CASSHERN   (松竹:紀里谷 和明 監督)

 写真家として、また宇多田ヒカルなどのミュージック・クリップ・ディレクターとして知られる紀里谷和明が初の映画監督に挑戦したSF作品。原作はタツノコ・プロの代表作「新造人間キャシャーン」。うーむ、よく分からない取り合わせだが、出来上がった映画もまた取りとめのない中途半端な作品になっていた。
 ヒーロー・アニメを実写で映画化するなら、原作ファンをなるべく裏切らないものにすべきだと思うが、紀里谷和明はこれを「ブレード・ランナー」か、エンキ・ビラルの「ゴッド・ディーバ」にも似た、ダークな世紀末観が漂う重苦しい作品に仕上げている。映像面ではさすがビジュアル・アーチストだけあって、部分的にうなりたくなる見事なシーンがあって悪くないのだが(中空をノアの箱舟のような飛行物体が浮いているシーンはビラルの世界を連想させる)、全体としては反戦のメッセージ臭が鼻につくうえに(それとて中途半端)、やたら観念的な会話が多くて物語がストレートに進まない。主人公もあまりカッコよくなく(いつも血みどろのコスチュームのままでいるのも気分がよくない)、ラストも不得要領。テレビ・アニメ・ファンも、スカッとしたヒーローものを期待した人も、いずれも不満の残る出来であった。こんな作品にするのなら、「キャシャーン」なんか選ばずにオリジナルで勝負するか、あるいは作品の世界観とマッチした原作(平井和正とか栗本薫とかいくらでもいる)を選ぶべきではなかったか。
 ビジュアルは確かに見事…と言えるだろう(ただしあくまで部分に留まる)。しかし、1本の劇場映画として見るなら、監督の力量不足を露呈しただけに終わってしまった。パーツはよくても、全体像としては1本太い芯が通っていないのである。
 紀里谷監督と似た形で映画界に進出した作家―例えばCM界の鬼才だった大林宣彦や市川準などと比較するなら、大林はアマチュア映画作家としてのキャリアも長く、デビュー作「HOUSE」は遊び心がいっぱいの楽しい作品だったし、市川のデビュー作「BUSU」は、少女が悩みながらも成長する姿を瑞々しく描いた爽やかな作品であった(どうでもいいが、3人の作品ともすべてアルファベット題名である)。そしていずれにも共通するのは、決して多額の製作費も、宣伝費もかかった作品ではないにも係わらず、目の肥えた映画ファンも、うるさい映画評論家も、どちらも十分満足させる、エンタティンメントの一級品であった点である。この人たちはデビュー作にして立派にプロの仕事をしていたのである。…それらと比べてみれば、紀里谷作品がプロとしては残念ながら合格点に達していない事が分かるだろう。
 厳しい言い方をしたが、映像面では確かに優れた才能があると思う。次回作を作るとするなら(本作は興行的には成功のようで、その可能性は高い)、次は是非いい脚本を得て、いいプロデューサーと組むべきであろう。それを期待できるだけのものは、確かに感じられたと思うからである。