キューティーハニー   (ワーナー:庵野 秀明 監督)

 このところ、過去のアニメ・ヒット作の実写映画化が盛んである。その流れ自身は悪くない。アメリカでもアメコミ作品が次々実写で映画化され、それぞれに大ヒットを記録しているし…。しかしそれらが成功しているのは、製作費をかけ、スケール感のある大作に仕上げる事によって、子供のみならず、かつてアニメを見ていた大人の観客をも呼び寄せ、広範囲な観客を獲得しているからである。つまりは大人の鑑賞にも耐える作品を作らなければならないのである。残念ながら最近のこうした傾向からは、大人向けなのか子供向けなのか、非常にあいまいな作品作りが目立つ。本作もそう。あまりに大人をバカにした、子供っぽい作りに唖然とする。―なにもキューティーハニーだからと、ハダカを出せ…と言っているのではない。主人公のキャラクター作りからして、まるで人間性が感じられない。いくらアンドロイドだからといって、これではお人形である。別に自己のアイデンティティーに悩む姿を描け…とは言わないが。
 もう一つ、こうしたエンタティンメント・アクションなら、ラストのクライマックスに向けて、どんどんボルテージを高めて行く緊迫感とカタルシスが不可欠である。ところがこの作品は、冒頭10分間でややマンガチックなアクションを展開した以降は、どんどんボルテージが下がりっぱなし。ダラダラとしたハニーと女警部(市川実日子)、記者(村上淳)とのやりとりは見ていてつらいものがある。ラストも、テンションも爽快感もない。庵野監督(「エヴァンゲリオン」)らしいと言えばらしい映画ではある。しかし、アニメ好きのオタク・ファンだけが喜ぶような作品を作っていては、新しい映画ファンの開拓は望めない。「イノセンス」もエンタティンメント性は乏しいが、あちらには押井守の強固な作家性とビジュアルの美しさにおいて圧倒されるものがある。庵野作品はただ薄っぺらいだけ…と言えば言い過ぎか。
 私は、バカバカしい映画を否定はしない。バカバカしい企画であっても、そこに作家としての主体性と志があれば人を感動させる事は出来るのである。いい例が三池崇史監督の「ゼブラーマン」であり、中島哲也監督の「下妻物語」である。これらには感動した。庵野監督は、この2本の映画をじっくり観てその志の高さを見習って欲しいと思う。