ターミネーター3   (米:ジョナサン・モストウ 監督)

 ジェームス・キャメロンが創案した傑作シリーズの3作目。キャメロンは前作を作った後、元妻のゲイル・アン・ハード(本作にもプロデューサーとして参加)に慰謝料として著作権を譲渡した為(キャメロン自身はこのシリーズにもうタッチしないと言っている)、本作はキャメロンの作ったシリーズとはやや異なった世界観を持った作品になっている。
 私は、この手のタイム・トラベルものが大好きである。小説なら、ロバート・R・ハインラインの「夏への扉」、広瀬正の「マイナス・ゼロ」などを愛読している。本シリーズも、なかなかひねったアイデアで面白く見ている。ただ、歴史を改変してしまうこうしたタイム・トラベルものには、タイム・パラドックスとでも言うべき矛盾点が必ず生じるものであり、本シリーズも、前作で生じたいくつかの矛盾点を解決する為に次作を作り、その結果また新たな矛盾を発生させてしまう…というパターンを繰り返しているような気がする。1作目では、ターミネーターをプレス機でペシャンコにしたが、潰し損ねたターミネーターの腕がどうなったかは描かれておらず、この時代には存在しないはずのハイテクが詰まった腕を残したのはマズいのではないか。またこれは矛盾ではないが、1997年に審判の日(最終戦争)が起きる事をカイルから教えられたサラが、知ってて何故それを回避する努力をしないのか…という点も問題として残った。2作目の「T2」は、いわばそれらの問題点を解決する為に作られたような物語であった。ところがこの2作目は、確かに感動作とはなったが、審判の日が食い止められたなら、マシンと人間との戦争も起きず、ジョンは人類の救世主にもなれず、マシン側がターミネーターを'84年の世界に送ることもなく、従ってジョンの父となるカイルが'84年に送られ、サラと愛し合う事もなく、結果としてジョンはこの世に生まれなかった…という大きな矛盾が発生してしまったのである(この事は前作公開当時、ミニコミに書いたので覚えている方もおられるだろう)。
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 さて、本作は、前作で食い止められたはずの審判の日は、多少遅れただけでやはり到来し、運命には逆らえなかった…というややペシミスティックな結末となっている。前作に感動した方からは不満の渦が巻き起こっているようだが、むしろ歴史を大幅に改変してしまった「T2」の方が邪道であり、前述の「T2」における矛盾点を軌道修正しようとするなら、こういうストーリーにならざるを得ないのではないか。ジョンがややショボくれた外見で登場するのも、自分の存在意義も見出せず、生きる希望も失いかけているという設定であるなら納得出来る。「T3」以降のこのシリーズ(「T4」が作られるならという前提だが)は、ジョンが「T1」で描かれていた通り、人類の救世主になるべく(それが運命である)成長して行く物語になるように思う。
 監督のジョナサン・モストウは、デビュー作の「ブレーキ・ダウン」、2作目の「U−571」と、いずれもアクションとサスペンスをたたみ掛けるシャープな演出で注目された新鋭で、私も好きな監督である。それで甘く評価しているわけではなく、本作はアクションのテンポも良く、新ターミネーター・T-Xの暴れっぷりやシュワちゃんとの格闘も派手で楽しく、前2作のお約束シーン(裸でタイム・スリップ、サングラス)をパロディにしてしまうユーモアもさりげなく散りばめられ、エンタティンメントとしてはこれは十分見応えのある佳作に仕上がっている。ラストはS・キューブリック監督の、意地悪でブラックな笑いに満ちた秀作「博士の異常な愛情」のラストに似ているが、この「ターミネーター」シリーズも、人類がコンピュータにすべてをまかせてしまった結果、マシンによって人間が亡ぼされる…という、「博士の…」に続くキューブリック作品「2001年宇宙の旅」とも、テーマやモチーフにおいて共通する点があるようにも思う。…そう考えるとこの作品、なかなかよく練られていると言えるのではないか。従ってこれは、前作「T2」の続編として見るより(そう見れば確かに失望するが)、「T1」のテーマをよりアイロニカルに発展させた作品…として評価すべきなのである。