番外編第5回 「映画だけが人生だ! 川島雄三監督特集」
・場所: シギノ大劇
・上映開始: PM 10:30
・テーマ: 早くも番外編の5回目。今回の主催は佐々木さん。主催者名が「軽佻浮薄同盟」とは凝ってる。監督特集は番外編としては2回目となる。傑作「幕末太陽傳」や「しとやかな獣」を含め、日活作品2本、東宝作品2本、大映作品1本とバランスの取れた配置。川島監督ファンの佐々木さんらしい好番組である。なお、メイン・ポスターが見当たらないので、プログラムの表紙で代用させていただいた。
・当日プログラム(PDF) ※ご覧になるには Adobe.Readerのインストールが必要です。
(注)プログラムはすべてB4サイズです。印刷したい場合はB4が印刷出来るプリンターなら問題ありませんが、A4プリンターであれば、B4→A4への縮小プリントを行ってください。
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(作品紹介)
わが町
製作:日活
封切日:1956.08.28 上映時間:98分 白黒/スタンダード
製作:高木雅行
監督:川島雄三
原作:織田作之助
脚色:八住利雄
撮影:高村倉太郎
音楽:真鍋理一郎
助監督:松尾昭典、今村昌平
出演者:辰巳柳太郎、南田洋子、三橋達也、殿山泰司、北林谷栄
、小沢昭一
明治末期、フィリピンの道路建設に尽力した“ベンゲットのターヤン”こと佐度島他吉(辰巳柳太郎)が「わが町」大阪に帰って来て、家族の為に人力車夫として働き、妻や娘を次々失うという不幸に遭遇しながらも孫娘を育て、明治〜大正〜昭和の激動の時代を生き抜いて行く。
辰巳柳太郎が豪放磊落、短気で一本気だが人情脆い車引き役を巧演。ちょっと「無法松」に似た所もある。
いつかはフィリピンに戻りたいという夢を持っていたターヤンだが、それは叶わず、プラネタリウム館で最期を迎えるというラストは泣ける。
長屋の個性豊かな住人たちとの交流シーンに、川島監督らしさが窺える。
原作は「夫婦善哉」等の織田作之助。川島監督は織田作の旧友だそうで、織田が亡くなった後、追悼の意を込めて映画化したそうだ。
幕末太陽傳
製作:日活
封切日:1957.07.14 上映時間:110分 白黒/スタンダード
監督:川島雄三
脚本:田中啓一、川島雄三、今村昌平
製作:山本武
撮影:高村倉太郎
美術:中村公彦、千葉一彦
音楽:黛敏郎
助監督:今村昌平
出演者:フランキー堺、岡田眞澄、芦川いづみ、左幸子、南田洋子、石原裕次郎、小林旭、二谷英明、金子信雄、小沢昭一、殿山泰司
これは言うまでもなく、川島監督の最高作だろう。幕末の遊郭を舞台に、主人公佐平次(フランキー堺)が、高杉晋作(石原裕次郎)ら攘夷の志士たちとの交流も織り交ぜ、時代を図太く抜け目なく生き抜いて行く様を軽妙なテンポで描く川島監督の演出が見事。
フランキー堺が絶妙の快演。羽織を宙に放り上げ、落ちて来た所に袖を通す技は見事なものである。太鼓のバチをクルクル回す仕草はさすが元ドラマー(笑)。佐平次は常に明るいが、実は肺病病みという複雑なキャラクターでもある。「居残り佐平次」「品川心中」などの古典落語を巧みに取り込んだ脚本が秀逸。
ラストも、落語の「お見立て」でオチとなる。その後「俺は生きるんでぇ」と走り去って行く佐平次を見送って映画は終わる。元の構想ではそのまま撮影所のセットから現代に飛び出して行くエンディングだったが、当時としては余りに突飛でフランキーや今村助監督が反対しボツになったそうだ。そのラストの方が面白そうで見て見たかったね。
なお共同脚本に名前がある田中啓一とは、後に今村昌平監督「果てしなき欲望」、「豚と軍艦」、浦山桐郎監督「私が棄てた女」等の川島門下の監督たちの脚本を書く事になる山内久のペンネームで、当時松竹在籍だった故に表立って名前が出せない為の変名である。
予告編(デジタル修復版) https://www.youtube.com/watch?v=0BF3OW32zOk
貸間あり
製作:宝塚映画/配給:東宝
封切日:1959.06.02 上映時間:112分 白黒/東宝スコープ
製作:滝村和男
監督:川島雄三
原作:井伏鱒二
脚色:川島雄三、藤本義一
撮影:岡崎宏三
美術:小島基司
音楽:真鍋理一郎
助監督:辻村光慶
出演者:フランキー堺、淡島千景、桂小金治、小沢昭一、浪花千栄子、沢村いき雄、乙羽信子、渡辺篤、益田キートン、清川虹子
川島監督の弟子に当る藤本義一がシナリオに参加した唯一の作品。大阪の通天閣を遠くに見る高台にある古風なアパートを舞台に、そこに住むおかしな住人達の騒動を描いたコメディである。ロケ地は天王寺区夕陽ケ丘。
役者陣が豪華。常連フランキー堺、桂小金治、小沢昭一を中心に、淡島千景、乙羽信子、浪花千栄子、清川虹子、市原悦子の女優陣、加藤武、益田喜頓、山茶花究、渡辺篤、沢村いき雄といった芸達者な面々。これらの多彩な人物が入り乱れ、演技合戦を繰り広げる様は壮観である。
全体にドタバタ劇だが、お話にとりとめもなく、特に山場もなく終わってしまう。その為当時の批評としては酷評が多かったようだ。原作者(井伏鱒二)からもこれは違うと叱られたらしい。
しかし川島作品をずっと観て来ると、「幕末太陽傳」や「洲崎パラダイス 赤信号」に見るように、底辺で生きる庶民の猥雑さとふてぶてしさ、生きて行く事の辛さ、汚れてしまった哀しみ(乙羽信子扮するお千代さんのエピソードにそれを感じる)のようなものがこの作品にも通低音として流れているような気がする。笑わせているけれど、実は悲しい物語なのかも知れない。
それと聞き逃していけないのは、お千代さんの送別会で、桂小金治が送別の言葉として「花に嵐のたとえもあるぞ、サヨナラだけが人生だ」と述べるくだり。この言葉はもう1回出て来る。
川島監督の墓石にも刻まれている、有名なこの言葉が登場するだけでも、川島ファンなら必見だ。ある意味、これぞ最も川島監督らしい、愛すべき怪作と言えるかも知れない。
縞の背広の親分衆
製作:東京映画/配給:東宝
封切日:1961.01.09 上映時間:91分 カラー/東宝スコープ
製作:佐藤一郎、金原文雄
監督:川島雄三
原作:八住利雄
脚色:柳沢類寿
撮影:岡崎宏三
音楽:松井八郎
出演者:森繁久彌、フランキー堺、淡島千景、団令子、桂小金治、藤間紫、有島一郎、西村晃、沢村いき雄、春川ますみ、松村達雄
いわゆるヤクザ映画のパロディ的作品。
ヤクザ抗争のもつれで人を殺したと思ってブラジルに逃げていた主人公守野圭助(森繁久彌)が、15年ぶりに日本に戻って来た所から物語が始まる。
かつて所属していた組に顔を出した守野と、死んだ大親分の女房で料亭を経営しながら組を守って来たおしま(淡島千景)とが互いに「おひかえなすって」と仁義を切りあうシーンがあったり、中盤では敵の組からの果し状を受けて、守野が着流し姿に懐にドスを忍ばせて決闘の場に赴いたり、と東映任侠映画ではお馴染みのシーンがいくつも登場する。だが、東映任侠映画の本格的第1作「人生劇場 飛車角」が登場するのは本作から2年後の1963年。コメディとはいえ、後に一つの時代を築く任侠映画の典型パターン作品がいち早く作られていた事に驚く。
ラストは、組の賭場開帳が警察に摘発された責任を取って守野が再び南米に逃亡し、エンディングでは守野の息子と称する3人のハーフの子供がサングラス姿で現れるというオチとなる。川島作品としてはまあまあの出来だが、東映任侠映画に馴染んだ映画ファンなら、任侠映画パロディ・コメディのつもりで鑑賞したなら楽しめるだろう。
しとやかな獣
製作:大映(東京撮影所)
封切日:1962.12.26 上映時間:96分 カラー/大映スコープ
企画:米田治、三熊将暉
監督:川島雄三
原作:新藤兼人
脚色:新藤兼人
撮影:宗川信夫
音楽:池野成
助監督:湯浅憲明
出演者:若尾文子、伊藤雄之助、山岡久乃、浜田ゆう子、高松英郎、小沢昭一、船越英二、山茶花究、ミヤコ蝶々
最後は、大映で撮った若尾文子3部作のうちでも最高作と言える名作。
団地の一部屋、及びその廊下と階段だけを舞台にして、人間のドロドロとした浅ましさ、エゴイズムが痛烈に描かれる。出て来る人間が気の弱い船越英二を除いてみんな悪い奴ばかり。そして場をさらう悪女・若尾文子の存在が強烈な印象を残す。山岡久乃が上品な言葉使いの裏にしたたかなズルさを秘めているという難しい役を見事に演じている。そして小沢昭一がいつもながらの怪演。川島監督らしく、狭い空間を縦横に動き回るカメラワークや凝ったアングルも絶妙な効果をもたらしている。新藤兼人の脚本も出色の出来。
この翌年、急逝する事となる川島監督の、最後の輝きを見せた秀作である
予告編 https://www.youtube.com/watch?v=eb1XoHpwdGE
(回想記)
なかなかいい番組編成で、川島雄三監督ファンなら十分満足出来る上映会だが、まだまだ当時は川島監督のファンは数少なかったようで、観客数は期待を下回ってしまった。関連本の出版や名画座の特集上映等を通して、川島監督がようやく映画ファンに広く認知されるようになるのは、それから四半世紀も経った2000年代以降の事である。
DVD/ビデオソフト紹介
※次回プログラム 第18回 「追憶・赤木圭一郎」