いつかA列車(トレイン)に乗って  (荒木 とよひさ 監督)

 「四季の歌」(歌・芹洋子)の作詞作曲で登場し、テレサ・テンや堀内孝雄に詞を提供するなど、作詞家として活躍中の荒木とよひさが、念願だったという映画監督に初挑戦した、ちょっとレトロな味わいの佳作。
 物語は、とある懐かしい雰囲気を残したジャズ・バー「A−Train」を舞台に、ここに集まってくる、いろんな人生を背負った人たちの物語を交錯させ、バーの開店から閉店までの時間を追った群像劇である。いつも早くやって来てはずっとカウンターに座り、ここに集まって来る人たちの運命を観察しているかのような、かつては名を馳せ、今では筆を折った画伯・梅田(津川雅彦)を進行役にドラマは展開する。暗い過去を背負ったバーのピアニスト、江藤(作曲家の三木たかし。好演)。その江藤を師と仰ぎ、プロのテナー奏者を夢見る若者、健一(加藤大治郎)。シングルマザーの歌姫、アンナ(真矢みき)。元検事で、今はジャズをこよなく愛する老人・平松(小林桂樹)。ヤクザな稼業の鱒見(俊藤光利)と、彼を愛しているがどこまでもついて行くべきか迷っているウェイトレス・ユキ(栗山千明)…。その他もろもろの登場人物が入れ替わり訪れてはまた去って行く。それぞれに人生の重みを感じさせる演出が丁寧で好感が持てる。平松老人がつぶやく。「人生なんて、忘れ物だらけですよ。私の人生とは、その忘れ物を探す旅のようなものです」―いい言葉である。
 そしてクライマックス。訪れた音楽プロデューサー、中小路(峰岸徹)の前で、健一はサックスの腕前を披露する。やがて中小路が連れて来たアメリカ人トランペッターやトロンボーン奏者などを交え、ジャズの名曲「A列車で行こう」のジャム・セッションが始まる。加藤大治郎は、本職のテナー奏者でもあり、ここでは本当に演奏している。このシーン、映画としての最高の盛り上がりを見せ、ジャズファンは感涙ものであろうが、ジャズに関心がない人でも十分感動できる。
 さまざまな運命を交錯させながら、やがて人々は次々と帰って行き、バーには静寂が訪れる。人気のなくなったバーで、梅田と江藤がしみじみと語り合うシーンがとてもいい。いつか、A列車(出世への道を暗示する)に乗って行くであろう若者を、暖かく送り出そうとする老人たちの姿にジーンとなってしまう、素敵な余韻を残して映画は終わる。

 この映画のオリジナルは、昭和30年に、内田吐夢監督が新東宝で撮った「たそがれ酒場」。本作はそのリメイクである。場末の酒場にたむろする、いろんな人生を抱え、運命に翻弄される人々の哀歓を“グランドホテル”形式で描いた佳作として知られる「たそがれ酒場」を、現代にリメイクするというのは、映画ファンとしては面白いが、ちょっと冒険でもある。敗戦後の傷跡を抱え、貧乏や失業が蔓延していたあの時代と、高度成長を乗り越え、飽食となった現代では時代が違いすぎる。本作は、元の灘千造が書いたオリジナル脚本を、部分的に変えてあるとは言え、ほとんどそのまま使用している。ために、今の時代では余り考えられないような設定も出てくる。例えば、父の借金の為、給料の前借りをマネージャーに頼み込むウェイトレスとか、ヤクザとの麻薬(らしい)取引を衆人環視のバー内で行う男とか、その男の後を追って駆け落ちしようとする女…とか…。
 しかし、それでもこの映画は魅力的である。それは、どの登場人物にも、人間的な温かみを感じさせてくれる、誠実な荒木演出のおかげである。人生の年輪を経た人たちが語る言葉の重みでもある。現代にこだわらず、いつの時代にも普遍である、人間という生き物のおかしさ、哀しさを描いたドラマとして観ればいいのである。時間が経てば、また観てみたくなる、とてもいとおしい、愛すべき掌編であるとでも言っておこう。