ストップ・モーション  (阪野パノラミイク:寿野 俊之 監督)

 これはなんともヘンなプロセスをたどった映画である。'95年、東映京都撮影所の若手フタッフを中心に、撮影所の人間だけで、“撮影所を舞台にした”1本の映画を作る企画が持ち上がり、スタッフも出演者も無名の人たちばかりが参集して製作を開始したが、資金難などで難航を重ね、完成までに5年かかってしまったという。そして配給先もなかなか見つからず、やっと一部のミニシアターで短期公開された(大阪では超ミニシアター、国名小劇で1週間のみ公開)。当然宣伝経費も微々たるもので、そんなわけで多分映画ファンですらこんな映画が公開された事はほとんど知らないだろう(キネ旬にもシネチリにも作品批評は掲載されていない)。で、それでは気の毒なので一応当欄で紹介しておくことにした。
 お話は、撮影所を舞台に1本の映画が完成するまでの物語で、…そう書けばトリュフォーの「アメリカの夜」のような映画か…と思うだろうが、あれとは比べ物にならないショボい作品である。一応主人公の編集技師が監督とラストシーンの編集をめぐって対立し、助手の女の子にまで批判されてカッとなって問題のシーンのフィルムを捨ててしまい、さあどうやって映画は完成するのか…というストーリーはあるが、作られている作品はといえば、アクション映画とも任侠映画ともつかないB級作品で、それほどこだわるほどのもんかいな…と思えるし、食品会社で上司にイビられたOLが、映画ファンでもないのにたまたま道で会った(!)プロデューサーに誘われて撮影所の編集助手になる…という出だしもかなりヘンな話である。撮影所の人間が大事なネガフィルムを窓から捨てるというのも常識では考えられない。で、どうやって完成したのかというと、未見の方の為に言わないが、そんなんだったら何も苦労しないよ〜というオチで、せっかく撮影所の人たちが力を合わせて作るのだったらもっとそうした多くの裏方のスタッフの仕事ぶりや縁の下の力持ちぶりを描くべきではなかったか(まるで編集者と監督とカメラマンしかいないかのような描き方である)。も一つヘンなのは、これは最近珍しいシネスコサイズなのだが、それをチラシやポスターで大々的に謳っているのである。洋画ではあたりまえだし、日本映画でも「男はつらいよ」はずっとシネスコだったはずだ。そのわりにはせっかくのシネスコ画面を上手に生かしたような構図もほとんど見られない。そんな事に力を入れるより脚本をもっと練るべきだ…とチラシを見たら脚本家の名前がどこにもない!・・・(クレジットにあったかどうか覚えていない)。
 1本の映画が作られるまでにはさまざまなトラブルがある話はよく聞く。でもこんなチンケで些細なお話では盛り上がりも感動もない。例えばスポンサーが逃げたり、脚本家や出演俳優が次々と無理難題を言って来たり、セットが台風で壊れたり・・・と次から次へと押し寄せる難関を全員一丸となって乗り越える・・・という展開ならずっと面白くなったのではないか(三谷幸喜脚本・監督の「ラヂオの時間」がそういうドラマでとても楽しく且つ感動的であった)。唯一の見どころは、先日亡くなった東映の名監督、工藤栄一氏が映写技師の役でワンカット出演しているところ。まあそれ以外見るところなし。実に残念、無念!