北の零年   (東映:行定 勲 監督)

 明治4年、藩政改革によって故郷・淡路を追われた稲田家の人々が、北海道に移り住み、厳しい自然の中で生きる姿を描いた大作。これを「世界の中心で、愛をさけぶ」の大ヒットを飛ばした俊英、行定勲監督がメガホンを取るというという事で、かなり期待したのだが…。期待し過ぎたのだろうか、観終わってフラストレーションが溜まる残念な出来であった。

 企画としては面白い。いかにも日本人好みの、困難を乗り越え、必死に生きる中で希望を見いだして行く人々、大自然の過酷さ、未開の地を切り開く開拓魂…と、映画的な条件は揃っている。「風と共に去りぬ」とか「大地」などの名作をたちどころに思い出すこともできる(イナゴの大群が現われるシーンは「大地」(1937年・シドニー・フランクリン監督)を思い出した)。

 前半はいい。スケール感もあるし、ロケ効果も生きて、若手監督とは思えないくらいの風格さえ感じさせる堂々たる演出。吉永小百合も、役柄の年齢(子供の年齢を考えてもせいぜい30代後半だろう)と違いすぎる点を心配したが、実年齢よりずっと若く見えてそれほど違和感はなかった。3分の2を過ぎる頃までは、“これは今年の日本映画を代表する秀作になるのでは”とさえ思ったくらいである。
 ところが、小松原英明(渡辺謙)が、酷寒でも育つ稲の苗を探しに札幌へ旅立つあたりから、話は俄然???という状態になる。以下ストーリーに触れますので、未見の方はご注意ください。最初ペコペコしてた商人(香川照之)が威張りだすわ、志乃(吉永小百合)をレイプしようとするわ、猛吹雪の中を大した防寒具も身につけずに札幌まで行こうとするし(あれじゃ絶対凍死してる。せめて唇を紫にメイクすべき)、突然、途中のプロセスをまったく説明せずに5年が経って志乃が牧場経営をやってる場面になる・・・と、展開があまりにもご都合主義。北の大地に稲を根付かせる話はどこへ行ってしまった?と突っ込みたくなる。

 さらにあきれてしまったのが、行方不明の英明が、こともあろうに、志乃がせっかく育てた馬を軍用に徴収する役人となって急に登場するシーン。前半のヒーローが後半では悪役で登場するなんて、そんな映画があっただろうか。いくらいろいろ理由を並べ立てても、これでは観客は狐につままれたようなものである。―せめて「心の旅路」のように記憶喪失だった…というのならまだ救われる。そうでないなら、いくら窮地を救われたとは言え、志乃に手紙くらいは出せるだろう。

 私が特に腹立たしく思ったのは、札幌に旅立つ直前、英明が娘に「夢を信じ続けてさえいれば、それはまことになる」と言うくだり。わたしはこのセリフ(又はそうしたテーマ)が出て来る映画が大好きである。「フィールド・オブ・ドリームス」しかり、「オールド・ルーキー」しかり。このセリフを喋った限りは、英明はどんな苦難を乗り越えても、家族や仲間たちを幸福にしなければならない。英明の変心は、志乃や娘や仲間たちだけでなく、私たち観客に対しての裏切りでもある。この裏切りを絶対に私は許す事が出来ない。…このセリフにはそんな重みがあるはずなのである。軽々しく使って欲しくない。
 終局部の展開も疑問符だらけ。それまで志乃に冷淡だったかつての仲間たちが、急に命を賭してまでも志乃の牧場を守ろうとする、その理由がよく分からない。そしてラストの、まるで村の青年団で演じる素人芝居なみのクサいオチには、もう口アングリであった。…その他いろいろあるが、キリがないのでもうこの位にしておく。いろんな所で説得力を欠いた脚本(那須真知子)が一番の問題。プロデューサーがしっかりしてたらこんな事にはならないだろう。ここにも私が力説している、東映におけるプロデューサー不在が大きく原因していると言えるだろう。

 せっかく日本映画が良くなりかけているのに、こんな作品が大手を振ってるようではまだまだ先行きは暗い。宣伝と役者に釣られて興行的にはヒットしても、本当の映画ファンを獲得する事はできない。前半の期待を大きく裏切った点で、厳しく採点させていただく。