たそがれ清兵衛  (松竹:山田 洋次 監督)

 傑作である。…観終わった後でも、しばらくは余韻に浸り、席が立てなかった。今年の収穫であるだけでなく、ここ10年来に作られた時代劇の中でもベストに入る出来だと思う。「忠臣蔵外伝・四谷怪談」や「雨あがる」などよりもずっと完成度が高い。その上に、心に沁みるだけでなく、ラストに大迫力のチャンバラ・シーンを用意したエンタティンメントとしても一級品に仕上がっている。山田洋次監督71歳!。年令を感じさせない、その映画作家としての旺盛な活動ぶりにはただただ感服。恐れ入りました…と言うほかない。
 しかし、それだけでは批評にならないので(笑)、以下感じた事を書く。
 まず、原作の選定がいい。藤沢周平の沢山の短編小説から、「たそがれ清兵衛」「竹光始末」「祝い人(ほいと)助八」の3編を選び、1本の長編にまとめて脚色しているが、これがまるで最初から長編であったかの如く、話運びに実に無理がない。さすが多くの秀作映画を作って来た山田洋次と朝間義隆コンビ、見事なものである。短編小説を映画化する時のお手本のような素晴らしい脚色である。やはり今年映画化された、山本周五郎の2つの短編から黒澤明が脚色した「海は見ていた」が、ただ2つのエピソードを繋いだだけのように見えるのとは大きな違いがある。脚色に関しては、山田洋次チームの勝ちであろう。
 ストーリーの骨子は主に「祝い人助八」(悪臭で殿に注意されるくだりと朋江に関するエピソード)がメインであり、これに「竹光始末」から余吾善右衛門(田中泯)との対決を挿入している。意外にもタイトルである「たそがれ清兵衛」からは、たそがれ時になるとそそくさと帰る…という、ストーリーラインとは関係ない部分のみ採用している。いずれにせよ原作を読めば、如何に見事に脚色されているかがよく分かる。是非一読をお奨めしたい。そして、原作に無く、脚色で追加されたのが、二人の娘と老母の登場と、お家騒動、そして幕末の騒然とした状況などである。これらもうまく物語りにはまっている(ただ、お家騒動は他の藤沢作品には登場する)。うまいのは、二人の娘と清兵衛とのしみじみとした親子愛で、これが貧しいけれどもつつましく生きる庶民の哀感を伝えて、小津安二郎以来の松竹大船映画の伝統を継承するまさに山田洋次映画になり得ているのである。ちょっとボケが始まっている老母(これが「Shall We ダンス」の草村礼子さんです)や、少し頭の弱い下男(こういう役はハマリ役の神戸浩)をコメディ・リリーフ的に使って、暗くなりがちな物語に笑いを挟んだ作り方も、いかにも山田らしい。…つまり、これまでの山田映画とは違うジャンルに挑戦したかに見えるが、これもまたまぎれもなく山田洋次世界なのである。
 剣の腕を知られた事から、藩命で余吾善右衛門を討ち取らざるを得なくなる展開も、原作よりもずっと丁寧な描き方である(夜、刀を研ぐシーンが素晴らしい)。善右衛門の描き方は原作とは大きく異なる(原作ではそれほど強くないのである)。これが映画初出演となる田中泯(本職は世界的に有名な前衛舞踏家)の圧倒的な存在感が見事。このキャスティングは大正解である。長い放浪の果てに娘を死なせた、その悔悟を語るシーン、そして娘の骨を齧るシーンの鬼気迫る演技が凄い(「仁義の墓場」の渡哲也を思い出した)。彼も又、清兵衛と境遇はほぼ同じである。ただ、恩義のある上司が勢力争いに負けた…それだけで切腹を命ぜられた、その理不尽さに抵抗しているに過ぎない。こうした描き方が、飢饉で飢え死にした死体が川を流れるシーンとも合わせ、武士道社会や政治体制の冷酷さに対する痛烈な批判ともなり、この映画が、殺陣の迫力を描くエンタティンメントであると同時に社会派的な拡がりも持った優れた作品としても成立していることを示しているのである。見事と言うべきである。
 末の娘の(成長後の)ナレーションを入れているのもいい。これによってこの映画が、家族の為に苦闘する父親を娘の視点から見た物語にもなっているのである。剣の達人なのに、それをひけらかさず、常に控えめで、子供たちの成長を生き甲斐とする清兵衛の誠実で凛とした人生は、これこそ高度成長と繁栄の陰で日本人が失ってしまったものではないだろうか・・・と山田洋次は問い掛けているのだろう。
 役者としては、アクションも出来る真田広之がやはり絶妙。そして朋江を演じた宮沢りえも素晴らしい。演技指導にもよるのだろうが、武家の妻としての立ち居振舞いの鮮やかさは驚嘆に値する。時として、私には彼女が東映任侠映画全盛期の藤純子に重なって見えた。これまであまり好感を持っていなかったが、一辺で好きになった。
 語りたい事はまだまだあるが、キリがないのでこの辺で…。とにかく今年最高の傑作である。私の本年度ベストワンは、「阿弥陀堂だより」を逆転して本作に決まりである。