ekiden(駅伝) (東映:浜本 正機 監督)

 はっきり言って、監督はまったく知らないし、話題にもなっていないし、正直なところ、田中麗奈が出ていなければ見逃していたかも知れない。ところがこれが意外な拾い物であったのだから映画はとにかく見てみないことには分らない。
 ストーリーは、大学の駅伝部にいた2人の親友が卒業後就職し、1人(義彦)はマラソンのホープとして脚光を浴び、もう一人(壮介)は父がかつていた造船会社に入り、廃部になった駅伝部を再建し、半ば強引にメンバーを集め、最初は白い眼で見られながらも次第に成績を上げるも、不況による会社合併で廃部をせまられ、部の存続をかけて駅伝大会に臨む・・・というもの。最初は寄せ集めで(首切り担当の人事課員や労組員やイラン人兄弟までいる)ほとんど勝負にならなかったのが、やがて走るたびにレベルが上がり、チームワークが出来てくるという、おなじみ「メジャーリーグ」「シコふんじゃった。」「メッセンジャー」といったウェルメイド・スポーツ・エンタティンメントのパターンで(これについては「メッセンジャー」評にてくわしく解説)これだけでも面白い。そこに、不況でリストラ、解雇を迫られる中高年の悲哀、主人公2人に彼らに好意を寄せるさおり(田中麗奈)とのプラトニックな三角関係、マラソンで注目されながらも心臓の欠陥により走ると命が危ないと医者に宣告され、絶望する義彦・・といった話が織り込まれ、友情に恋に仲間の連帯意識にクライマックスの一大レースと、この手のエンタティンメントの条件をほぼ網羅し、ユーモアとペーソスもありと少々欲張り過ぎるくらいのサービスぶりである。演出はなかなか健闘しているが、男女3人の恋模様がやや中途半端なのが惜しい。田中麗奈も頑張ってはいるが実年齢より上の大人の恋を演じるのには荷が重すぎたかも知れない。しかしそれでもこの映画を私は高く評価したい。前述のエンタティンメントの条件を満たしているだけでなく、構造不況で大手への吸収合併を余儀なくされる会社、それによって大量の人員整理=リストラが行われ、駅伝メンバーたちも多くが失職し、職を探しているというラストは、現代日本の状況をも反映している。しかし彼らが、亡き友の分までとマラソン大会でひた走る壮介の姿をテレビで見て、それぞれに「頑張れ!」と声援を送るのを見て私も胸が熱くなった。壮介の必死の頑張りに、仕事を失い落ち込んでいる中高年の男たちはきっと勇気付けられ、生きて行く元気が湧いたことに違いない。そう、これは青春映画であるが、人生に疲れた中高年への人たちに捧げる人生讃歌でもあるのだ。プライベートな事になるが、私の会社も不良債権を抱え、別の会社に吸収され、元の職員は半数が職を失った。私は幸い新しい会社に移ることが出来たが、元同僚たちの多くが今もなかなか仕事が見つからないでいる。そんな事もあって余計このラストに感情移入し、ポロポロ泣いてしまったのである。この映画を、そんな元の仲間たちにも見せ、勇気付けてあげたいと強く思った。残念なことにこんな力作が、ごくわずかの映画館でロクに宣伝もされずにひっそりと公開され、田中麗奈や中村俊介のファンくらいしか見に来ていないせいか、私が見た時には観客は1ケタ台であった。本当に残念だ。題名も問題がある。この題名では見る気がしない。田中麗奈が出ているのだから「がんばって走りまっしょい」(笑)くらいの元気な題名にすべきではないか。もっともっと多くの人に見てもらいたい。このページを見た人もぜひ映画館に行って欲しい。私もあちこちで宣伝するつもりだ。
 この映画を製作したのは、これも田中麗奈主演の秀作「はつ恋」を製作したエンジンネットワーク/デスティニー/TBS他。プロデューサーの中に私のご贔屓、黒澤満氏の名もある。このチームは今後も注目したい。(余談だが、この所やたら「(題名)製作委員会」の名で作品を発表するケースが多いが、これはやめてはどうか。どこが作ったのかはっきりしないからである。「エンジンネットワーク/デスティニー共同制作」といった具合にしてくれた方が分りやすい)とにかく何度も言う。見るべし!     

      「ekiden」公式ホームページ→ http://ekiden.nifty.com/

(付記)出演者のうち、設計部勤務の内向的で無口な横井役の俳優。どこかで見たことのある顔だと思って確認したら、なんとあの大林宣彦監督作品「青春デンデケデケデケ」でアカシのタコこと岡下巧(ドラム担当)を演じていた永堀剛敏ではないか。あの作品も“仲間を集めて練習を重ねて次第に上達して学園祭で成功する”という、前述のウェルメイド・エンタティテンメント・パターンの秀作である。期せずして、「がんばっていきまっしょい」の田中麗奈、「メッセンジャー」の別所哲也と、この手の作品に出演していた役者が揃ったのは偶然だろうか、それともこの映画がこれら3作品の流れを汲む作品である事を強調したい製作者側の意図が含まれているのだろうか・・・。