RED SHADOW 赤影  (東映:中野 裕之 監督)

 この所東映は、「死者の学園祭」で篠原哲雄、「新・仁義なき戦い」で阪本順治、そして本作の中野裕之−と、いわゆるインディーズ系の若手監督を抜擢するケースが多くなっている。これは非常に喜ばしい事で、東映も気の利いた事をするねぇ…と思っていたのだが、出来上がった作品はどれも批評的にも興行的にも芳しくなかった。「新・仁義−」は阪本らしい味が出ていて個人的には好きな方なのだが、旧「仁義なき戦い」のタッチを期待していた観客には不評であった。今回の中野作品もかなり評判が悪い。
 不評の理由としては3つ挙げられる。1つは、
旧テレビ・シリーズ「仮面の忍者・赤影」ファンからで、ヒーローの仮面、チープではあったが見せ場となっていた特撮などの旧テレビ・シリーズのテイストがまったく失われていた事。
 2つ目は、
「スカッとした、SFXやワイヤー・アクションを多用した、洋画の『マトリックス』や『グリーン・デスティニー』にも対抗し得る痛快チャンバラ映画」を期待していたのに、特撮は無し、ワイヤー・アクションもなし、敵を殺さない、ピースフルな(いかにも「Srtereo Future」の監督らしい)作品になっていた事。
 3つ目は、お笑いギャグ・シーンが多かった事。笑えるシーンはあってもいいのだが、誰かが言っていた、ドリフの「8時だよ!全員集合」ノリのベタなギャグであった点が問題である。これでは「赤影」と言うより、子供向けの「忍たま乱太郎」実写版みたいなものである(笑)。

 1番目については、監督自身が方針として「旧作の要素は入れない。まったく新時代の赤影にするつもり」と言っていたから、これについてはやむを得ないと思う。しかしだからこそ、映画ファンの多くは、2番目の要素を期待したに違いない。現に、「東映創立50周年記念」などと謳い、タイトルにも横文字(RED SHADOW)を入れ、チラシや宣伝材料を見ても、やたら「マトリックス」に対抗しているような表現が散見されていることからも、そうした期待は当然でもある(私自身も期待した!)。「日本映画が最近つまらない」などの批判が噴き出している昨今であるからこそ、そうした批判をぶっ飛ばし、洋画なにするものぞ・・・との意気込みに溢れた痛快作品を誰もが望んでいた。大げさに言うなら、“日本映画最後の頼みの綱”でもあったわけである。
 だから、中野監督がどういう意向であろうと、製作会社側としては絶対に2番目の要素を盛った作品にすべきであったのである。それなのに、それらの要素は排除され、最悪なことには3番目のドッちらけお笑いシーンまで盛られてしまったのである。笑いを入れるな…とは言わない。しかし例えば洋画で、キアヌやトム・クルーズなどのカッコいい主人公が鴨居に頭ゴツン!なんてシーンで笑いを取るかどうかを考えればいい。

 部分だけを取れば、スタント・マン(JAC)によるアクション・シーンは迫力があるし、プロモーション・ビデオ等で鍛えた中野監督らしいスピーディなカッティングもあって、それらを誉める人もいる。しかし映画はプロモーション・ビデオではない。2時間近いトータルな流れを持続した映像芸術なのである。もしくは、1,800円もの金を取る代わりに、その金に見合う満足感を観客に与えなければならない“商品”なのである。チンケな子供向け商品を売るなら、それに見合った値段(500円くらいなら我慢する)と、外装であるべきである。分かりやすく言うなら、モンブランの洋菓子かと思える高級風な外箱を開けてみたら、中味は栗饅頭だった・・・みたいなものである。栗饅頭だって好きな客はいる。それならそういう外装をすべきである。しかもその上にトッピング(=斬新な映像感覚?)をしている(笑)。そんなチグハグな菓子が売れるものかどうか、店主(東映)は考えているのだろうか?金返せ!と言われて当然である。ついでながら、あちらのテレビ人気番組のリメイク「チャーリーズ・エンジェル」は、旧テレビシリーズ・ファンも満足させ、かつ「マトリックス」で目の肥えた映画ファンも楽しませてくれている。これが“商品”を売る側のサービスというものである。
 今回はほとんど作品評にならなかった。しかしこの映画は作品評以前の問題である。日本の映画観客の多くが何を求めているのか(「マトリックス」「M:I−2」が大ヒットし、批評が芳しくないにもかかわらず「ホワイトアウト」がヒットした原因は何か)についてまったく分析が出来ていない、はたまた、日本映画が今、置かれている状況がまったく読めていない、映画製作会社の絶望的な怠慢にはもはや言葉もない。中野監督を私は責める気はない。むしろ深刻なのは、企画をコントロールし統括して行く優秀なプロデューサーの不在の方である。この映画のプロデューサーは誰なのか?それすら不明である(製作委員会方式である為、数は多いが主体が誰か分からない)。角川書店も委員会に参加しているが、角川春樹がいたなら、こんな無残な結果にはならなかっただろうに・・・。少なくとも、まったく笑えないお笑いシーンは、試写の段階でカットを命じたことだろう。・・・まあしかし、いろいろ言ったが、中野裕之らしい映画にはなっている。「SF/サムライ・フィクション」に感心した人には楽しめる所(冒頭の布袋寅泰登場シーンなど)もあるし…。不発作ではあるが、これを駄作と呼ぶには当らない…という事である。
 それにしても、中野裕之の監督起用を決めた人は、いったい誰?