぎたるは及ばざるが如し・・・。あんまりテンポが速いのも困りものだが、ゆったりし過ぎるのもパニックものには合わない。今更ながら、1972年の「ポセイドン・アドベンチャー」がパニックものとしていかに良く出来ていたかを再認識した。
まあ、全体としては良く出来ている方である。なんのかんのと言っても、ジワーッと感動させられたのは確かである。
しかし、日本映画が本当に活力を取り戻す為には、こうした難点に目をつぶるべきではない。時間をかけて、脚本を練りに練って、伏線を周到に張り巡らせて、テンポいい、よりダイナミックな作品作りを目指すべきである。好きな作品であるだけに、敢えて苦言を呈する次第である。採点は、悩んだがこんな所で… ()