Dolls  (松竹:北野 武 監督)

 北野武は天才である(あった?)。デビュー作「その男、凶暴につき」を見た時の衝撃は今も忘れ難い。荒削りでぶっきらぼうながら、鮮烈な映像表現で、確実に低迷しつつあった日本映画界に新風を吹き込んだ。そして、1作ごとに毎回前作のイメージをことごとくぶち壊し、新しい世界を着実に構築して行った。私が特に好きなのは「あの夏、いちばん静かな海。」「KIDS RETURN」の2本で、どちらも役者・ビートたけしが出演していない、瑞々しい青春映画の傑作であった。
 今回の新作は、その、役者・たけしが出演していない3本目の作品。…故に大いに期待したのだが…。物語は、恋人を捨てて逆玉に乗った男と、自殺を図り精神に変調を来たした女とが赤い紐につながり諸国を放浪する物語、弁当を作り待っていた女を捨ててヤクザのボスになった男が、年老いて、まだ待ち続けている女と再会する話、アイドルが顔に大怪我をし、追っかけの男が目を潰す話・・・この3つのエピソードが並列し、微妙に連係しながら進むのであるが…残念な事に、初期の北野作品に感じられた、主人公たちの思いの強烈さ、せつなさが一向に伝わって来ない。そう、まさにタイトル通り、登場人物たちは心を持たない“お人形さん”でしかないのである。そもそも、四季の移り変わる風景を捕らえたリアリズム描写と、ヨージ・ヤマモトデザインのカラフルでポップな衣装(なんで放浪しているホームレスが、あんな綺麗な着物を着ているのか)とが完全にミスマッチである。登場人物の演技も、まさに“お芝居してます”とでも言いたくなるほどワザとらしくてついて行けない。衣装については、これはファンタジーだから…と逃げられても、男が髪が伸び放題なのに何故ヒゲだけはきれいに剃ってるのか…といういいかげんさは説明がつかない。冒頭に意味ありげに描かれる文楽芝居も、本編の物語とつながっているとは私には思えない。最後に盗むドテラのデザインが文楽人形とそっくり…と言うのではあまりにバカバカしい。いくら好きなアイドルが顔を怪我したからといって、自分の目を潰すほどの必然性が今どきの若者に感じられるだろうか。近松芝居も、多分引用した「春琴抄」の世界も、封建性や身分、シキタリに制約された時代でこそ説得力がある悲劇なのである。むしろ、「HANA−BI」あたりから目に付き出した、東洋的エキゾチズムをことさら強調して、映画祭など海外でのウケを狙った意図が感じられて仕方がないのである(前作「BROTHER」でも、指詰め、腹切り等の意味のないヤクザのシキタリ描写は不快であった)。不器用だけどひたむきに生きる若者たちを、やさしく、かつ繊細に見つめていたかつての天才監督・北野武は、いったい何処に行ってしまったのだろうか。