TAKESHIS’    (松竹:北野 武 監督)

 発表のたびに話題を呼ぶ北野武監督の新作。ベネチア映画祭では文字通り観客をサプライズの渦に巻き込んで、話題作りに関しては見事なものであった。―それにしても、題名に自分の名前をそのまま使うとは前代未聞である(「フェリーニのローマ」(原題“FELLINI'S ROME”)てのはあったが、名前だけというのは多分ないだろう)。

 映画そのものは、ストーリーなど無いに等しい。一応、大スターのビートたけしの前に売れない役者でコンビニ店員の北野武が現われ、そこから二人の夢と現実が交差し…という出だしなのだが、後はもう、玩具箱をひっくり返したかの如く、監督・北野武自身の思いつくままのイメージをランダムに並べたとでも言うべき作品になっている。場面的には、これまでの北野作品からの引用シーンがいくつかある。例えば、沖縄の家や海は「4−3×10月」、拳銃の乱射や海辺の銃撃戦は「ソナチネ」「BROTHER」、流木に腰掛け、女性と並んで海を見つめるシーンは「HANA−BI」、タクシー・ドライバーは「キッズ・リターン」、タップダンスと女形の美少年は「座頭市」、そしてベタベタなギャグとコント風の笑いは“ビートたけし監督作品”と銘打たれた「みんな〜やってるか!」―と言った具合に、さながら北野映画の名場面集―といった趣きである。その他、シュールかつ不可解な悪夢のようなイメージの連鎖は、鈴木清順、F・フェリーニ、デヴィッド・リンチの諸作品を連想させる。
 しかし、だからと言って、この作品が芸術的な優れた出来であるかと言えば、実はそれほどではない。単に、“ちょっと巨匠たちの作品をまねて遊んでみました”という程度の、軽いノリなのである。あるいは、“ビートたけし風コントを、D・リンチ・タッチで演出したらどうなるかという実験”を行ってみたのかも知れない。いずれにせよ、これはその程度の作品であって、難解な芸術作品では決してない。評論家諸氏の、もって回った解釈など信用しないことだ。多分たけしは、評論家がどう解釈してよいか分からず、悩んでる姿を見てほくそ笑んでいるのかも知れない。そういう面から見れば、北野武の目論見は成功していると言えるだろう。
 私は、北野武の才能は高く買っている。「その男、凶暴につき」、「あの夏、いちばん静かな海。」、「キッズ・リターン」は大好きな作品である。「座頭市」もいい。しかし海外で「ソナチネ」が高評価を得てから、何かあちらの評論家へのウケを狙ったような、イメージ・感覚性先行の作品を作り始め、結果的に自身が袋小路に入ってしまっているような気がする。「BROTHER」、[DOLLS」、いずれも成功作とは言い難い。本作については、セルフ・パロディという面では楽しめたが、日本を代表する名監督・北野武作品としては物足りない。いや、こんなお遊び映画で寄り道して欲しくない。かつての「あの夏−」や「キッズ・リターン」のように、名もない若者たちの青春群像を、彼らと同じ目線でやさしく凝視する、普通の(?)映画をこそ作って欲しいと思う。