ゴジラ FINAL WARS  (東宝:北村 龍平 監督)

 最初にお断りしておくが、私は1作目(54年)がゴジラ映画の最高作であり、「三大怪獣・地球最大の決戦」以降、ゴジラが次第に人類の味方になり、お子様ランチ化して行った、いわゆる昭和シリーズは、ゴジラ作品として認め難い…とずっと思って来た。映画はやはりしっかりとしたテーマを持ち、大人の鑑賞に耐えるものでなくてはならない…というスタンスでシリーズを見つめて来た。だから本作に対しては、観る前から酷い作品になっているのではないかと危惧していた。「VERSUS」で期待した北村監督も、ここ数作はワンパターンでつまらない―と感じていたこともあったし…。
 そんな、期待より不安感があった本作なのだが、観終わって、ガラッと評価が一転した。面 白 い !のである。
 のっけから、快調なテンポでアクションのつるべ撃ち。しかも、過去のいろんな東宝SF映画へのオマージュがてんこ盛り。「海底軍艦」轟天号はマンダと大バトルやってるし、ゴジラは南極で大暴れの後、「ゴジラの逆襲」と同じ氷の雪崩作戦で鎮圧される。その後が凄い。ごく短いカットつなぎでゴジラ作品や他のSF作品のワンシーンが大量にフラッシュバックされる(「サンダ対ガイラ」も一瞬登場)。そしてやっと本筋に入ると、地球侵略にやって来たX星人や、彼らの操る怪獣たちと、地球防衛軍のミュータント兵士部隊との壮絶なバトルが続く。これがまた、「マトリックス」や「インデペンデンス・デイ」、「スター・ウォーズ」からのいただき、エビラと兵士たちとの対決シーンはまんま「スターシップ・トゥルーパーズ」である。
 ここまで書けばお分かりだろう。これはもう、ほとんど全編、遊びとオマージュとリスペクトに満ちた、楽しいお祭りなのである。分かりやすく言うなら、007シリーズにおける「カジノ・ロワイヤル」であり、「キル・ビル」ゴジラ版なのである。
 ゴジラ生誕50周年の区切りである今年は、また「ゴジラ」に始まった、東宝本格SF特撮路線の50周年でもある。この映画はそんなわけで、東宝SF映画の50年の歴史を振り返り、それらをすべて総括しようとする壮大なイベントとして観ればいいのである(「妖星ゴラス」まで強引に登場する(笑))。ゴジラ映画に馴染みの深い、宝田明、佐原健二、水野久美の出演も感涙ものである。これだけ怪獣を総出演させて、ゲストスターも豪華で、しかもいろいろと洋画からの引用も含めたお遊びやらオマージュやらを矢継ぎ早やに繰り出す、そのサービス精神のなんたる旺盛さ、エネルギッシュさ…。その上に、またも格闘アクションに日本刀!と、北村映画のトレードマークもしっかり登場させる、その頑固なまでのオレ流演出には、あきれるよりも感心してしまった。そんなわけで私は、冒頭の不満もどこへやら、すっかり楽しませてもらったのである。
 何よりも、私がうなったのは、中心となっているのが、コアなファンからはもっとも評判の悪い、「ゴジラの息子」から「ゴジラ対メカゴジラ」に至る、いわゆる「東宝チャンピオン祭り」時代の作品へのオマージュをメインに持って来ている点である。登場する怪獣の多く(エビラ、クモンガ、カマキラス、ガイガン、キングシーサー…それに、ミニラ!)も、この時代のキャラクターばかり。ビオランテ、デストロイア、メガギラス―といった平成シリーズ以降の怪獣は完璧に無視である。
 そうなのである。一口にゴジラと言っても、戦争の悪夢や原水爆実験への静かな怒りに満ちた'54年版もあれば、怪獣プロレス・バトルロイアルもあり、地球の平和を守る人類の味方、子供たちのヒーローという顔もある。そうしたさまざまな顔も、すべてひっくるめてゴジラ映画は存在するのである。…それなのに、我々年季の入ったファンは、いつまでも'54年の1作目が最高作だ―という呪縛に囚われ過ぎていたのではないだろうか。―楽しく、痛快でスカッとするのがエンタティンメントであるのに、ただ怖く、荘厳な祈りにも似た(即ちエンタティンメント性が希薄な)1作目を絶対視し、神格化し過ぎていたのではないだろうか。ファンだけでなく、造る側(プロデューサー、監督)までもが'54年版ゴジラにこだわり過ぎ(特にミレニアム以降のここ数作は常に1作目の続編というスタンスであった)、ゴジラという稀代のキャラクターの位置づけをあいまい(悪として倒されるべき存在なのか、ヒーローとして生き延びさせるべきなのか、どっちつかず)にしてしまい、結果として(監督はよく頑張ってはいたが)中途半端な印象が残り、それが新しい観客の支持を得られず、興行成績のジリ貧にもつながっていたのではないだろうか。
 そうした呪縛をぶち破るために、北村龍平監督はあえて、コアなゴジラ・ファンから非難を受けるのを承知のうえで、「東宝チャンピオン祭り」時代をリスペクトしたのではないだろうか(あの時代が、ある意味では一番子供たちにとって楽しめた時代だったのかも知れない)。まさに目からウロコが落ちる思いである。
 無論、いろいろ難点もある。マトリックスまがいは全体のムードからは浮いているし、ラストの大バトル・シーンも尻すぼみでいま一つ爽快さに欠ける。…しかしそれでも私はこの映画を評価したい。前述のように、過去の呪縛を断ち切り、ゴジラ映画を、なんでもありの楽しいエンタティンメントとしてはっきり位置づけている、北村龍平のその頑固なまでのポリシーに、私は賛意を表明したい。そういう意味では、本作は決して“最後のゴジラ映画”ではなく、“新しいゴジラ映画の再スタート作”とでも言うべき作品なのである。恐らく数年後には再開されるであろう(私は絶対にそう思う)ゴジラ映画は、きっと過去の呪縛に囚われない、のびのびとしたエンタティンメントの快作になっていることだろう。…そんな風に思わせてくれただけでも、この作品は立派に存在価値がある。よって採点はぐっと甘く・・・