チルソクの夏 (プレノンアッシュ:佐々部 清 監督)
「陽はまた昇る」、「半落ち」等の佳作で知られる新進・佐々部清監督が、自身の体験(主人公のモデルは監督の妹さんだそうだ)を元に、韓国の少年と下関の女子高校生とが親善陸上競技大会で知り合い、文通し、やがて恋を育むまでを丁寧な演出で描いた、ピュアなラブストーリーの秀作。
時代は1977年。韓国・釜山で行われた関釜親善陸上競技大会に友人たちと参加した郁子(水谷妃里)は、競技大会で韓国の少年、安(アン)と知り合い、文通すること、1年後の七夕の日(七夕は韓国語でチルソクと言う)に再会することを約束する。郁子はハングル文字を勉強し、二人の間に文通が始まるが、郁子の父親は朝鮮人と付き合う事に反対し、安の母も親類が戦時中日本人に殺された事から、こちらも付き合いに反対する。そうした障害にもめげず、友人たちの熱い友情にも励まされて、郁子は安への想いをつのらせる。やがて1年後、今度は下関で開催される競技大会にやって来た安と郁子は、約束通り再会し、七夕の夜、愛を確認する。
下関で全面ロケをした、どことなく懐かしい風景をバックに、佐々部監督の演出は当時のヒット曲(山口百恵「横須賀ストーリー」、ピンクレディー「カルメン'77」、イルカ「なごり雪」等)を巧みに織り交ぜ、ノスタルジックなムードを盛り上げる。郁子の父が朝鮮人を毛嫌いするのは、あの時代では普通で、特に地方へ行くほど、まだまだ朝鮮人への差別・偏見が根強かった時代なのである。一方では軍事独裁政権下、夜間外出禁止令があり、日本語の歌が禁止されていた当時の韓国の状況もさりげなく描いている。しかし映画は、そうした問題点を声高に訴えるのではなく、あくまで少女の瑞々しい想いに焦点を合わせて、二人の幼い初恋を、限りなく優しい眼差しで描いている。そこがとても感動的である。ピュアな愛というものは、国境、言葉の壁、差別、偏見などの障壁も乗り越え、成立するものなのである。
スポーツにひたむきに取り組む少女たちの躍動感溢れる姿を丹念に捉えた映像もいい。実際にスポーツが出来る新人俳優をオーディションで集めたそうで、郁子がハイジャンプするシーンは吹き替えでなく本人が演じている。そうした本物志向の演出も作品に厚味をもたらしている。佐々部演出も、彼女たちの恋も、ひたむきで誠実だからこそ、人の心を打つのである。
個人的には、郁子の父親を演じた山本譲二が印象的。流しのギター弾きという仕事を持ち、短気で、朝鮮人を差別し、仕事がうまく行かないと荒れて喧嘩をする…。そんな落ちこぼれた男にも佐々部監督は公平に優しい眼差しを向けている。喧嘩してギターを壊された父の為に、娘は中古のギターをプレゼントする。このギターで父が“雨に咲く花”を弾き語るシーンには泣けた。それは、こんな父親であっても、二人の間には心が通い合っている事がこちらにヒシヒシと伝わって来るからである。
郁子と安の恋、4人組の友人たちとの熱い友情、そして親娘の心の絆…。いずれもが、人と人とが心を通わせ、互いを理解し合える事がいかに人間社会において素晴らしく大切な事であるかを示すものである。心が通い合えば、争いだって、戦争だって、国境だってなくなるのかも知れない。心が荒れ、簡単に肉親や友人を傷つけたり殺したりする事が増えて来た現代においてこそ、この映画が訴えようとしている事を、多くの人は深く心に刻むべきだろう。その為にも、この映画は是非多くの人に観て欲しい。
残念ながら、(小さな配給会社である為か)公開規模も小さく、ほとんど宣伝されずにひっそりと公開を終えようとしている(映画は昨年完成し、映画の舞台となった下関や九州北部では昨年5月に公開され、ヒットしたそうだが)。なぜこうした素晴らしい作品が全国的にヒットさせられないのだろうか。それがとても残念である。少しでも多くの人に知らせたい為、トップページに公式ページのバナーを貼り付けたので、是非そのページを観て、この作品に関心を持っていただく事を切に望みたい。
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