誰も知らない   (シネカノン:是枝 裕和 監督)

 1988年、東京で起きた子供置き去り事件を題材にした力作。カンヌ映画祭で柳楽優弥が史上最年少の主演男優賞を受賞して一躍有名になった。
 是枝監督の作品は、「幻の光」(95)と「ワンダフルライフ」(99)を観ている。いずれも、自然光を利用したドキュメンタルな映像が魅力的な作品であった。今回は実話に取材している事もあり、その映像センスが作品のテーマとマッチして、これまでの是枝作品中、多分最高の出来となっている。
 母親は、男を何人も変え、その都度子供を作り、出生届も出していない為子供たちは学校にも行けない。やがてまた男を作り、母親は僅かの金を渡し、4人の子供たちを置き去りにしてしまう。残された子供たちは、やがて電気も水道も止められたアパートの部屋で、それでも懸命に生きて行く…。
 物語を聞くだけでも悲惨で救いがない。しかし映画は監督の意図だろうが、努めて暗さや悲惨さを払拭し、子供たちはサバイバルを楽しむように、公園の水道を使ったり、コンビニの店員と仲良くなって賞味期限切れの食品を分けてもらったり、知恵と工夫で生きて行くのである。母親像についても、悪い母として否定的に描くのではなく、子供たちとの明るい食卓風景を最初に描いて、どこにでも居そうな普通の人間として捉えている。それが却ってリアルである。映画はラストに、次女に訪れるさらに不幸な運命を描くが、これも淡々とした描写で悲壮感はない。そうした過酷な運命をも、この子供たちは力強く乗り越えて行くだろう事を暗示して映画は終わる。まるで、中途半端な大人の哀れみ(それはとりもなおさず、観客の哀れみでもある)を拒絶し、独自のユートピアを築くかのように・・・。その思いの深さ、心の傷は、大人は“誰も知らない”のかも知れない。
 現実の事件では、結末はもっと悲惨であったと聞く。しかし映画はあえてその辺りをカットし、大人を拒絶し、明るく、たくましく生きる子供たちの姿を前面に押し出す事によって、この作品は、この母親を批判するだけでは何も解決しない、大人社会全体に突きつけられた問題の根深さを強く訴えることに成功している。
 主演の柳楽少年もいいが、他の子供たちの演技もいずれも自然で、とても伸びやかで素敵である。次男の明るい表情にはこちらも微笑みたくなるくらいである。主演賞は、4人の子供たち全員に与えられたものだと考えていいだろう。本年屈指の、これは問題作であり、必見の秀作である。