日本の黒い夏[冤罪] (日活:熊井 啓 監督)

 熊井啓は、デビュー作「帝銀事件・死刑囚」以来、「日本列島」「地の群れ」「日本の熱い日々/謀殺・下山事件」「海と毒薬」など、社会的テーマを持った力作を数多く発表して来た。その熊井が、地元でもある松本で起きた松本サリン事件で冤罪に陥れられた河野義行さんを題材にした映画を作ろうとしたのは、その流れからして当然のことでもあった。70歳を超えて、なおも社会悪を追求する作品を作ろうとするその情熱には敬服する。が、…それはそれとして、映画を見て、いくつか不満を感じた。まず登場人物がみんな仮名であるが、私は実名にすべきではなかったかと思う。最近のアメリカ映画は「エリン・ブロコビッチ」でも「インサイダー」でもみんな堂々と実名にしている。事件は解決し、河野さんも完全に市民権を回復している以上、実名にして迷惑を被る人はいないのだから仮名にする理由はないと思う。その方が事実の重みがグンと増すからである。しかも“オウム真理教”の名前すら出さないのはどうしてか(映画では単に「カルト教団」としか言っていない)。わざわざ地下鉄サリン事件のニュース映像をそのまま使用しているのに−である。熊井監督は、デビュー作「帝銀事件・死刑囚」では裁判継続中にもかかわらず、死刑囚平沢貞通を実名で登場させていただけに、余計残念である。
 もう一つは、映画のストーリーを、事件が起きてからほぼ1年経って、高校生の取材を通じて事件をふり返るという構成にしているが、これではサスペンスとしての緊張感がないし、テンポがゆるくてモタモタした印象を受ける。女子高校生が正義漢ぶってマスコミの態度をなじるのもとってつけた感じだし、同伴する男子高校生に至ってはまったく存在感が薄い。放送局側で、報道部長(中井貴一)に反抗し河野さんクロ説を主張する記者も、事件が解決しているのにまだスネていて、いちいち高校生を鼻であしらうのもヘンな感じである。だから、ラストでサリン実行犯が自供したというニュースが飛び込んで来る、本来クライマックスとなるべきシーンがまったく盛り上がらないのである。私はこれは、事件発生から時間軸に沿って順に描いくべきだったと思う。その方がサスペンスもずっ盛り上がり、追い詰められる河野さん、警察捜査に疑問を抱く報道局長のそれぞれの緊迫したドラマがスリリングに展開し、良質の社会派サスペンス・ドラマになって興行的にも成功したのではないかと思う。企画そのものは立派だし、映画化にこぎ着けた熊井監督の執念には敬意を表したいが、“面白い”映画になれたはずなのにできなかった、その事が残念である。