お受験 (松竹:滝田洋二郎監督)
設定は悪くない。会社のマラソン部で長年中心選手として走って来た主人公(矢沢永吉)が、年齢(45歳)からもそろそろ引退という時期に、自分の人生の総決算を賭けてラストランに挑む・・・・という物語で、これは作り方によっては感動作になる可能性も秘めていた。よくある、自分の夢をかけて試練に挑むという感動映画のパターンにあてはまるわけで、主人公の愚直な生き方に共鳴して行く若者(鈴木一真)や、出走前に、「あなたは私たち熟年の希望の星なんです」と激励に来る中年男(でんでん)が登場しているから、余計期待は高まるのである。“正しい娯楽映画”ならラストは、「お受験」面接などほっぽり出して応援に駆けつけた家族の前で、見事入賞を果たす主人公の姿を捉える、感動と涙のラストシーンが用意されていなければならない。・・・・はずなのに、な、なんなんだ、このラストは、・・・・ 私はしばらくは開いた口が塞がらなかった。主人公は途中でレースをほっぽり出して、お受験面接会場に駆けつけ、面接官の前でニコッと笑うのである。これはまさに、応援した人たちや一緒に走った同僚たちや観客に対する重大な裏切り行為ではないのか(“熟年の希望の星”はどうなったのだ!)。それに対して家族も、作者たちも誰も批判しない。それどころか、「お受験」という歪んだ教育システムに対してすら、無定見に「こちらの方が人生で大事なんですよ」と賞賛するような(お受験産業がスポンサーについているのかと勘ぐりたくなる)ラストには、あきれを通り越して腹が立ってくる。しかも脚本がかつて「私をスキーに連れてって」「彼女が水着にきがえたら」などのホイチョイ・プロの佳作、「木村家の人びと」などの傑作を書いて日本映画のホープと期待された一色伸幸、監督が「コミック雑誌なんかいらない」、「木村家の人びと」(一色脚本!)などの秀作を連発していた滝田洋二郎という豪華コンビなのだから余計腹が立つのである。この顔ぶれに期待して劇場に行った人たちも多いはずである(断っておくが、期待するからこそ筆も辛辣になるのであって、期待しない人なら最初から相手にしない)。作者たちは「メッセンジャー」の爪の垢でも飲んで出直して欲しい。今後こそ期待を裏切らないでくれ。頼むから・・・ ()