フォーガットン   (UIP:ジョセフ・ルーベン 監督)

 かつて事故で亡くし、それまでずっと心に思い続けていた最愛の息子について、ある日突然、「そんなものは初めからいない。あなたの妄想の産物だ」と言われたらどうなるか。…うーむ、これは面白いテーマである。写真もビデオも日記も、息子の存在を示す物証がすべて消えてしまい、夫をはじめ周囲の人間も、誰も味方になってくれない。物語が進むうち、我々観客も、ひょっとしたら本当に母親テリー(ジュリアン・ムーア)の方が精神異常で妄想を抱いているだけなのかも…と考えそうになる。
 以前日本映画にも、山本迪夫監督による「悪魔が呼んでいる」
(70)という、似たテーマの作品があった。ある日突然、主人公の女性(酒井和歌子)が自己の存在を次々奪われて行く―というサスペンスで、実は複雑な陰謀があった…というものであった。なかなか面白かったと記憶している。
 で、本作も真相は、@テリーの妄想で最後は精神病院に入れられる A前掲作と同様、テリーを陥れようとする陰謀(遺産相続等)・・・のどれかではないかと普通我々観客は想像する。これら以外にまだ我々が思いもつかなかった真相というかオチがあるとするなら、こちらは“うーん、やられた…”と、心地よい快感に浸ることができ、幸せな気分で映画館を後にする事ができるのである。これが映画を観る醍醐味と言えるだろう。
 ところがである。          うーん、なんなんだ、この結末は…。と口アングリである。この手のサスペンスが好きな方の為にネタバレはしないが、ひと言ジャンルが違うよぉーと言いたい。

それだけで、カンのいい方なら分かるだろう。まあ観るな…とまでは言わないが、観た事を後悔する人は確実に出て来るだろうな・・・と思わせる作品ではある。監督が「愛がこわれるとき」(90)のジョセフ・ルーベン、主演がジュリアン・ムーアというコンビで誰がこんな結末を予測するだろうか。
 まあ、救いは、“母親の子を愛する強い思いは、どんな邪悪な力にも勝利する”という事が言いたいんだろうな…という点は確かに伝わって来る。しかしそれなら他にもっと描き方があったのではないか。前半のテリーの不安感と子への愛情がヒシヒシ伝わって来ただけに、余計だまされた気分である。配給会社の宣伝にも問題があるが…。

 ・・・と書いて来たところで、私なりの一つの解釈に思い当たったので、映画を観たのみ、おヒマな方はここをクリックしてネタバレコーナーにお進みください      

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

以下、独断と偏見の解釈です。

 映画を観た方はお分かりの通り、これはほとんど「X−Files」の世界である。宇宙人が実験していた…なんて、前半からはとても想像出来ない。初めからSFもしくは異次元ミステリーとして売ってればまだしもだが…。
 しかし、例えば拳銃で撃たれても平気な謎の男が登場したり、女性刑事をはじめ、人物が突然スコーンと空中に消えたりするシーンはSFとしても唐突すぎる。
 そこで思い当たったのは、これはひょっとして「マトリックス」の世界(見ている世界はすべて仮想現実である)ではないかという点である。人間が空中に消えたり、屋根が突然無くなってしまうシーンもそれなら納得できるし、だいたい新聞記事を含め、息子の存在した痕跡をすべて消す事など、現実世界では不可能である。実験でテリーが宇宙人の作り出した仮想現実世界に入ってしまった―という事なら、すべての謎は説明がつく。ラストシーンは、それまでの記憶を消されて現実世界に戻った…という事ではないだろうか。

 

 ・・・とまあ考えてみたが、やっぱりアホらしい。とにかく、前半のパートに、後半の展開(特に宇宙人に関する情報)を予想させる伏線がまったくないというのも反則である。どう擁護しようとも、これは中途半端な凡作と言わざるを得ない。
 それにしても、製作に入る前に徹底して脚本を検討し、リサーチするので駄作が少ないと思われていたアメリカで、昨年の「ドリームキャッチャー」に続き、こんな珍作が巨額の製作費をかけて作られ、興行的にもまずまず(初登場1位だそうな)というのだから理解できない。
それとも、あちらでは堂々と“SF映画”として売られているのだろうか。