戦国自衛隊1549   (角川:手塚 昌明 監督)

 26年前に、千葉真一主演で大ヒットした角川映画「戦国自衛隊」(監督・斉藤光正)の原作(半村良)のプロットだけを借りて、現在売れっ子の福井晴敏が新たにストーリーを書き起こし、映画化した。共通するのは単に“自衛隊が戦国時代にタイムスリップした”という点だけで、ストーリーはまったく別物である。従ってこれはリメイクではなく、別のタイムスリップもの新作として楽しめばいいのである。
 前作はリアルタイムで観ているが、いかにも当時勢いのあった角川映画らしく、千葉率いるJACのスタントマンによるスタントアクションが素晴らしく、さらに千葉自身もアクション監督を兼務していたので、派手なアクション映画としては見応えがあった。ただ残念だったのは、原作のひねりオチ(伊庭三尉が実は・・・として死ぬ)が何故か採用されず、故に単なるアクション映画以下でもなければ以上でもなかった…点である。本作は、その原作のオチをちょっとだけ取り入れているので、半村原作を読んでいる人にはニンマリできる話になっている。
 映画としては、自衛隊の全面協力の下、最新のCGによるSFX、そしてゴジラ映画でもリアルなアクション演出を見せていた手塚昌明によるスピード感ある演出によって、少なくともアクション・シーンはなかなかよく出来ている。が、しかし・・・
 以下ネタバレがあります。未見の方は映画を観た後でお読みください。


 

 


 お話としては、これまでのタイムスリップもの映画のおいしい所だけを繋いだ感じで、思ったほど新味はない。過去に飛ばされた一隊を救出する為に、第二派が過去に向う…というお話は昨年のアメリカ映画「タイムライン」とそっくりだし、過去に行った人物によって歴史が捻じ曲げられようとするのを阻止する…という設定は「ドラえもん」や「バック・トゥ・ザ・フューチャー」シリーズをはじめとしてもう使い古されたと言ってもいいネタである。その割りには、確実に450年前に到着するという確証はないし、タイムリミットに現代に戻って来れるかどうかも説得力が弱い。“歴史を変えない為に当時の人たちを殺さない”という当初の約束も簡単に反故にされ、どんどん殺しまくってるし…。地理的にも、尾張の信長、美濃の斎藤道三が何故富士山の麓にいるのかの理由も明示すべきだろう。疑問に思ったのは、的場一佐によって存在しなくなった信長の代わりとなる人物を用意したのはいいが、あの少年を木下藤吉郎に仕立てるというという設定は無理があり過ぎ。では、本物の(実在していたはずの)藤吉郎はどうなったの?という問題がある。本物の藤吉郎もどこかで殺されていたというなら分かるが…。
 どうせ現実にはあり得ないホラ話なのだから、いかにうまくホラを語るかがポイントである。観客がラストに、「あっ、なるほど!」と膝を打ちたくなるくらいのオチを用意すべきだろう(洋画は少なくとも、そういうオチのつけ方は確かにうまい)。そうでなければ前作のように、派手なアクション・シークェンスのつるべ撃ちで観客を堪能させるべきである。どっちも消化不良で中途半端になったのが惜しい。惜しいと言えば、いかにも福井晴敏らしい、弱腰の現代日本国家を改造しようとするテーマが打ち出されているのはいいが、信長の時代の日本を変えたところで、現代が都合よく変わるかどうかの保証はない(その後の時代にも強力な指導者が出なければ一緒だと思えるのだが…)。せっかく福井晴敏に原作を仰いだのに、裏目に出た感がある。

 とは言え、洋画にだってSFXだけ派手で中味のない作品は多いし(現に「タイムライン」もつまらなかった)、ともかくも洋画なみのストーリー展開、タイムリミット・サスペンスを用意して、これまでの情緒過多だった日本映画の殻を破る、カラッとしたSFアクション大作に仕上がっていた点は評価したい。考え出すとアラは目立つが、何も考えずに没頭すればそれなりに楽しめる作品ではある。斎藤道三に扮した伊武雅刀の怪演にも注目。