ホタル  (東映:降旗 康男 監督)

 かなりヒットしているようで、こういう中高年向きの作品が極端に少ない現状でのヒットは喜ばしい事である。批評的にもおおむね好意的だし…。
 題材の取り上げ方は大変にいい。今の時代、特攻隊という悲惨で残酷な戦術があった事、そして日本軍兵士として戦争に狩り出され、日本のために死んでいった多くの朝鮮人兵士がいた事も語り継がれなければならないと思う。ただ残念なことに、そういった多くのエピソードを羅列する事に追われ、全体としてのストーリー構成がかなり雑になってしまっている。以下その点について述べる。
 まず、この作品の製作動機となったのは、高倉健がテレビ番組「知ってるつもり」で、“知覧の母”と呼ばれた鳥浜トメさんのことが取り上げられていたのを見て、高倉がこれを映画化したいと望んだ事から始まった。そして映画化にあたって特攻隊に関するエピソードとして
@鳥浜トメさん(映画では富子)が経営する富屋食堂に、特攻隊員がたびたび食事に訪れ、トメさんが彼らから本当の母のように慕われていたこと
A特攻隊員の宮川軍曹(これは映画でもそのまま)が出撃の前の晩「自分が死んだらホタルになって帰って来る」とトメさんに言い残し、帰らぬ人となったその晩、本当にホタルがやって来たこと
B朝鮮出身の光山少尉(映画では金山少尉)がやはり出撃前夜に、トメさんの前で「アリラン」を歌い、形見として財布を置いて行き、翌日戦死したこと
 などの実話が映画の中に取り入れられたのである。これらのエピソード、どれも悲惨で、またそれぞれのエピソードが人と人との心の交流がキーとなっている事もあり、映画を見てて私も泣いてしまったのである。(なお、下記URLをクリックすればその関連ページが見られます)
    http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Bull/5410/torihama_tome.htm

 ところが、上記以外のお話(つまりフィクション部分)があまりにもとって付けたようなイージーな展開であるので、せっかくの映画が全体として甚だまとまりに欠けた中途半端な出来になってしまっている。まず主人公の山岡(高倉健)が多くの同僚を失った特攻の生き残りであるのに、そのことの苦悩があまり描かれていない。山岡が特攻に出撃したのに生き残ったという事実は重大なポイントなのだが、その理由については船長(夏八木勲)の口からチョロッと語られる(敵の防御線に阻まれ不時着した。腕にはまだ後遺症が残る)だけである。これも弱い。同僚の藤枝機が故障で引き返す絵を入れているのに、もっと重要な山岡機不時着の絵がないのは致命的である。後遺症で苦しむシーンもどこかで入れておけば、生き残った理由につなげられるのにと思う。彼の妻知子(田中裕子)が戦死した金山の許婚であったという事実や、知子が腎臓病で1年半の命であるというのも、上記のエピソードの重さに比べてご都合主義的すぎる。知子の心理としては、「なんで金山が死んであなたが生き残ったのか」と山岡をなじるのが普通だろう(実際、韓国の金山の遺族はまずそう非難している)。それを乗り越え、二人が結ばれるまでには相当の心理的葛藤があったと思われるのだが映画はまったくその事に触れていない。また金山少尉が出撃の前日、山岡たちに遺言らしき言葉を残すのだが、この扱いがえらく中途半端である。「許婚に残す言葉はないのか」と問う山岡たちに「特攻が特攻に伝言もないだろう」とまず金山が言い、その後結局「自分は日本帝国の為に死ぬのではない。朝鮮民族の誇りを抱いて死ぬのだ。朝鮮民族万歳、トモさん万歳」と言い残す。この言葉はなかなか泣けるのだが、これは一体誰に残した言葉なのだろうか。知子あてか、韓国の家族あてなのか…、どちらにせよいずれ出撃する山岡たちに伝言しても意味がないし、もし生き残ったなら伝えてくれという事なら、終戦後に山岡は何故知子に伝えなかったのだろうか(伝えないまま結婚したとすればちょっとズルい気がするが?)。
 つまりは、前記3つの実話エピソードを、健さん中心としたストーリーの中に無理にはめ込もうとして破綻が生じてしまっているのである(3エピソードを中心にするなら、主役はトメさんこと富子にすべきだろう。ただしそれでは客は呼べないだろう。難しい)。ラストの韓国訪問のシークェンスでやっと全体が引き締まるのだが、知子の扱いの中途半端さは最後まで残る。ラストはいきなり時代が11年も飛び、結局山岡から知子への腎臓移植は成功したのかしなかったのか、知子はどうやら死んでいるようなのだが、どのように亡くなったのか・・・いずれも全然触れられずに映画は終わる。あえて細かい話を描かないという手法も確かにあるし、それが成功している作品もある。だがいかにも“戦後を生き延びた夫婦の物語”ふうな宣伝をしている以上、知子の心の中や彼女の生涯はもっと丁寧に描かれるべきではなかったか。

 健サンの存在感はさすがである。しかしやはり彼のスター性に頼ったという限界も見える作品である。それでも、見ている間中、そうした欠陥を悟らせなかった降旗演出は、うまいと言えば確かにうまいのだが…      


(付記)脚本担当の竹山洋が書いたノベライズ版を読むと、知子は平成2年、腎臓移植を拒否して死ぬことになっている。また山岡の体内には機銃弾の破片が入ったままであり、その後遺症で苦しむシーンも出てくる。時間の都合もあったろうが、この2つのエピソードが映画に入ってないのはやはり不親切である。