SAYURI    (コロムビア・他:ロブ・マーシャル 監督)

 アーサー・ゴールデンのベストセラー小説(原題は“Memoirs of A Geisha”)を、元々は監督予定だったスティーヴン・スピルバーグが製作に回り、「シカゴ」のロブ・マーシャルが監督した、ハリウッド製の“日本”映画。
 貧しさから、親と引き離され置屋に売られ、先輩芸者に苛められながらも、努力を重ねて一流芸者に成長して行く主人公・千代(後にさゆり)の半生記である。まあ、わが「おしん」の芸者版と言えば分かりやすいか(笑)。そういう意味では、我々が観ても感情移入出来る物語ではあるし、原作を読む限りにおいては日本人の目から見ても違和感はあまりない。
 ただしハリウッド製であるので、当然ながら?出演者は全員英語のセリフを喋り、セットや背景は「ラスト・サムライ」ともよく似た、確かに日本ではあるが、でもどこか微妙に違う。主要な配役も、主演の千代を演じるのがチャン・ツィイー、千代を苛める芸者の初桃役にコン・リー、千代を一人前に育てる豆葉役がミシェル・ヨーと、中国系に押さえられている。そうした実態に不満を言う人も多い。「なぜ日本人俳優を起用しない」と。
 しかし、これは仕方ないと言うか、当然の結果なのである。英語力だけでなく、存在感があり、オーラを振り撒き、国際的にも活躍している日本人女優が見当たらないからである。チャン・ツィイーは主演映画が世界的に評価され、アクションも、踊りも出来る。ハリウッドにも進出済(「ラッシュアワー2」)。ミシェル・ヨーも同様。むしろ、渡辺謙、桃井かおり、役所広司、工藤夕貴と、演技派の日本人俳優がこんなに多く起用された事を喜ぶべきである。
 ふり返ってみれば、昔はハリウッド映画に出演していた東洋人俳優は、日本人がほぼ独占状態だったのである。戦前には早川雪舟、栗原トーマス、ヘンリー小谷、上山草人などが活躍しており、特に上山などは中国人の名探偵、チャーリー・チャンを演じて評判をとった。戦後も、「サヨナラ」のナンシー梅木、「グラン・プリ」「太平洋の地獄」「レッド・サン」の三船敏郎、「第七の暁」「007は二度死ぬ」の丹波哲郎、「砲艦サンパブロ」のマコ岩松、「ザ・ヤクザ」「ブラック・レイン」の高倉健、同じく「ブラック−」の松田優作…と言った具合。中国人俳優がハリウッド映画で有名になるのは、ようやく'73年の「燃えよドラゴン」のブルース・リーからなのである。中国人役ですら、
上山草人や「砲艦サンパブロ」のマコ岩松のように、日本人が演じていたのである(ちなみに、マコ岩松は本作でも千代の父親役として出演している)。―映画産業の活力が衰えて来た日本と、反対に隆盛して来た中国・香港との差が、本作のキャスティングに如実に現われている…と言えるのではないか。
 で、映画の方は、私は十分楽しめた。多少の違和感は、“これはあくまで日本によく似た架空の国を舞台としたファンタジー”と考えれば良いのである。豪華絢爛なセット、衣装、スケール感たっぷりのドラマに没頭すれば退屈することなく、最後まで堪能することが出来る。渡辺謙は相変わらず堂々たる風格を見せるし、桃井かおりが助演賞も狙える素晴らしい存在感を示す。観ておいて損はない。     (

(付記)付け加えると、ハリウッドでは俳優が他の国籍の人物を演じるのは当たり前で、イギリス人俳優、ロバート・ショーはアメリカ人(「スティング」他)は無論のこと、ロシア人(「007/ロシアより愛をこめて」)、ドイツ人将校(「バルジ大作戦」)も演じている。アンソニー・クィンになるともう国籍不明で、「平原児」でインディアン、「道」「バラバ」でイタリア人、「アラビアのロレンス」でアラブ人、「その男ゾルバ」でギリシャ人…と、まさに変幻自在。この程度ならまだしも、ひどい場合になると、ジョン・ウェインが「征服者」でモンゴル人のジンギスカンを演じているし、マーロン・ブランドは「八月十五夜の茶屋」で日本人に扮するは(笑)、ミッキー・ルーニーも「ティファニーで朝食を」でこれまた出っ歯のヘンな日本人に扮するは…とムチャクチャ。―まあこんな調子だから、中国人が日本人に扮するくらい、ましな方と考えればいいのである(蛇足だが、ブルース・リーはテレビの「グリーン・ホーネット」で日本人助手・加藤に扮している)。

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