笑の大学  (東宝:星 護 監督)

 売れっ子・三谷幸喜脚本による、舞台劇のヒット作品を映画化。これが映画デビュー作となる星護監督は、テレビの「古畑任三郎」などの三谷脚本ドラマでも名前を何度か見た、フジテレビのディレクターである。
 舞台版は、前半の方だけだが、テレビで観ている。その時は、検閲官向坂役が西村雅彦、作家・椿が近藤芳正という布陣。これは結構面白かった。登場するのはこの二人だけ。舞台も取調室から一歩も外へ出ない。二人の丁々発止の会話が掛け合い漫才のようで笑えた。後半は見ていないので、どんなオチなのかは知らず、今回の映画版でようやくこの作品の面白さ、良さが理解できた。―これは面白い。おススメである。
 時代は昭和15年。戦争の暗い影が押し寄せる中、当時の文化・芸術・論壇に対し、官憲によって執拗なくらいの検閲が実施されていたのは私も知っている。映画では稲垣浩監督の名作「無法松の一生」が、下賎の車引きが軍人の未亡人に思いを寄せるなどもっての他…という理由でズタズタにカットされたのは有名な話。そして本作のラストでも暗示されているが、優秀な芸術家や作家の多くが赤紙で戦地に送られ、戦場の露と消えている。天才・山中貞雄もその中の一人であった。それらの事実を思い起こすだけでも、当時の日本という国は、なんとバカな事をやっていたのだと怒りがこみ上げて来る。そしてこの作品にはモデルがいて、エノケンの座付作家であった菊谷栄という天才作家がおり、彼は検閲に抵抗を繰り返し、やがて戦地に送られて戦死したという事である。― そうした歴史的事実を予備知識として持ったうえでこの映画を観れば、余計楽しく、かつ感動するはずである。
 お話はいたって単純である。喜劇作家・椿一(稲垣吾郎)が書いた舞台喜劇の台本が、当局の検閲官・向坂(役所広司)によってチェックされ、要求を聞かなければ上演不許可になるので、椿が必死で書き直して翌日に提出してはまたチェックされ、ま直しては…というやり取りを7日間も続けることとなる。コチコチの堅物で、一度も笑った事がないという向坂と、とにかく笑える芝居を書きたい…という椿の、互いの仕事に対するプライドと意地をかけての鍔迫り合い=一種の言葉による格闘技=がスリリングで見応えがある。三谷幸喜の、練りに練られた脚本がとにかく面白い。直しを命じられる度に、台本が逆により面白く笑えるものに変わって行き、それと共に、コチコチだった向坂が次第に“笑い”に理解を示して行き、最初は警察の建物に入るだけでビビッていたいかにも気の弱そうな椿の方も、どんどん力強く、人間的にたくましくなって行く。この変化が、二人の好演(稲垣吾郎も予想以上に奮闘している)もあって実に感動的である。そしてラスト、遂に向坂は、この天才作家に畏敬の念を抱き、二人で作り上げた(そう、向坂も結果としてこの素晴らしい台本の共作者となる)見事な台本を護ろうと強く決心するに至る。椿は遂に“国家”との戦いに勝利するのである。
 “笑い”という武器を使って時代の流れと戦い、勝利する…という点では、チャップリンの戦いとも共通するものを感じる。映画「独裁者」の中でチャップリンは、ヒットラーを徹底的にからかい、そして多くの人に感動を与えた。奇しくもこの映画が作られたのも1940年―すなわち「笑の大学」の舞台となった時代と同じである。三谷はその辺も意識しているのかも知れない。「お国のために」というイヤな言葉が、椿の書いた台本で笑いと皮肉に転じる、その権力に対するオチョクリぶりが痛快である。… 唯一残念な点を挙げれば、こんなに笑えるドラマなのに、観客の少ない劇場では思いっきり笑えない事である。小さな劇場でもいいから、観客全員で大笑いしたいものである。そうすればもっと楽しめるだろう。