レディ・ジョーカー  (日活=東映配給:平山 秀幸 監督)

 ベストセラーとなり、'98年度の「このミステリーがすごい!」ベスト1位になる等、話題を呼んだ高村薫原作小説の映画化。私も面白く読んだが、なにせ上下2巻もある大作で、これをまともに映画化しようとしたら5時間くらいになるだろう。ストーリーはあの“グリコ・森永事件”がモデルになっており、さらに差別、リストラ、障害者、朝鮮人問題、総会屋、経済事件、警察組織と個人・・・等々と、複雑なテーマがぎっしり詰め込まれており、これを映画化するには大変な作業が必要と思われる。まあ映画化に踏み切っただけでも大英断である。ちょっと心配ではあったが、脚本・監督が私のお気に入り、「愛を乞うひと」の鄭義信・平山秀幸コンビなので、やや期待はしていた。で、早速観たのだが…。うーむ、これは期待はずれ、面白くない。
 テーマが、現代日本が抱える深刻な問題ばかりで、どれも入れたいのは分からないでもないが、それにしてもあの膨大な原作を、たったの2時間に詰め込むことが度台ムチャである。結果としてディテールを端折り、原作のダイジェストのような仕上がりになっている。原作を読んでいなければ理解できない部分が多く、これではほとんどの人は楽しめないだろう。私ですら、原作を読んだのが6年も前で、もう細かい部分は忘れており、あれあれと思っているうちに終わってしまった感じである。例えば、レディ・ジョーカーのチームがどういういきさつでこんな反社会的な犯罪に手を染める事になったのか、そのプロセスがばっさり省かれているので、個々人の思い入れや心理がさっぱり読めない。リストラに会ったり、障害児を抱えているというだけでは弱すぎる(だいたい生活に困っているのなら、昼間から呑気に競馬に金を注ぎ込んでる余裕などないと思うが…)。だから、渡哲也をはじめとするレディ・ジョーカーたちに少しも感情移入できないのである。これは致命的である。
 原作では、彼らが社長誘拐に踏み切る行動心理や、社長が裏取引に応じるプロセスが綿密に描かれており、また直接の引き金となった物井の兄清二の長い手紙の全文も紹介されているので、読んでて納得できるものになっている(と言うより高村薫の筆力に圧倒される)。そうした細部をカットしては、観客に納得して貰えるドラマには到底なり得ない。
 こうした大長編の原作を、観客が満足するように映画化しようとするなら、方法は2種類しかない。1つ目は、ほぼ原作通りにじっくり描くこと。当然上映時間は長くなるが、観客は納得すると思う(「風と共に去りぬ」や「ベン・ハー」は4時間、「人間の條件」は9時間!の上映時間であるが、今もなお広く愛され、何度も再上映されている)。本作なら、省ける所は省いても、3時間は必要だろう。2つ目は、思い切って大胆に刈り込み、登場人物もテーマも絞り込んでほとんど別のドラマにしてしまう事である。いい例が野村芳太郎監督「砂の器」で、原作にある第二の殺人や音叉を使ったトリックなど、ダラダラした部分をばっさりカットして、“主人公の宿命”という点だけにストーリーを絞り込んだシナリオが大成功であった(脚本は、橋本忍と山田洋次という、日本を代表する名シナリオ・ライター二人の合作である)。また黒澤明の「天国と地獄」も、警察と犯人側を最初から並行して描いている原作を根底から解体して、原作を遥かに上回る傑作に仕上げていた。―脚本の鄭義信は、これら先輩たちの仕事を見習うべきであった(ちなみに、本作は“誘拐”や、犯人が社会の底辺にいる人物…など、「天国と地獄」と共通点が多い。物井が自宅から、そびえ立つ日の出ビールの本社ビルをじっと睨む―というシーンが印象的だっただけに、なおの事「天国と地獄」で行って欲しかった)。2時間で収めるなら、差別や部落や総会屋などは思い切って切り捨て、「天国と地獄」のようなスリリングな刑事サスペンスに仕立て、犯人たちもみんな逮捕される、スッキリした展開にしたら傑作になったのではないか。
 も一つ難点を挙げれば、主人公の物井清三役の渡哲也はまったく原作のイメージと合わない(もっと老人のはず)。合田雄一郎を演じた徳重聡も、新スターとしてのオーラがまったく感じられない。…それにしても、平山秀幸監督、どうした事だろう。前作の「魔界転生」もヒドかったが、本作も精彩がない。東映とは相性が悪いのだろうか。期待を裏切る失望作である。