蝉しぐれ    (東宝:黒土 三男 監督)

 「たそがれ清兵衛」に代表される、下層藩士の悲哀や人情、剣の戦いを独特の境地で描く藤沢周平の長編小説の映画化。山田洋次が撮った2作はいずれも短編小説数編を縒り合せたものだったが、本作は初めての長編ものである。2年前にはNHKでテレビドラマ化されており、好評だった。本作の脚本・監督はそのドラマの脚本も手掛けた黒土三男。本人いわく、15年も前から映画化を構想していたとか。で、私が気になったのは、黒土三男はこれまで「オルゴール」「渋滞」「英二」と3本の劇場監督作品があるのだが、どれもこれも情けないほどの駄作!ばかりで、私の信頼度はゼロに近い人だからである。テレビドラマは好評なのに、映画を撮るとなんで脚本も演出も無茶苦茶になるのか不思議である。
 そんな懸念を持ちながらも、原作が好きなので観に行った。結論としては、思ったよりはかなり出来が良かったのでホッとした。金を払っただけの値打ちはあったと言える。
 原作がかなり長いだけに(実際、テレビでは5回くらいに分けていた)、これを2時間強に収めるには相当脚本を再構成しないと、単なるダイジェストに終わってしまう危険性がある。その点も、監督が惚れ込んでいるだけあって、多少説明不足な点もあったがよくまとめたと思う。いいのは冒頭、原作でも名文の、主人公牧文四郎(少年時代:石田卓也)が川べりから朝もやの田園風景を眺める所。ここのつかみがきちんと描けているかどうかで監督が原作をどう咀嚼しているかが分かる。そして、父・助佐衛門がお家騒動のあおりで切腹させられることになり、最期の対面を許されるシーン。ここも落ち着いた演出で感動的であった(助佐衛門を演じた緒方拳がいい味を出している)。父の亡骸を大八車で運び、坂を上るシーンで、文四郎に思いを寄せるふく(佐津川愛美)が手伝いに駆けつけるあたりも泣ける。丹念に探して来た四季の風景、建造後1年も寝かせて風雨に晒された感じを出したオープンセット、そして実際に雪が降り積もるまで待ったロケセットでの撮影…いずれも必見の見せ所である。まさに古き良き時代の日本の風景をバックに、家族を思い、人を思う心の優しさ、切なさを描いた藤沢周平の世界がそこにあった。ラストの、数年後に出会う二人のせつない思いのやり取り、そして永遠の別れのシーンには久しぶりに映画館で泣いてしまった。

 ――とまあ、全体的に良い出来ではあるのだが、惜しいかな、難点もいくつかある。以下はややネタバレです。
 まず、少年時代の主人公や友人たちの演技や科白廻しが幾分拙い。現代において若手で演技の出来る人材が少ないのは分かるが、時間もあったのだから徹底的に鍛えられなかったのか。成人した文四郎が歌舞伎役者の市川染五郎なのだから余計その差が歴然としている。成人後の文四郎の友人・与之助役の今田耕司もミスキャスト。こういうシリアスな作品にはまったく不似合い。「戦場のメリークリスマス」に大島渚がビートたけしを起用したのとは全く意味が違う。コメディアンである前に強烈な存在感を示す性格俳優という側面もあるたけしだからこそ起用した意味がある。そもそも今田は“秀才の学者”には全然見えないだろうが。
 ラストで二人が再会した時、以前の出会いからどの位時間が経過しているのかも判り辛い。原作では20年後(つまり二人共40歳台のはず)となっているが、メイクは二人共若い時のまま。監督としては何年経ったつもりなのだろうか(その割には文四郎の子供の話も出て来るから観客は余計まごつく)。「○年後」の字幕くらいは入れるべきだろう。

 いちばんいけないのが、欅屋敷でのチャンバラで、文四郎は一度も人を斬ったことがないはずなのに、刀を大量に用意させ、畳に突き刺しておくなどの知恵が浮かぶはずがない(年配者ならともかくも、20歳そこそこで何で知ってる?)。「七人の侍」の悪影響か。おまけに立ち回りシーンではバッサバッサと人を斬り過ぎ。血糊は大量に吹き出るし(年配のご婦人は目を蔽っていたくらい)、宿敵・兵馬との対決では今度は「椿三十郎」ばりの左逆手斬りを披露する。いくらエンタティンメントであってもこれはやり過ぎ。原作では兵馬を含めても3人くらいしか死んでいない。原作のムードぶち壊しである(畳に刺した大量の刀も原作にはない)。黒土監督は前作「英二」でもしつこいバイオレンス描写で不評を買っていたのに、また同じ過ちを繰り返している。黒澤明と五社英雄両監督からの悪影響を受け過ぎである。
 山田洋次作品と比較するのも酷だが、もう少し“抑制”、“間合い”というものを勉強して欲しい。四季の風景描写も、あまり何度も繰り返されると飽きて来る。
 まあそんなわけで、全般的には感動出来たし、お薦めなのだが、チャンバラ・シーンは大幅な減点。ここがなければ90点を差し上げても良かったのだが、トータルで採点は、

原作小説です