隠し剣 鬼の爪  (松竹:山田 洋次 監督)

 「たそがれ清兵衛」に続く、藤沢周平の時代短編小説の映画化。前作は3つの短編を実に見事に融合し、素晴らしい傑作に仕上がっていた。今回も、二編の短編(「隠し剣鬼ノ爪」と「雪明かり」)をうまく組み合わせ、やはり見応えのある作品となっている。ストーリーは、藤沢作品でおなじみ、海坂藩の禄は低いが腕の立つ侍、片桐宗蔵(永瀬正敏)が藩命により、親友狭間弥市郎(小沢征悦)を討つこととなる、その対決シーンがクライマックスとなる。前作とよく似た展開であり、その点でワンパターンだとか、出演者も前作の真田広之、宮沢りえと比べて落ちるとか、総じて批判的な声が多い。だが私はそう思わないし、本作も大変気に入っている。以下批判に対する反論も含めて良い点について述べたいと思う。
 まず、藩命により討っ手を命ぜられる―というストーリーは、藤沢周平作品には何度も登場するパターンであり、むしろお馴染みと言っていい。それをいろいろ趣向を変えつつも、下級武士の悲哀、武家社会の矛盾、そしてチャンバラ対決の醍醐味…等を独特の筆致で描いている所に藤沢作品の良さがある。むしろ藤沢作品を映画化するならこのパターンははずせない…と言ってもいいだろう。ましてや山田洋次監督と言えば、「男はつらいよ」シリーズのように、まったく同じパターンのお話を(なんと48回!も)、観客を飽きさずに仕上げて来た名人である。普通の人なら同じパターンを避けるであろう所を逆にチャレンジしてしまうところに、監督としての並々ならぬ自信をうかがい知る事が出来るのである。
 主演者のキャラクターも、前作は妻を失い、小さな子供二人を育てる清兵衛と、武家の育ちで嫁いだ経験もある朋江―という、大人としての人生経験も豊富な二人であったのに、本作の
宗蔵は独身で、怒りを素直に面に出すなど、若く奔放なキャラクターが設定されている。この点、あまり感情を面に出さず、つつましやかで落ち着いた性格の清兵衛とは対照的である(そういうキャラである以上、真田ではなく永瀬を起用したのも頷ける)。ヒロインのきえ(松たか子)も貧乏な百姓の出で、宗蔵とはこの時代では絶対に一緒になれない、厳然たる身分の差…という障害が設けられている。これだけでも、前作とは明らかに異なるシチュエーションである。映画は、さてこの二人は果たして一緒になれるのか…あるいは、タイトルの「隠し剣 鬼の爪」とは何なのか…という二つのサスペンスを孕み、格調高い前作とは一転してスリリングでワクワクする展開となっている。砲術訓練のシーンも含めて笑いの要素も多く、もともとは観客をいかに楽しませる映画を作るか…という点に腐心して来た“良質エンタティンメント作家”山田洋次監督としては、むしろ本作のような作品こそが似合いのような気がするのである。たまたま前作があまりにも出来が良過ぎた為に比較されてしまったが、もし本作の方を先に作ったなら、間違いなく絶賛されたであろうと想像する(この点、「となりのトトロ」があまりにも出来が良過ぎた為に、次作の「魔女の宅急便」が過小評価されてしまった宮崎駿のケースとよく似ている)。
 私は、映画というものは、その監督の過去の作品や、同ジャンルの他の作家の作品と比較して文句を言うのは好きではない。いったん画面に向かい合ったら、白紙の気持ちで素直にその作品を楽しみ、堪能すればいいと思う。余計な雑念が入ったら身が入らず、面白い作品でも楽しめないのではないだろうか。
 無論、総合評価で点数を付ければ、「たそがれ清兵衛」は満点に近い傑作であり、本作は正直なところ満点とは言いがたい。しかし多少の難はあっても、まぎれもなく近年の時代劇としてはこれは面白く、見応えのある作品となっている。笑い、アクション、サスペンス、そしてひたむきな愛…それらの要素が見事にブレンドされた、良質のエンタティンメントである。特にラスト、前作では原作にない、二人の幸せな結婚生活が3年しか続かなかった…という後日譚を追加し、時代の転換期の過酷さを敢えて表現して見せたが―それはそれで作家としての思いであり、間違ってはいないのだが、娯楽映画を楽しむ観客からはやはり不満も出ていたのは事実である。その辺りを微妙に感じ取ったのか、本作では実に微笑ましいハッピーエンドに持って来ている。観客の目線を常に大事にする、山田洋次監督ならではの配慮であろう…と感じたのだが、如何だろうか。    

(付記) 蛇足を少々。本作にはいろいろと楽しめる要素が他にも隠されている(隠し剣ならぬ隠し技(笑))。まず、官軍兵士を養成するシークェンスは、「ラスト・サムライ」のパロディのようである。田中邦衛扮する伯父が、「侍は刀で戦うべきで、鉄砲など邪道だ」とわめく辺りもその匂いがする。大砲射撃の実演シーンでは、大砲が反動で10メートルも後ろにぶっ飛ぶというマンガチックなシーンがあるが、これも「ラスト・サムライ」もそうだが、大砲の反動をあまり描かない映画が多い事への、リアリズム派山田洋次監督流の皮肉ではないだろうか(笑)。ラストの隠し剣が披露されるシーンでは、倒される悪役に緒方拳を起用したのは、巷で囁かれる通り、あのTV時代劇(笑)に引っ掛けているのは多分間違いないだろう(こういうジョークと言うかゆとりが、もっと日本映画に欲しいものである)。その他では、黒澤明映画からの引用も感じられた。雪の日、宗蔵ときえが再会する叙情的なシーンは、「赤ひげ」の、山崎努と桑野みゆきが雪の日に出会うシーンを彷彿とさせるし、嫁ぎ先で虐待され、寝込んでいるきえを強引に背負って連れ出すシーンは、やはり「赤ひげ」の、岡場所からおとよ(仁木てるみ)を背負って連れ出すシーンを思い起こさせる。スタッフを見ても、殺陣を、黒澤映画でお馴染みだった久世竜の後継者、久世浩が担当しているし、衣装担当も黒澤明の愛娘、和子さんが担当しているなど、黒澤明とのつながりも深い。まあそんなこんなで、楽しめる要素は「たそがれ-」よりこっちの方が盛りだくさん…と言えるでしょう。