パッション   (米:メル・ギブソン 監督)

 キリストの受難を徹底したリアリズムで描き、センセーションを巻き起こした問題作。敬虔なキリスト教徒であるメル・ギブソンは私財27億円を投じ、あらゆる反撥や困難を乗り越えて映画化にこぎ付けた。
 物語は、新約聖書に描かれている、ユダの裏切りに始まり、キリストの処刑に至るまでの最後の12時間を映像化したもので、これまでも「偉大な生涯の物語」(ジョージ・スティーヴンス監督)、「キング・オブ・キングス」(ニコラス・レイ監督)、「奇跡の丘」(ピエール・パオロ・パゾリーニ監督)、変わった所ではロック・ミュージカル「ジーザス・クライスト・スーパースター」(ノーマン・ジュイソン監督)、さらには部分的には「ベン・ハー」(ウイリアム・ワイラー監督、他)、「バラバ」(リチャード・フライシャー監督)などにもエピソードとして語られて来た題材で、クリスチャンの方は当然だが、私のようにクリスチャンでない者でも、映画ファンで前記の作品などを観て来ておればよく分かるお話である。ただ、聖書や資料には描かれているものの、これまでは映画化に際してもやんわり避けられて来た部分=ローマ兵による残虐な鞭打ち刑や、十字架に両手両足を釘で打ちつけるシーン=を特種メイクを使って克明に(しつこいくらいに)描いており、気の弱い人にはちょっと刺激が強すぎてお奨めできない。現実に海外ではショック死した人もいるそうである。
 そこまでしてメル・ギブソンが描きたかったものは何なのか…。ギブソンのインタビューによると、実際のキリストが受けた仕打ちはもっと凄惨だったと言う(皮膚はすべて剥ぎ取られ、両目は茨の冠で潰されていたそうな。ゾゾー)。彼は「真実のキリストの姿を描くにはこれしかなかった」と語っている。つまり、それほど残虐な目に合っても、神に「この者たちをお許しください。彼らは自分が何をしているか知らないないのです」と言ってローマ兵や、処刑に賛同したユダヤ人を許す、キリストの寛容の精神を強調したい…という事なのだろう。実際、笑いながらキリストを血まみれにして行く残虐なローマ兵を見てたら、クリスチャンでない私までも彼らを憎たらしく思ってしまった。処刑が残虐であるほど、キリストへの共感が高まる仕掛けなのだろう。
 賛否両論は必至である、このような映画を作ったメル・ギブソンの勇気には敬服する。ある意味、人間の歴史の上で、いつも起きて来た、囚人や弱いものに対する残虐なリンチや処刑、虐待(アウシュビッツ、南京、ベトナム・ソンミ村、等々…)について考え直すいい機会にこの映画はなるのかも知れない(タイミングよく、アメリカ兵によるイラク人への虐待が露見したばかり)。そんな事まで考え、私は素直に感動した。目をそむけたくなる画かも知れないが、人類の愚かさを再認識する上で、見ておくべき映画ではないかと思う。
 私はそんなわけで、これを歴史上の偉人のセミ・ドキュメンタルな伝記として堪能した。…ただ、ラストのキリストの復活は、聖書にあるとは言え、急にそこだけおとぎ話になったようで違和感が残った。あれがなければもっと点数を上げてもいいだろう。