阿弥陀堂だより  (東宝:小泉 尭史 監督)

 東京で、それぞれに心疲れた夫婦(寺尾聰と樋口可南子)が、夫の故郷、信州の農村に帰り、妻は無医村であったこの村の医師となり、売れない小説家の夫は、村の人たちと交流の日々を送る。……ただそれだけの話で、何も事件が起きるわけでもなく、四季の風景の移り変わりと村の生活が描かれるだけである。なのに、観終わって心が洗われ、とても清々しい気分になれる。いわゆる、癒し系とでも言うべき作品なのだが、それだけではない。
 こんな場面がある。…夫婦は、村の素朴な子供たちとたわむれ、童謡を歌いながら村の小路を歩き、夕暮れどきに手を振って別れる。…それだけのシーンである。この時、妻は「どうしてだろ、悲しくもないのに涙が…」と涙をぬぐうのだが、見ている私もポロポロ泣いてしまった。それは、私たちがはるか昔に失ってしまい、もはや忘れかけていた、懐かしい心の古里の風景だからである。我々はどうしてこんな美しいものを捨ててしまったのだろうか・・・。私はこの映画を見て、宮崎駿の「となりのトトロ」を連想した。あの作品もまた、日本人が失ってしまった遠い日の懐かしい日本の風景を描いたものであり、やはり見るたびに泣ける作品である。奇しくも、この「阿弥陀堂だより」のキャッチコピーは「忘れていた、人生の宝物に出逢いました」というものだが、これも「トトロ」のコピー「忘れものを届けにきました」とよく似ている。
 村の阿弥陀堂で一人暮らす、96歳のおうめ婆さんを演じた北林谷栄が素晴らしい。なんとまあ、50年前!からお婆さん役を演じていたこの人の、実に自然体の演技を見るだけでも一見の価値がある。「…であります」という口ぐせが、なんとなくつげ義春のマンガを思い出して微笑ましい。今年度の助演女優賞は絶対間違いない。夫の恩師夫妻を演じる田村高廣と香川京子の大ベテラン俳優も素敵である。
 小泉監督は、前作(デビュー作)「雨あがる」も見応えある作品だったが、監督の実力よりも“黒澤明の遺稿脚本”、“黒澤組スタッフ結集”という点ばかりがクローズアップされていたきらいがあった。しかし脚本も兼ねた本作で、日本を代表する一流監督である事を証明した。是非見ることをお薦めする、素晴らしい傑作である。     

 蛇足だが、監督が意識したかどうか、本作はいろんな黒澤映画を連想させる。高齢なのに超然と生きる老人や、村の子供たちが登場する「夢」(相手役はやはり寺尾聰)、古いお堂のような家で暮らす老人(その妻が香川京子)を描く「まあだだよ」、難病を抱えながらも明るく生きる少女と医師の交流は「酔いどれ天使」、死と向き合う老人の死に際を看取る医師の姿は「赤ひげ」…といった具合である。偶然にしては揃い過ぎていると思うのだが・・・
 本作はスタジオを使わず、長野県飯山市で長期ロケを行った。ほとんどは現地の風景だが、主要舞台の阿弥陀堂は映画の為に美術スタッフが作ったものであり、現在も残されているそうだ。機会があったら、是非訪れてみたいものである。