アイデンティティー    (コロムビア:ジェームス・マンゴールド 監督)

 冒頭、「この映画の結末を他人に教えないでください」というクレジットが出る。「シックスセンス」と同じ手で、つまりこの映画にはそれに匹敵する、アッと驚く結末が用意されている―という事なのだろう。その手のミステリーは私も大好きなので、どう来るのかワクワクしながら観た。で、確かに面白いアイデアである。私は「やられた」と感心した。くわしくはまだ観ていない人もいるからここでは書かない。映画を観た人だけ、こちらを覗いてください(未見の方はくれぐれも見ないでね)。

 物語は、記録的な豪雨の夜、あるモーテルに集まった10人の男女が、次々殺されて行く…というもので、犯人は誰なのか、何故彼らは殺されなければならないのか…という謎解きドラマとして見ても面白い。無論一筋縄では行かない。出演者も、いかにも気の弱そうなジョン・キューザックに、出てくるだけで怪しい(?)レイ・リオッタと役者が揃っている(どうでもいいが、阪神の伊良部にそっくりだ(笑))。ラストはちょっと○○かな?と思えるが(ああ、言いたいけど言えない(笑))、よく思い起こすと、あちこちにヒントらしきものが隠されている。雨の夜のモーテルが舞台という事ではヒッチコックの傑作「サイコ」を思い出させるし、10人の被害者という設定はクリスティの「そして誰もいなくなった」を連想する(登場人物の一人もそれらしき発言をする)。1人殺されるごとに、番号のついたキーが現場に残されれている…というあたりもクリスティ作品的である。この2つの作品を知っている人は、カンが良ければ結末が見えて来るかも知れない。

 とにかく、よく考えられた、しかしいかにも今風…なテーマである。ミステリー好きな人にはおススメの快作である。ただし、「そんなのアリ?」と思われても責任は負いませんので悪しからず(笑)。   

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ここからは、映画を観た方だけ読んでください。

 本文でも述べたが、この映画は「サイコ」がヒントになっている。それは犯人が“多重人格者”だという点である。しかし、あの作品では“二重人格”だったが、本作ではなんと、10人もの多重人格である。「サイコ」の頃は考えられなかったが、今では「24人のビリー・ミリガン」という作品があるように、2桁にも及ぶ多重人格もあり得る時代となっている。この映画はそれをうまく応用している。で、これらの物語がすべて、主人公の頭の中で描かれたものだった…という展開は、ちょっと反則(○○の中はこれです)と言えなくもない。無論冒頭で、ある連続殺人者の精神鑑定らしきシーンが登場するので、ここを頭に入れておくべきなのだろう。しかしそれだったらもう少し1人称描写を増やすべきとも思える。あまりにも客観描写(つまり10人の誰でもない視点)が多いのはフェアではないような気がする。しかし面白かったのは、その仮想のストーリーの中で、真犯人は実はまったく犯人らしくなかった少年だった…という見事なオチの部分である。多重人格者の夢想だった…という展開を抜いて、現実の事件として真犯人当てのドラマとして作っても、クリスティばりに十分面白かっただろう(「そして誰もいなくなった」を思わせるプロットにしたのはその為であろう)。―ただそれだったら、雨の中、どうしても彼は濡れざるを得ないし、外に出なかったはずの少年が濡れていたら不審に思うだろう。ましてや現場に番号付きのカギをどうやって置くかも難しい。そうしたつじつまが合わない部分があるからこそ、これを多重人格者の妄想…という、それこそ2重構造のドラマにしたのかも知れない。

 ともあれ、多少難点はあるにしても、知能を刺激するユニークな構成とドンデン返しには十分楽しめた。―ただ、こうした反則(に近い)技を使った作品がちょっとこの頃多いような気がする(最近の「ファム・ファタール」や「マッチスティック・メン」などもそう)。あまりこうした手が頻繁に使われると、われわれ観客は初めからすべてを疑って見るようになってしまわないだろうか。もっと素直に映画を観たいものである。