雨あがる (東宝:小泉 堯史 監督)

 こちらもまたハッピーな気分になれる力作。黒澤明の遺稿の映画化であるが、晩年の黒澤作品(特に「乱」以降)がどれも老人が主要人物(「夢」の笠智衆も含め)でどことなく精気に乏しかったのに比べると、この作品にはまだ若さ(と言っても主人公はほぼ中年だが)と希望がみなぎっている。黒澤の助監督を長くやって来た小泉監督、予想以上にいい作品に仕上げてくれた。出世や打算よりも、貧しい人々の心をなごませる事を大事にする主人公、そんな主人公を理解しすべてを許す妻、それをまた気に入って馬で追いかける殿様・・・どの人物も現実にはいないだろうが、でもこんな人間ばかりなら世の中もっと住み易く平和であることだろう。いかにも黒澤らしいヒューマニズムに溢れ、まさに雨あがりのように爽やかで元気になれる映画である。腕が立つのに控え目で心やさしい主人公は同じ山本周五郎原作「日日平安」の映画化「椿三十郎」の、最初堀川弘通監督の為に企画された時の主人公菅田平野と、強い浪人三十郎とを足して2で割ったような設定だし、主人公のそんな姿をすべて理解し、殿の家来にピシリと一言いう妻はやはり「椿三十郎」の入江たか子扮する奥方を思い起こさせる。庶民たちが酒宴で秋田音頭を踊り歌うシーンは「どん底」のラストを連想させるし、何より冒頭の延々と降る“雨”が「羅生門」「七人の侍」を思い起こさせ(「羅生門」のラストはまさに“雨あがる”である)、期せずして全盛期の黒澤映画へのオマージュにもなっている。三船史郎が親父そっくり(特に初期の「酔いどれ天使」の頃)なのには笑った。この人、もっともっと映画に出て欲しい。唯一残念な点、道場の侍たちとの決闘シーンで斬られた男の体から鮮血が噴き出す場面は不必要。黒澤は「椿三十郎」以来映画に血しぶきシーンを流行らせた事をすごく後悔しており、以後自作で体から血が噴き出すシーンは描かなくなった(「乱」でも原田美枝子が斬られた直後、原田の姿が画面から消え、血だけが壁にかかる)。黒澤が監督したならこういう描き方はしなかった筈である。ここだけ親の心子知らずのマイナス点であった。