青の炎   (東宝/角川書店:蜷川 幸雄 監督)

 演劇界の巨匠・蜷川幸雄が「魔性の夏・四谷怪談」以来21年ぶりに監督した作品。原作(貴志祐介)は読んだが、少年が殺人を犯すに至るプロセスを丹念に描いた犯罪ミステリーの秀作である。ただ少年の心の内面をモノローグ風に語った部分が多く、映像化は難しいのでは…と思った。出来上がった作品は、蜷川らしい部分も出ていたし、主演の二宮和也がなかなかの好演で、この種のミステリー映画化作品としては良質な出来であった。ただ残念な部分もいくつかある。以下それについて述べる。(多少ネタバレもあります。注意)
 まず冒頭、カラの水槽に少年が横たわっているシーンは、オブジェを多用する蜷川作品らしくていいのだが、これだと少年はいかにも自閉症的な性格だとつい思えてしまう。だが実際は家族ともありきたりの会話はするし、学校でも友人たちと高校生らしい会話をしていて、まったく普通の高校生である。つまり水槽を使った意味はあまり見えて来ないのである。もう少し屈折した性格を強調してもよかったのではないか。
 母や妹に暴力をふるう義父に殺意を感じ、完全犯罪を計画するまではよい。だがこの計画、周到なようで意外と杜撰である。美術の授業中に抜け出し、アリバイ工作をするのだが、白昼、自転車で家に戻ったりしたら、顔を知っている誰かに目撃される恐れがあることは考えなかったのだろうか(実際、退学した旧友に目撃されている)。まあ高校生の考える完全犯罪なんてこんな程度の幼稚なものだという事なのだろうか。“これは完全犯罪ミステリーではなく、少年の心理を追った人間ドラマである”という事ならそれでもいいと思う。だがそれにしては、トリック殺人シーンの描き方と、その後登場する刑事(中村梅雀)が見た目は頼りなさそうだが、実は頭の切れる名刑事であるというあたり、いずれも「刑事コロンボ」か「古畑任三郎」を思わせる描写であり、目撃された友人を事故を装って殺すあたりも「コロンボ」で何度も見た展開である。中村梅雀は好演だが、このキャラクターならテレビで「古畑任三郎」ばりの倒叙ミステリー・ドラマとして作った方が面白かったかも知れない。物語は原作通りなのだが、やはり心理描写と、文章の語り口で酔わせる小説なら感じなかったような弱点が、映像主体で心の動きを捉えにくい映画では表面化してしまう…という事なのだろうか。ラストで刑事が少年を拘束せず、1日の猶予を与えるという展開もちょっとおかしいと思う(エンディングのような少年の行動は予測出来るし、そうでなくても証拠隠滅の機会を与えることになるからである)。
 …とまあ難点を挙げたが、全体的には蜷川演出は映画的な躍動感に溢れており、少年が殺意を抱くプロセスも丁寧で悪くない。出演者もみんな好演で、まあ水準作と言えると思う。問題はやはり脚本だろう(脚色は蜷川自身)。映像化にあたっては、映像としても無理がないよう、前述のような難点をクリアしておくべきである。その為には脚本を徹底的に練り直すべきだろう。つくづく、橋本忍、菊島隆三クラスの、しっかりしたドラマトゥルギーを組み立てる事のできる脚本家の不在が痛い。