しょうわきょうかくでん
  第8回 「笑和狂画傳−ナンセンス大行進−

 
開催日: 1975年4月26日(土)

場所: シギノ大劇

上映開始: PM 10:40

テーマ: 第8回に至って、まったく突然に、日本映画に狂い咲いた、ナンセンス・コメディの快作群を取り上げる事となった。別に不入り続きでヤケクソになった訳ではない(笑)。日本プログラム・ピクチャー史をたどれば、こうしたバカバカしくも楽しいナンセンス・コメディというジャンルは、戦前のエノケン主演もの(「エノケンの法界坊」(1938)等)を嚆矢として脈々と受け継がれて来ており、どこかで取り上げるべきテーマだからである。かくて、筋金入りのB級映画マニアであるメンバーが厳選した、笑いと狂気のナンセンス・カルト・ムービー群を存分にお楽しみあれ(しかし、せっかく根付いた常連客から愛想を尽かされないかと不安も…)。

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(作品紹介)

 牛乳屋フランキー

 製作:日活 
 封切日:1956.12.05 上映時間:84分  白黒/スタンダード
 製作:茂木了次  
 監督:中平 康
 原作:キノトオル、小野田勇
 脚色:柳沢類寿、西河克己、中平 康
 撮影:姫田真佐久
 助監督:松尾昭典 
 出演者:フランキー堺、坪内美詠子、小沢昭一、市村俊幸、利根はる恵、中原早苗、澤村國太郎、宍戸 錠

 これはおそらく、我が国スラップスティック・コメディ史上に残る傑作だろう。同年、裕次郎主演の「狂った果実」で一躍注目された才人・中平康監督によるものだが、コメディを撮らせても異才ぶりを如何なく発揮している。
お話としては、主人公堺六平太(フランキー堺)が、親戚の経営する杉牛乳店を応援するため郷里長州から上京し、ライバルのブルドッグ牛乳に珍アイデアと馬力で対抗し、最後に大逆転勝利を得る、という他愛ないものだが、次から次と繰り出される過剰なまでのギャグ、ドタバタ、皮肉、パロディ、諧謔精神の洪水にはただ圧倒される。
とにかくフランキー、よく体が動く。牛乳配達のため、団地の5階まで凄い勢いで駆け上がり、そのまま駆け下りては隣の階段をまた駆け上がり、ヘロヘロになるまでをワンカットで撮っているのが凄い。キートンにしろエノケンにしろ、昔のコメディアンは実にタフだ。
西部劇のガンベルトよろしく、体中に巻きつけたホルダーから牛乳を抜き出し、両手で両隣の家の牛乳箱に放り込んで行く早業ぶりも楽しい。
一番笑えるのが、市村俊幸扮する大学生の小説家、石山金太郎のエピソード。頭を金太郎刈りにして、「狂った太陽」なる小説を執筆していたり、牛乳に睡眠薬を入れて女を眠らせ、悪さをしようとして失敗したり。明らかに当時太陽族小説で人気絶頂の石原慎太郎を徹底的にオチョくっている(後者のエピソードは市川崑監督で映画化された「処刑の部屋」のパロディ)。日活を大儲けさせた慎太郎をオチョくる映画を平然と作る中平も、それを意に介さなかった慎太郎もどちらもエラい。
その他、キノトオル、小野田勇の両原作者、ドクトル・チエコ、岡田眞澄、丹下キヨ子、水の江滝子(本人役)等、ゲスト出演も豪華。ちなみにドクトル・チエコは、当時日本の性医学評論のパイオニアであり、キノトオル夫人でもある。
今観ればかなり解説しないと分からない箇所もあるが、当時の観客は大爆笑だった事だろう。ラストでは「信用ある(K)日活映画」と描かれたバスが画面を横切るのもおかしい。
なお劇中でなんとインディアンが登場する西部劇映画を撮影しているシーンがある(映画会社の名前が頓活映画(笑))が、後に日活が和製西部劇を量産し始めるのはこの3年後である。この次に上映する和製西部劇「俺の故郷は大西部」を監督する西河克巳が本作の脚本に参加しているのも、何やら不思議な縁である。助監督役の、まだ頬っぺたが膨らんでいない宍戸錠が若々しい。

 

 俺の故郷は大西部(ウエスタン)

 製作:日活 
 封切日:1960.12.27 上映時間:63分  カラー/日活スコープ
 企画:児井英生
 監督:西河克巳
 原作:野村耕三
 脚本:山崎巌、西河克巳
 撮影:伊佐山三郎
 助監督:白鳥信一 
 出演者:和田浩治、清水まゆみ、東野英治郎、杉山俊夫、殿山泰司、近藤宏、E・H・エリック
 
小林旭主演“渡り鳥”シリーズの大ヒットから、その後続々と作られた日活和製西部劇の中でも、極めつけが本作。冒頭は1880年のアメリカ西部(と字幕が出るが、それらしき日本のどこかでロケ)、OK牧場でのワイアット・アープと、クラントンならぬクラトン一家の決闘が描かれるなど本格的。そのアープの孫というジョージ(和田浩治)が日本にやって来て、こちらもクラトン一家の孫(E・H・エリック)と対決し、最後に両者が大川牧場で決闘するという展開。上のポスターを見ても、アメリカB級西部劇まんまだし、結核病みのナイフ投げが得意な用心棒が主人公に味方したり、平尾昌晃が英語でテーマソング「大川牧場の決闘」を歌ったりと、もうやりたい放題。上映時間も60分余りと典型的な添え物作品だが、その分西河監督以下、好き勝手に喜々として西部劇ごっこを楽しんでいる。ここまでやってくれれば参ったと言うしかない。当時はカントリー歌手だったかまやつひろしが歌っているシーンも要チェック。

 

 ああ爆弾

 製作:東宝 
 封切日:1964.04.18 上映時間:95分  白黒/東宝スコープ
 製作:田中友幸 
 監督:岡本喜八 
 原作:コーネル・ウールリッチ 
 脚本:岡本喜八 
 撮影:宇野晋作 
 音楽:佐藤勝 
 監督助手:山本迪夫 
 出演者:伊藤雄之助、越路吹雪、砂塚秀夫、中谷一郎、沢村いき雄、重山規子、天本英世、有島一郎

本上映会の第1回から第3回まで連続登板した岡本喜八監督作品、久々の登場である。これまたマカ不思議な怪作。原作はコーネル・ウールリッチとあるが、“万年筆”(これが原作題名)に爆弾を仕込んでいる点が共通しているだけ。物語は、ヤクザの組長・大名大作(伊藤雄之助)と爆弾作りの名人・太郎(砂塚秀夫)が刑期を終えて出所したものの、縄張りは新興ヤクザに乗っ取られており、腹いせに万年筆爆弾でボスの命を狙おうとするが、爆弾が次から次へと人手に渡るので、それを追っかけてのドタバタ騒動が繰り広げられ…という、スラップ・スティック・コメディのノリ。その上に、随所にミュージカル・シーンを挟んでテンポよく進む岡本演出が楽しい。説明するより、とにかく観るべし。「殺人狂時代」と並んで、岡本喜八節炸裂のナンセンス・シュール・ミュージカル・コメディのカルト的傑作である。両作で狂言回し的に動き回る砂塚秀夫の熱演にも是非注目。特に本作のラストの絶妙のオチ(まさしく落ちて来る(笑))は、一世一代の名演と言えるだろう。

 

 くノ一忍法

 製作:東映(京都撮影所) 
 封切日:1964.10.03 上映時間:87分  カラー/東映スコープ
 企画:小倉浩一郎 
 監督:中島貞夫 
 原作:山田風太郎 
 脚本:倉本 聰、中島貞夫 
 撮影:赤塚 滋 
 音楽:鏑木 創
 出演者:野川由美子、中原早苗、三島ゆり子、芳村真理、 大木実、待田京介、山城新伍、小沢昭一

中島貞夫の監督デビュー作。脚本に参加している倉本聰ともども、後のキャリアからは想像もつかないナンセンス・エロティック時代劇の珍品である、二人は、東大でともに「ギリシャ悲劇研究会」を立ち上げていた親友同士だそうで、ますますワケわからん(笑)。
本作は、山田忍法小説の中でも特にキテレツな内容で、出てくる忍法がいずれもナンセンスの極み。小沢昭一が女に変身する「忍法くノ一化粧」を皮切りに、くノ一が山城新伍の大事なところをくわえて離さない「忍法天女貝の術」(笑)、男の精気を一瞬にして吸い尽くす「忍法筒涸らし」、胎児を別の女の腹に移す「忍法やどかり」、遂には股間から紫色の煙をモクモクと噴き出し敵をやっつける毒ガス忍法まで、バカバカしさも極まれり。しかし終盤は東大出のプライドゆえか(笑)、やや観念的でシリアスになったのがちと残念。石井輝男が撮ったらもっと面白くなったか、もっとトンデモないものになったかは神のみぞ知る所。なお企画にゴーサインを出したのは、当時の京都撮影所長、岡田茂サンである。

 

 不良番長・一網打尽

 製作:東映(東京撮影所) 
 封切日:1972.09.14 上映時間:88分  カラー/東映スコープ
 企画:吉田 達 
 監督:野田幸男 
 脚本:松本 功、山本英明 
 撮影:山沢義一 
 音楽:八木正生 
 助監督:小平 裕
 出演者:梅宮辰夫、山城新伍、藤竜也、ひし美ゆり子、真理アンヌ、鈴木やすし、安岡力也、渡瀬恒彦

1968年から72年までの4年強の間に16本も作られた人気シリーズの第15作目。そもそもの企画は、当時アメリカで作られヒットしていた「地獄の天使」等の暴走族ヘルス・エンジェルスものの日本版を目論んだと思われる。
野田幸男が監督した最初の頃は、まあ普通のアクション映画だったのだが、途中から参加した内藤誠監督がこれにコメディ要素を盛り込み、対抗意識を燃やした野田監督がさらにコミカルさをエスカレートさせて行ったという経緯がある。が、東映系の映画館主たちが「あまりにフザけ過ぎだ」とクレームをつけた為、14作目の「のら犬機動隊」はぐっとシリアス調に作り変えた。
ところが今度は、コメディ路線に根付いていたファンから「面白くねえじゃねえか」と抗議が殺到し、そんなわけで次作となる本作では、野田監督は心置きなくナンセンス・コメディに磨きをかける事が出来たという次第である。
とにかく本作は、シリーズ中でもナンセンスの度合いは群を抜いている。おまけにひし美ゆり子は豪快にスッポンポンの裸身を見せてくれるし。見どころ十分。
ラストの殴り込みシークェンスでは、鈴木やすしが腕を吹っ飛ばされたのに落ちた腕を見て「どこかのバカが腕落としてる」と言ったり、山城新伍に「風小僧のおじちゃん」と駆け寄ったり、山城は槍を振り回して歌舞伎風に見得を切ったりと、やりたい放題。梅宮は「オレは四十までは番長だァ」と啖呵を切れば、すかさず山城が「それまで体が持つかどうか」とツッ込みを入れるタイミングの良さにも笑った。
最後には、画面の両側から、中心寄りに「糸」と「冬」と書かれた巨大看板が移動して来て中央で合わさり、「終」の文字となるが、さらにポコンと穴が開いて梅宮と山城が顔を出し、次回作のお知らせ口上までやってのける。この徹底したナンセンスぶりには感動すら覚えてしまう。DVDも出ているが、これは出来れば映画館で観るべきである。特に幕切れの山城新伍のアドリブは、劇場でこそ笑えるものなのだから。

 
(回想記)

というわけで、どれも今の時代では作られそうもない、超おバカ・ナンセンス・コメディの怪作ばかりである。これらは、いずれも日本映画が2本立で番組が組まれていた頃の作品で、とにかく量産して番組を埋めなければならなかった時代だからこそ、比較的自由に作る事が出来たわけで、1本立ばかりになった今の時代ではそうしたゲリラ的映画作りも難しい。さらに、中平康とか岡本喜八のような、才気に溢れた奇才監督もいなくなった。かろうじて、「ロボゲイシャ」とか「ゾンビアス」とかを監督した井口昇が後継者として頑張っているくらいか。だが、メジャー配給で全国公開されていた上記作品群に比べ、井口作品はごくごくわずかのミニシアターで細々公開されているに過ぎない。プログラム・ピクチャーがほぼ消滅した現代、上記のような、メイン作品を観に行った際に、その併映作として、予期せぬ拾い物に出会うという快感はもう二度と味わえないだろう。そういう意味でも、こうしたプログラムは価値があると我々は自負しているのだが、上映会の観客動員は、予想通り(?)寂しい結果となった。まあ企画した我々が存分に楽しめた事で、良しとすべきであろう。

 
 DVD/ビデオソフト紹介

 

※PrimeVideo




   

※次回プログラム 第9回 「大脱獄・網走刑務所」