リプリー (米:アンソニー・ミンゲラ 監督)

 パトリシア・ハイスミスの原作の2度目の映画化。1度目がもはや古典と言っていい名作「太陽がいっぱい」(60)であり、今回の方がやや原作に忠実。しかしこれは決して「太陽がいっぱい」のリメイクではない。つまり前作は名匠ルネ・クレマンが当時台頭しつつあったフランス・ヌーベルバーグに対抗し、いかにもフランス映画らしいしゃれたムードを漂わせた完全犯罪ミステリーに仕上げたものである(タッチとしてはルイ・マルの完全犯罪もの「死刑台のエレベーター」(57)に影響されており、主演が「太陽−」にも出ているモーリス・ロネ、撮影も両作とも名手アンリ・ドカエ、ラストもどんでん返しがあるなど、「太陽−」と共通点が多い)。今回の新作は、前半は「太陽−」とほぼ同じだが、後半はまったく異なっており、その点ではどんでん返しミステリーを期待していたなら肩透かしをくらってしまう。何より、主演のリプリー役がマット・ディモンで、これが超ハンサムのアラン・ドロンとは正反対に野暮ったいのである。反対にディッキー(「太陽−」ではフィリップと変えられていた)はグッとハンサムで、実はゲイのリプリーが美貌のディッキーに恋し、つれなくされたのでカッとなって殺す・・・という展開になる。「太陽がいっぱい」で隠し味となっていたゲイ趣向が、この作品では前面に押し出され、それがラストにもつながって行く・・・。以上からも分かる通り、この作品は完全犯罪ミステリーというより、ダサくて陰気な若者が、ふとした事から犯した犯罪を隠蔽する為に、どんどん堕ちて行くという“文芸ドラマ”なのである。ラストはそんなわけで、開放的な「太陽−」とは正反対に、暗い部屋に閉じこもったまま、地獄にまで足を踏み入れてしまった主人公の絶望で終わるのである。
 力作であるのは間違いないし、演出も正攻法でゆるぎない。しかし何かひっかかってしまう。やはり映画は爽やかに終わって欲しい。「太陽がいっぱい」も、ラストで完全犯罪は崩壊するのだけど、しかしどことなく爽やかでいい気分で映画館を出た記憶がある。時代の違いかも知れないけど、私はやっぱり前作の方が大好きである。