赤目四十八瀧心中未遂 (赤目製作所:荒戸 源次郎 監督)
直木賞を受賞した車谷長吉の小説を、鈴木清順監督(「ツィゴイネルワイゼン」「陽炎座」等)や阪本順治監督(「どついたるねん」等)と組んで常に映画界に新風を送り込んで来たプロデューサーの荒戸源次郎が、自らメガホンを取って映画化に漕ぎ着けた、本年屈指の力作。
荒戸氏の監督作は「ファザーファッカー」(95)に続いてこれが2作目。前作も、若手監督とは一味違う、ドロドロした人間関係を骨太に描いていて印象的であった。本作も、一流大学を出ながら人生からドロップ・アウトしたような主人公生島(大西滝次郎)と、彼を取り巻く底辺の人たちとの交流や愛憎を丁寧に描き、見応えがあった。
生島は、流れ流れて尼崎にたどり着き、臓物捌きというまさに最底辺の仕事にあり付き、これも社会の最底辺で生きる人たちが住む安アパートに居を落ち着けるのだが、やがてこのアパートに住む、綾という不思議な女に魅せられ、誘われるままに綾が望む心中への道行きに同道することとなる。
アパートの入り口には、不思議な地蔵のような人形がいくつも置かれており(何故かタイガースの法被を着たカーネル・サンダース人形まである)、まるでこの先は異世界である事を暗示しているようである。アパートに住む人たちも生きているのか死んでいるのか分からないような人物ばかり。生島自身がもう既に死んだような存在である。そこに現れる綾は、唯一“生”の象徴とも言え(彼女の白いドレスは天使を暗示しているのかも知れない)、彼女との営みによって生島は“生”への希望の灯を灯しかけるのだが、その彼女が生島に心中を持ちかけるという皮肉な展開。これは、荒戸がプロデュースした鈴木清順監督の傑作「ツィゴイネルワイゼン」のテーマ、“生きてる者は死んでいて、死んでる者こそ生きている”と微妙にリンクしているようにも見え、荒戸がこの原作の映画化を熱望した理由も、実はそこにあるのかも知れない(原作にない、死んだ少年のマネキンを連れて歩く夫婦の登場も、そのテーマをさらに強調しているのではないか)。ともあれ、まるで“地獄めぐり”のような赤目四十八瀧の心中行の果てに、「九州へ行ってやり直す」と、強く生きる意思を宣言する女の前に、生島は生きる事も死ぬ事もできず、ただ立ち尽くすのみである。――原作の持ち味を損なうことなく見事に生かしながら、映画化に際してさまざまなオブジェを配置する事によってテーマをさらに深化させ、まぎれもなく“荒戸源次郎監督作品”としても成立させた、その力量には感服する。
脇の登場人物たちが、いずれも他に考え付かないくらいの適役を好演。生島に臓物捌きの仕事を与える焼き鳥屋の女主人・勢子姐さんに、「顔」をはじめ映画賞常連の大楠道代(原作を読んでてもすぐ大楠さんの顔が浮かんだ)。同じアパートに住む彫り物師・彫眉に内田裕也。最初キャスティングを聞いた時はちょっと心配したが、予想以上の巧演。居るだけで殺気が漂うような存在感があった。
そして素晴らしいのが、生島を死と生の世界に誘い、翻弄するヒロイン・綾を演じる寺島しのぶ。あの富司純子さんの娘である。梨園の家に生まれながら、原作に惚れ込んで親の猛反対を押し切ってこんな凄絶な役柄を演じようとする、その芯の強さにも感動した。綾が乗り移ったような熱演を見せる寺島しのぶは、今後日本映画を背負って立つ女優に成長するような気がする。これからも注目して行きたい。その他にも、綾の兄を演じる大楽源太、生島の元に臓物材料を運ぶ新井浩文、アパートに住む娼婦たちに沖山秀子、絵沢萠子、内田春菊…と達者で個性的な人たちが並び壮観である。映画ファンなら見逃すな。必見!
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